17

 小道を抜けて公道に出ようとすると、近くに人間の気配を感じた。見回すと、遠ざかっていく制服姿の少女が見える。制服は、陽夏の着ていた物と同じようだった。


「なぁ、君」


 俺は声を掛けたが、反応は無い。少女の結ばれた後ろ髪が揺れるだけだった。


「君、滝陽夏の友達か?」


 俺がそう言うと、少女は肩を震わせて、こちらを振り向いた。目が合う。


「君、ここで俺を待っていたのか?」

「ち、違いますけど……」

「でも、下校中には見えないな」

「近付かないで下さい」

「そっちは、学校がある方向だ」


 少女は驚いたような表情をして、肩に掛けていたスクールバッグの持ち手を掴み直す。


「滝陽夏の家を見に来たのか。今日学校を休んだから。でも、あそこの住人には会いたくない。そんな折に、知らない男がそのアパートに向かっていった。違うか」

「なんで分かったの」


 半分以上は当てずっぽうだが、勘だって当たるときは当たる。


「滝陽夏の話を聞かせてくれないか」

「嫌です」

「そうだな……、こうしよう。真東翠を知っているか?」

「翠ちゃん?」

「俺は、その真東翠の知り合いなんだ。ちょっと、陽夏君について知りたいことがある」


 少女は俺の言葉を受けて、しばらく悩む素振りを見せた。


「……翠ちゃんと一緒なら、良いですよ」


 なるほど考えたな、と思った。だが俺は、翠がいまどこにいるのか知らない。


「ちょっと待ってくれ。電話を掛ける」


 懐から携帯を取り出し、真東翠に電話を掛ける。コール音が三回鳴った後、電話は取られた。


「はーい、こんにちは。ご依頼はお仕事用の電話にお願いします」

「お前な、俺の番号だって、分かって言ってるだろ」

「矢岸さん。ジョークを解せない人はモテないですよ」

「そんなことより、翠の力が必要になった。いまどこにいる?」

「おっ、矢岸さんの方から私の力が必要だとは珍しいですね。私なら、渋谷ですよ」

「渋谷?」

「お買い物中なんです。ずっと青森の山奥にいたので」

「帰って来られて良かったな。いまから会えるか」

「大丈夫ですけど、渋谷まで来ますか?」


 俺は携帯を顔から離す。


「渋谷まで行けるか?」

 少女は頷いた。



 翠が指定したのは駅の近くのファストフード店で、俺と少女は二人で荻窪駅から電車に乗ることになった。新宿から山手線に乗り換えると、渋谷は近いとも遠いとも言えない。陽夏はたまに渋谷で翠と会うと行っていたから、いまどきの荻窪の中学生は渋谷まで出かけることもあるのだろう。

 少女は浦部真希うらべまきと名乗った。陽夏とは同じクラスで、渋谷へも一緒に行ったことがあると言う。俺と真希は渋谷駅から神宮通りを北へ一分も歩かず、その店に辿り着いた。

 翠は律儀に、店の前に立って待っていた。ノースリーブの黒いカットソーにマゼンタのロングスカート姿だった。真希は翠を見て表情を緩める。どうやら緊張を解いたようだった。


「翠ちゃん!」

「あっ、真希ちゃんだ」

「俺もいるぞ」

「矢岸さん、お久しぶりです」

「青森はどうだった?」

「修行が厳しくて、毎日帰りたかったですよ。ほんと、大変だったんですから」

「お疲れ」


 愚痴る翠と連れ立って、三人で店内に入る。俺はコーヒーだけを、翠と真希はポテトやらシェイクやらを注文して、空いていた席に着いた。


「私の力が必要なんですって?」


 俺の目の前に座った翠が、早々と本題に切り込む。俺もその方が助かる。


「真希君から話が聞きたかったんだが、翠がいないと話をしてくれないと言う」

「力って、それだけですか?」

「いや、その後、俺と一緒に行って欲しい所がある」

「ふーん。ま、良いですけど。何の話です?」

「真希君と同じ学校の、滝陽夏という少女の話を聞きたい。荻窪の事件は知ってるか?」

「荻窪って言うと、殺人があったんですっけ」

「その関係者の可能性がある」


 俺の言葉に驚いたのは、翠の隣の浦部真希だった。


「陽夏がですか?」

「ああ。と言っても、被疑者や被害者ではない。しかし、陽夏の言動によって、事件の真相に対する推理が絞られる可能性がある」

「矢岸さん。難しい言葉で中学生を煙に巻かないでください」


 翠がそう言って俺を睨んだ。真希はテーブルの上のポテトに視線を落として、黙っていた。


「君からの情報であることは、誰にも言わない。それに、君の言葉で陽夏君の大切な人を容疑の外に置くことが出来るかも知れない」

「……それで、何を話せば良いんですか」

「五月十五日、荻窪で死体が発見された。その前日、十四日の陽夏君の様子を覚えているかな」

「覚えてません。一週間も前のことなんて」


 正確には一週間と一日だが、確かに覚えていない方が自然ではある。


「雨の降った日だ。傘を差していた筈なんだが」

「傘なら見ました。雨が降ってたから、その日かも」

「十四日以来雨が降ったのは、昨日だけだ。だから、そうだと思う」

「ピンクの傘で、持ち手が猫の形になってる珍しいやつだったんです。そうだ、その日、陽夏遅刻して十二時頃に来たんですよ」

「遅刻、か。帰ったのは?」

「いつも通りだったと思います。だから、夕方の四時過ぎです。でも、放課後にお喋りに巻き込まれてました」


 防犯カメラに陽夏が映っていたのが、十六時十分。地図で見た限り、学校からは滝家の辺りを通って、垣内邸まで十分くらいの距離だ。


「陽夏君はその日、ちゃんとした恰好だったか」

「ちゃんと制服を着て、学校のバッグを持ってましたよ。どうしてですか?」

「ちょっと、な」


 翠は一人でフライドポテトを食べている。俺はコーヒーを少しストローで吸って、推理を組み立てようとした。しかし、まだ足りないピースはいくつもある。

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