二人の推理
18
浦部真希を荻窪駅で見送ってから、俺と翠は垣内邸に向かった。霊がいないという事実を、他の人間にも確認して貰いたかったのだ。
「何もいませんね」
翠は垣内邸の前に着くなりそう言って、無糖のソーダを呷った。近くの自販機で俺が買わされた物だ。これで済むなら安いものだが、俺の中の一般良識が、後でちゃんとした礼をしろと言ってくる。
俺は玄関から塀の外を沿って、時計回りに歩き始めた。翠は俺の隣に並ぶ。
「わざとですかね?」
「俺もそう思った」
「除霊したとか、結界を張ってるとか」
南向きの玄関から北東の角に辿り着くと、いまどき珍しいことに塀の角が凹んで、鬼門除けになっていた。その凹んでいる塀に、何か書いてある。地面に近い位置のそれをしゃがんでよく見ると、井の字のような簡略化された九字だった。翠も俺の横にしゃがんで、それを指さす。
「これだけで、あんなことになります?」
「他の場所にもあるのかも知れない。家主の本棚には、民俗学やらの本が何冊もあった」
「家に入ったんですか」
「入れて貰ったんだ」
俺と翠はそれから塀の外側を二周して、簡単な魔除けを八個見つけた。やはり出入り口は表の門しか無く、裏からは小屋の上部が僅かに見えるだけだった。
「もうお終いですか?」
荻窪駅に入ると、翠が俺にそう言った。もうお終いだったし、俺にはまだやることがある。翠には悪いが、今回はまともな謝礼を払うことも出来ない。
「何かご馳走しようか」
「結構です。今晩は師匠の所に顔を出さないといけないので」
「萌火さん、元気か」
「変わらずです。最近は後続の育成をするとか言ってます」
「お前もその内の一人だろう」
「ま、そうですけどね。まだ長生きして貰わないと、真東一門が分裂しかねないので」
翠は荷物を取りに、渋谷に戻るらしい。買った物を駅のコインロッカーに詰めて来たと言うのだ。
「今日は悪かったな。無理を言った」
「次は、私の要請で駆けつけて貰いますよ」
翠はそう言って手を振り、上りの電車に乗り込んでいった。俺は閉じたドア越しに手を挙げて、別れの挨拶をした。
俺は、それからすぐに来た下りの電車に乗って、事務所へ戻った。道中ずっと推理をしようとしてみたが、まだ何か足りない情報があるらしい。俺は仕方なく、見沼刑事を頼ることにする。事務所に着くなり携帯の履歴から見沼の番号を探し、こちらから電話を掛けた。
「はい見沼。矢岸さんですね?」
「いま大丈夫ですか」
「ええ、出先ですが、大丈夫ですよ。何かご用ですか?」
「いくつか聞きたいことと、頼みたいことがあります。簡単に済ませますので」
「何でも仰って下さい。ただ、応えられるかは分かりません」
「まず、垣内邸の電話は、事件当日通じていましたか?」
「家の電話も優太郎の携帯も、通じていましたよ。それが何か?」
「一応確認です。それと、垣内星那は、小屋の中に食料を入れたのは誰だと言っていますか?」
「それは、先程捜査員が話を聞いたところです。ただ、食料を与えていた人物は、ニット帽とゴーグル、マスクをしていて、顔を隠していたとのことです。垣内星那は、小屋に入れられたときは目隠しをされていたとも言っています。それは少年の方もそうだったと」
「では、垣内邸に星那の私物はどの程度ありましたか?」
「私物ですか。何も無かったと記憶しています。靴が裏口にあったくらいですね。少年の靴と並んで置いてありました。矢岸さんが入ったときは、鑑識が持っていってしまっていましたかね。そうそう、鑑識と言えば、事件現場の窓のカーテンから少量のルミノール反応が出ました。血痕は残っていませんでしたし、カーテンは畳まれていたので、発見が遅れたとのことです」
「カーテンは閉まっていた?」
「そのようです」
俺はその情報の重要さを考える前に、それを頭の隅に追いやって、取り敢えず話を続けることにする。
「あと一つ。笹崎信彦にアレルギーがあるという情報はありますか」
「ええ。なんでも若いときから、煙草の煙を少しでも吸うと呼吸が出来なくなったらしいですよ。蕁麻疹が出るとも」
「その情報は、いつのものですか?」
「高校時代の友人の話です。しかし、死体からアレルギー反応は出ませんよ」
「まあ、そうですね」
「それで、お願いと言うのは?」
「一度、垣内星那と話をしたい。電話でも構いません」
「出来るか分かりませんが、矢岸さん、電話でも霊視出来るのですか?」
「微妙ですね」
「私は事件が解決するなら、何でもしていただきたいでのですが」
「お願いします。あと、陽夏と会えますか」
「滝陽夏なら会えますよ。こちらでセッティングしますか?」
「それもお願いします。荻窪署内でも構いません」
「明日は?」
「大丈夫です。お忙しいでしょうが、よろしくお願いします」
見沼はいくつか疑問を持っているようだったが、俺は適当な言葉を並べて電話を切った。ソファに座ると、急に煙草が欲しくなる。もう辞めたというのに、ニコチンとかいう奴はかなり厄介だ。
キッチンに入って冷蔵庫の中のコーヒーをカップに注ぎ、それを持って事務所に戻る。ソファに座って時計を見ると、十九時を回っている。俺が夕飯をどうするか考え始めたとき、携帯が鳴った。見ると、液晶には中峰紫遠と表示されている。俺が電話に出ると、シオンはいきなり溜息を吐いた。
「どうした、疲れてるのか」
「陽夏ちゃんの母親に話を聞きに行ったら、こっちが話を聞く羽目になりました。陽夏ちゃんが奪われたとかって、怒り心頭ですね」
「何の話を聞きに?」
「制服ですよ。五月十三日以前に、陽夏ちゃんの制服は一セットクリーニングに出していたそうです。いまも取りに行けていないとのこと。制服と言うのは、夏服のスカートとベストです。元々持っているのは、それぞれ二着ずつですって。ブラウスは三着あるみたいですが」
「制服、か」
俺も浦部真希から聞いたことを話した。
「重要な断片ですね。ピンクの傘なら、滝家にありましたよ。持ち手が猫のやつ。壊れてましたけどね」
「滝家の周りでは、何か見つかったか」
「見つかったと言えば、防犯カメラですよ。住宅街ですから仕方ないんですけど、学校からも滝家からも、防犯カメラに映らないで垣内邸に行くことは可能です。ただ、かなり隙間を縫うようにすれば、ですけどね」
「じゃあ、その線から犯人が見つかるのは、望み薄か」
「そんなこと、露ほども考えていなかったでしょう」
俺は笑いを含んだシオンのその言葉を無視して、話を変えることにする。
「そうそう、陽夏に会うことになった。一緒に行くか。明日なんだが」
「そりゃあ行きますよ。明日はフリーなので」
「あと、垣内星那と電話で話せるかもしれない」
「矢岸さん、やりますね」
「刑事の知り合いがいると便利だということが分かった」
「何を確かめるつもりですか?」
「どこまでが計画だったか、かな」
シオンは電話口でくつくつと笑う。
「それは、名案ですね。それが分かれば、あとは推理出来るかな」
「垣内星那は、陽夏をどう思っているのか」
「矢岸さんの考えていることは、分かりますよ」
「つまり、事件当日、垣内星那は本当に監禁されていたのか」
シオンはとうとう声を上げて笑い、俺は携帯から耳を離す。コーヒーを啜って窓の外を見ると、沈んだ太陽の残光が消えかかっていた。
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