16

 垣内理恵と笹崎吉乃の生家は埼玉県の大宮にあるらしい。

 陽夏を見送った少し後、シオンが俺の事務所を訪れた。シオンの暇じゃないという言葉がどの程度本当かは知らないが、俺とシオンは連れ立って大宮まで行こうという話になっていた。住所はシオンが笹崎吉乃から直接電話で聞いたらしい。

 一週間振りの雨の中、シオンのコンチェルトで外環自動車道を使って埼玉県に入った。旧中山道を通ると一時間くらいで大宮は入ることが出来る。

 俺は助手席で缶コーヒーを飲みながら、大宮を流すシオンに気になっていたことを聞く。


「笹崎由乃には、どうやってアポを取ったんだ」

「笹崎家の住所は教えたじゃないですか。だったら、その近くに吉乃の現在地を知ってる人がいてもいいかな、と思ったんですよ。最初は、わざと笹崎家の住所に吉乃当ての手紙を出して転送して貰おうかと思ったんですけど、面倒だし時間が掛かりますしね」

「お前、探偵になるべきなのか、ならないべきなのか、分からないな」

「自分では天職だと思ってますよ」


 駅近くの駐車場に車を置いて五分程歩くと、その家はあった。見たところ今風の一軒家だ。表札には木戸とある。理恵と吉乃の旧姓らしい。

 シオンがインターフォンを押すと、程無くして反応があった。シオンが名乗ると、すぐに玄関のドアが開いて、白い手だけがにょっきりと出てくる。


「笹崎吉乃さんですか?」


 シオンがそう問うと、その手は中へ入るよう手招きをして、引っ込んだ。シオンがドアを潜り、俺も後に続く。

 木戸家に入ると、玄関のすぐ前に女性が立っていた。こちらを向いている。青いワンピースを着て黒いキャップを被り、俯いていた。首から下げている金色のペンダントが僅かに見える。


「電話してきた、中峰紫遠さんて、あなた?」


 声は高いが、聞き難い程ではない。


「そうです。よろしくお願いします。こちらは探偵仲間の矢岸さん」

「そう……。私が、笹崎吉乃です」


 そう言って吉乃は、キャップを脱いで顔を上げた。

 ショートカットの髪が僅かに広がる。双眸には長い睫毛が生え揃っていた。

 そして、それら全てが真白だった。

 髪も、睫毛も、眉毛も。


「私、探偵さんに会うのって、初めて」


 俺は息を飲んでいた。声を失っていたと表現しても良い。

 シオンはというと、口先だけで何でも出来るような奴だ。


「吉乃さんとお呼びして良いですか? 笹崎さんだと、不便なので」

「構いません」


 吉乃はそう言って踵を返し、奥へと進んでいく。シオンは傘を置いて靴を脱ぎ、その後を追った。やや遅れて俺も続く。

 俺とシオンはリビングに通され、ソファを勧められた。吉乃はラグマットの敷かれた床に正座して、ローテーブルの上のセットを使って紅茶を淹れ始める。


「それで、探偵さんが私に何の用ですか?」


 目線を向けられているのはシオンだ。


「電話でも言いましたが、笹崎信彦にさんについてお話を聞かせてもらえますか」

「あの人とは、もう何年も会ってません」

「正確には、何年ですか?」

「十年近く」

「離婚はなさっていない?」

「ええ、子供もいますから」

「大海君とは、会っていますか?」

「会っていません。いまさら会いたいとも思いません」


 吉乃の白い顔には、表情が一切ない。嘘を吐いたとして、それを見抜くことが出来るかは怪しいだろう。シオンは尚も質問を続ける。


「理恵さんとは、双子だそうですね」

「よく間違えられました」


 俺はその言葉に、電撃のようなものを感じた。実際体が震えさえした。シオンも同じことを考えたらしい。

「理恵さんとは、一卵性双生児ですか? あなたはアルビノですよね。つまり、理恵さんも?」

「そうです」


 事件の関係図が、また崩されるような感覚がした。完成させようとしているパズルを、床に投げつけられたような感覚。


「お写真はありますか?」


 シオンそう問うと、吉乃は首から下げていたペンダントを外して、シオンに差し出した。シオンはそれを受け取って、俺にも見せる。どうやらそれはロケットになっているらかった。

 シオンが蓋を開けると、中には二人の女性が並ぶ写真が入っていた。二人とも、同じように髪や睫毛が白い。片方は吉乃で、もう片方が理恵らしいが、俺にはどちらがどちらか分からなかった。


「姉は、良い人です。いまは、どこにいるか分かりませんが、きっと生きていると信じています」

「そうですね。話を戻すようで恐縮ですが、笹崎信彦さんの体に何か特徴はありますか?」

「無かったかと」

「アレルギーなどは?」

「……煙草が駄目だった筈です」

「そうですか」


 シオンは足を組み、右手の人差し指で顎をなぞり出した。吉乃は紅茶の入ったカップをテーブルに並べ、俺のことを見る。


「矢岸さんは、不思議な感じがしますね」

「たまに言われます」

「荻窪の事件を追ってらっしゃるの?」

「どうしてです?」

「だって、あそこ、姉さんの家ですから……」

「そうですか。そうですよね」


 はっきりと調子が崩されている。俺は紅茶に口を付け、辺りを見回す。


「このお家には、お一人で?」

「ええ。両親は逝きました。私には広すぎる家です」

「理恵さんと会ったのは、いつが一番最近ですか?」

「十年以上前です。私がまだ笹崎の家にいた頃、姉はどこかへ行ってしまいました」


 笹崎の家には、大海の上に自殺した姉がいたらしい。しかし、そのことを直接訊ねるのは気が引けた。

 シオンは顎から下ろした手でティーカップを持ち上げながら、質問を再開する。


「理恵さんの旦那さんの、垣内優太郎氏にお会いしたことは?」


 吉乃は僅かに、白い睫毛を震わせた。


「何度か。あの人は鬼です。姉は、あの人に傷つけられ、身を隠したのだと思います」

「理恵さんの居場所に心当たりはありますか?」

「ありましたが、探し尽くしました」


 そうだろうな、と思う。シオンは何を知りたいのか。


「理恵さんの娘の垣内星那には会ったことは?」

「ありますよ。聡明な子です。鼻梁が姉にそっくりで」

「そうですか」


 シオンはそう言うと、いきなり立ち上がった。


「では、我々は今日はお暇します。お忙しいところ、ありがとうございました。またご連絡するかもしれません。では」


 それだけ言って、シオンはリビングを出て玄関に向かってしまった。俺は虚を突かれたが、吉乃に礼を言ってから、シオンの後を追った。



「良かったのか、あんな短時間で」


 俺は帰り道、助手席からシオンにそう聞いた。時刻はまだ午後三時。シオンのコンチェルトは外環自動車を都内に向かっている。


「良いんですけど、推理の方向性が微妙なんですよね」

「それは俺もそう思う。どこが中心なのか、見えない」

「陽夏ちゃんのこともあるし」


 俺はまた見沼刑事から聞いた情報を横流ししていた。シオンからは連続殺人の話を聞いているし、俺も情報を渡さないと、推理が進まないと思ったからだった。


「陽夏は、俺と垣内邸に乗り込む前日に垣内邸に向かっている。死亡推定時刻は、発見の前日か前々日」

「垣内優太郎の母親は色素が無かったんですよね。そして、垣内優太郎の妻とその妹も、色素が無い」

「優太郎は、母親の影を追ったのか?」

「その辺りが肝でしょうね」


 俺は生暖かい車内の空気に耐え切れず、窓を十センチ程開けた。シオンも運転席の窓を僅かに開ける。外の空気だって生ぬるいが、風が入れば、いくらかましになる。

 シオンは前を向いたまま、独り言のように言葉を漏らす。


「死体は誰なのか。監禁犯は誰なのか。殺人犯は誰なのか……」

「垣内星那は何を知っているんだろうな」

「矢岸さん、陽夏ちゃんの友達から話を聞いてください。同じ中学校の子です。俺、明日は夜まで仕事抜けられそうにないんですよ」

「そうする。垣内邸ももう一度見たいし、明日は荻窪に行くよ」

「お願いします」


 運転席のシオンは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。一日調査に参加出来ないことが悔しいらしい。



 五月二十二日が何曜日だったか咄嗟には分からなかったが、壁に掛かったカレンダーが水曜日だと教えてくれた。見沼刑事が言うように拝み屋に日曜日なんてものは無く、曜日感覚もほとんど無い。しかし水曜日なら学校に行っている中学生もいるだろうし、俺は話を聞かなくてはならない。

 荻窪へ着いたのは十六時過ぎ。多分授業が終わるのはそのくらいだろうから、部活をやっていない生徒が下校中の筈だった。陽夏が通っている学校の場所は地図で調べていたが、しかし、その前に聞きたい話がある。

 俺は滝家の入っているアパートへ向かう小道を歩いていた。程無くしてそれを抜けると、誰かの視線を感じる。

 辺りを見回しても、壁に囲まれた土地にアパートが建っているだけ。そのアパートの一階の窓から、二つの目が俺を見ていた。

 俺はその窓に近づいていった。目は俺のことを見たまま動かない。その窓があるのは一階の一番端、外階段側の部屋で、近づいて見ても表札は出ていない。


「すいませんが、お話を伺っても良いですか」


 俺は二メートル程離れた所から、その目に声を掛けた。よく見ると、暗がりの中に顔が浮かんでいる。


「入って来な」


 どうやら、俺をじっと見ているその人物の声だったらしい。俺はドアまで歩いてノブに手を掛ける。鍵は掛かっていなかった。

 中に入ると、間取りは滝家と違うらしいと分かった。玄関を入ってすぐ左側に窓があり、その前に男が立っていた。窓の外をじっと見ている。


「そこで、何をしているのですか」


 俺は沓脱に立ったまま、男にそう聞いた。


「いまは俺の当番だからな」

「何の?」

「でも、他の部屋の奴も、外を見ている」

「何故?」

「報告するんだよ」

「誰に?」


 俺は何度疑問文を投げかければ良いのか。


「誰にって、美津子みつこさんに」

「誰ですって?」

「美津子さんだよ。滝美津子」

「滝? 滝陽夏の母親ですか」

「そう。陽夏の行動を見るのも、俺達の役割なんだ」

「役割……」

「俺達、ここの住人は、美津子さんに飼われているんだ。大家も含めてね。ここに集められて、怪しい奴が来ないか、見ている。陽夏がちゃんと言われた時間に帰ってくるか、見ている」

「陽夏はそのことを知っているのか」

「知ってるさ。知らない訳が無いだろう?」

「……ちなみに陽夏は、今月の十四日は何時に帰って来たかな」

「十八時頃だったな。美津子さんが帰って来る、十分前だった」

「家を出たのは?」

「八時。美津子さんが出る三十分前だ」

「一日中見てるのか」

「当たり前だろう」


 俺は胸の悪くなるのを覚えていたが、それ以上に虚しさを感じていた。美津子が何者なのかは知らないが、この男の言うことが本当なら、美津子はここの住人を従わせていることになる。


「その、滝美津子って人は、何者なんだ」

「夢みたいな人だよ。俺たちは、夢を与えて貰ってるんだ」


 俺はその言葉を聞き届けてから、踵を返して玄関のドアを開けて外に出た。何歩か歩いてから肩越しに振り向くと、男はまだ窓越しに俺を見ていた。

 アパート中の窓から、いくつもの目が俺を見ている。

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