二人の友人
14
笹崎家の場所はシオンに聞いていた。あいつの情報網がどうなっているのかは知らないが、警察内部にも知り合いはいるらしいし、そもそも本業が探偵なのだ。家探しくらい、容易に出来るのかも知れない。
笹崎家は、住宅街に建つマンションの一室だった。住所で言えば目黒で、駅で言えば西小山の近くだ。そのマンションを外から見ると、ある一室の前だけ、廊下に規制線が張られていた。シオンが言うには、笹崎家は十五年前にいまのマンションへ移り住んだらしい。大海が生まれる二年前だ。
夕方というには日が高い。徐々に春から初夏へ移ろっていくのが分かった。曇っているからか蒸し暑く、俺はシャツの上に着ていたジャケットを脱ごうか考えながら、西小山駅前の腰かけに座っていた。
駅にはときたま学生が出たり入ったりしている。高校生が大半のようだったが、中には中学生くらいの子もいた。俺は立ち上がって、目に入った中学生らしき少年に声を掛けることにした。
「ちょっと、いいかな。人を探してるんだが……」
当たり前のように無視される。
「笹崎大海って子、知らないかな……」
俺は尚もそう声を掛けたが、少年は俺のこを見もせずに去っていってしまった。最近の中学生の危機管理能力は、目を見張るものがある。
俺は元いた腰かけに戻って、この先どうすべきか考えようとした。
「ねぇ、おじさん」
考えようとしたら、目の前に立った誰かにそう声を掛けられた。見ると先程の子とは別の、中学生くらいの少年だ。紺のブレザーを着ている。
「……俺のことか」
「おじさん、大海のこと探してるんですか」
「うん? 笹崎大海のこと、知ってるのか」
「同じ小学校でした。でも、いまどこにいるかは分かりません」
「詳しく話を聞きたい。どこか、喫茶店でも入ろう」
「それは、校則違反なので……」
「緊急事態なんだ。校則だって、分かってくれるさ」
俺とその少年は連れ立って、駅の目の前の『珈琲専門店』と書かれた看板の店に入った。中にはコーヒーの香りが充満していて、席は半分程が埋まっていた。俺はアイリッシュコーヒーを、少年はアッサムティをオーダーした。
「俺は、矢岸という。仕事の関係で、笹崎大海君の話を聞きたい」
「大海、行方不明なんですか?」
実際は、どうやら病院で意識を失っているらしいが、それは言わない方が良いだろう。
「行方不明ということはない。君、名前は?」
「えっと、
「小宮君は、大海君と友達なんだね?」
「小学生のとき、同じ学校でした。仲は良かったと思います。でも中学校は、どこに行ったか分からなくて……」
それは、垣内星那と同じ境遇だ。恐らく、垣内優太郎によるものだろう。
「それで、俺に話し掛けてくれたのか」
「何か知ってるかもと思ったんです」
「まあ、心配はしなくて良いと思う。行方は一応、分かっている」
「どこにいるんですか?」
「
「そうなんだ……」
「笹崎大海君について、何か知っていることは無いかな。あと、写真があると助かる」
「矢岸さん、怪しい人ですか?」
「うん? いや、怪しい人ではないが」
俺は懐から名刺を取り出して、裕人にそれを渡した。
「ライターなんですか。それで、大海のことを?」
「ちょっと、な。大海君は直接関係がある訳ではないと思うが、一応調べて置かないといけないんだ」
「へぇ……」
裕人はそう呟いて、名刺を見ながら思案するような表情を見せた。
「大海君は、お父さんのこと、何か言っていなかったか」
「何も。でも……」
「言い辛いことか」
「お母さんは、いないって言ってました。だから、他の家が羨ましいって」
確か、シオンがそんなことを言っていた。垣内星那の母親と笹崎大海の母親が双子の姉妹で、二人とも家を出て行ったとか。
「あと」
裕人が視線を落としながら、尚も口を開こうとする。
「まだ、言い辛いことが?」
「
「いた? お母さんと一緒に、どこかへ行ったのか」
「死んじゃったんだって、言ってました。……自殺したんだって」
小学生には、ことの重大さやデリケートさと、それを他人へ喋って良いかどうかの計りをまだ獲得していない子もいる。あるいは、大海は裕人のことを、大切な友人だと思っていたのか。
「君、俺のことを信用してるか」
俺はそう聞かずにはいられなかった。
「信用してるって言うか、他に大海のことを考えてる人がいないから。大海、大丈夫なんですよね?」
「大丈夫。それは間違いなく本当のことだ」
俺がそう言うと、裕人は顔を上げた。泣きそうな表情をしている。俺は陽夏にそうしたように頷いて見せ、運ばれていったときの大海のことを思い出していた。
あれ以上発見が遅れていれば、大海は助からなかったかも知れないという。
そこに意図を感じるような気がするのは、俺の考え過ぎだろうか。
今度は俺が行きますよ、と言ったシオンがその日の夜に俺の事務所へ来て、俺たちはまた鳩首会議をすることになった。
「やっぱり、死体は優太郎なんですかね」
シオンはグラスのビールを飲み干してそう言った。俺はローテーブルの反対側のソファで、ウイスキーの水割りに氷を入れていた。
「どうだろう。死体と垣内星那のDNAは、親子関係が立証されている。あの死体が笹崎信彦なら、星那の血縁上の父親は、優太郎ではなく伸彦ということになる」
「つまり、自分の娘を垣内の家に渡してたってことですね」
「もしそうなら、優太郎はどこに行ったのか。伸彦を殺したのは誰か。それが謎だ」
「優太郎が殺して、死体を自分に偽装した後行方を眩ませた」
「そう考えるのが、妥当ではある」
シオンは空になったグラスにウイスキーを注ぎ、背もたれに体重を預けた。俺はテーブルの上のアーモンドを口の中に放り込み、それを噛みながら思考を巡らせる。
「優太郎の両親については、何か聞いたか」
「白石さんが聞いた以上のことは何も。母親はやっぱり、色素が無かったみたいですね」
「垣内邸に関しては?」
「新しい情報としては、あの小屋の中の物が検査されたらしいと言うことが一つ。最低限の食事と水は与えられていたみたいですが、発見の数日前には何も無くなっていたようです。小屋内部には食べ物はおろか水分の一滴も無く、二人は二日か三日、水を飲んでいなかったと見られています。蒸し暑いのに汗もかけなくて、服も乾いていたと」
小屋の中は、確かに衛生状態は悪かった。あったのはプラスチックゴミと空のクーラーボックスと、バケツだけだった筈。体を清潔にすることも出来ないし、弱っている体で病気になったら、普通以上に危険だったろう。
「そうそう、それと」
シオンが前のめりになって、口の端だけで笑う。
「二人が着ていたのは、薄い貫頭衣でしたよね」
「ワンピースみたいな奴だったな。それが?」
「星那の服から、錆が出たらしいですよ」
「錆?」
「それも二箇所から、錆の擦れた跡が出たそうです。なんででしょうね?」
シオンはそれだけ言って、また上半身をソファに凭れさせた。俺は水割りを一口飲み下して、頭の重たさを感じ始めた。脳裏には垣内邸で見た陽夏の不安そうな顔が浮かぶ。
「矢岸さん」
俺を呼ぶ陽夏の声さえ、聞こえた気がした。
……いや、実際に聞こえたのか。声のした事務所の出入り口の方を見ると、何故か本当に、制服を着た陽夏が立っていた。
「白石さん、疲れてるんですか? 陽夏ちゃん、さっきからその陰にいましたよ」
シオンは方眉を上げて俺を見ていて、陽夏はシオンを訝しげに見ている。人の多い所に行く機会が多かったせいか、人間の気配に鈍くなっているらしい。
陽夏は事務所の中に入ってきて、俺の横に浅く腰掛けた。
「矢岸さん、いまの話ほんと?」
「どこから聞いてたんだ」
「死体と星那が親子だってところ」
「……大分聞いてたな」
「ね、錆が出たって」
「それは、このお兄さんに聞いてくれ」
「本当ですか?」
「らしいよ。服自体が汚れていて、現場では見落とされていたみたいだけどね」
陽夏の横顔を見遣ると、目に真剣さが帯びている。眉間に皺まで入れて、何か考えているらしい。
「矢岸さん、星那と星那のお父さんのこと、調べてるの?」
「乗りかかった船だからな」
「私も、一緒に調べる」
陽夏は俺の顔を迷い無く見て、そう言った。俺は取り敢えず腕を組んで、考えてみることにする。シオンはテーブルの向こうで足を組んで、口元だけで笑っていた。
壁の時計を確認すると、いまは八時。夜の八時に中学生が出歩くのは、恐らく良いことではない。ただ、陽夏の家の状況を考えると、何か事情があるような気もする。
悩む俺を無視するように、シオンがグラスを持った手で陽夏を指さす。
「陽夏ちゃん、家出してきたね?」
「……そうです」
「ふぅん。学校の帰りに、そのまま?」
「そうですけど」
「陽夏ちゃんのお母さん、厳しい?」
「なんでですか」
「ちょっと、足見せてくれる?」
「シオンよ、いつからお前はそんな……」
「違いますよ。陽夏ちゃん、お母さんに何かされてない?」
シオンがそう言うと、俺の隣の陽夏が一瞬、体を震わせた。横目で表情を窺うと、目が泳いでいる。
「何も、されてませんけど」
陽夏は膝を擦り、腕を擦った。シオンからは目を逸らしている。
「あ、そう。それなら良いんだけどね」
シオンは無表情になってそう言うと、ストレートのウィスキーを口に含んだ。
俺はソファの上で体をずらし、陽夏の顔を覗き込むようにした。選んだ言葉を慎重に声に出していく。
「調査に連れていくことは、出来ない。何が起こるか分からないんだ。殺人犯や、ひょっとすると生きた存在以外とも、対峙することになるかも知れない」
「でも……」
「星那君を心配する気持ちは分かる。しかし、君はまだ中学生だろう」
「大人なら、良いんですか」
俺は言葉に詰まってしまった。自分で自分を守れるから、と言いそうになって、しかしそう声を発することは出来なかった。
どうやっても、自分で自分を守れないこともある。例えば、歩道を歩いていたのに自動車に轢かれたとき。
眩暈が始まって頭痛の気配を感じ、俺は必至に言葉を探した。けれど、僅かに俯いた陽夏が喋り出す方が早かった。
「私、自分のことは自分でやる。誰も……、誰も私のことなんて、守ってくれないんだ」
そう言った陽夏の目は、潤み始めていた。
それは違う、と言うことが出来なかった。言葉は喉の奥に引っかかって、口まで運ばれてこない。
「陽夏ちゃん」
シオンが陽夏の名前を呼んだ。
回る世界の中で、陽夏は顔を上げた。その目からは涙が零れていた。
「陽夏ちゃん。間違っていたらすまない。君、お母さんに虐待されてないか?」
陽夏が嗚咽を漏らし始めた。
その向こうには死んだ愛季が立っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます