11
携帯が鳴って、ベッドの中で目を覚ました。それはいつまでも鳴っていて、俺の神経を尖らせる。俺はしばらく無視し続けたが、結局根負けして電話を取った。
「もしもし」
「……はい」
「死人みたいな声ですね」
「シオンか。いま何時だ」
「朝の四時です」
「お前、俺を殺す気か」
「四時に起きたって、人間は死にませんよ」
枕元の時計を見ると、確かに四時を指している。俺は体を起こして、ベッドに腰かけた。
「それで、何の用だ。大した用じゃなかったら呪うぞ」
「白石さんがそれを言うと、冗談に聞こえないんですよね」
シオンはからからと笑う。どうやったら朝の四時にこんな上機嫌になれるのか。
「白石さん、これから何を調査するつもりですか?」
「調査? 陽夏の一件か」
「まあ、そうです」
「うーん、考えてない。後でコーヒーを飲みながら考えることにする」
「俺は取り敢えず、連続殺人の被害者を調べるつもりです。何が共通項なのか」
「そうか……。まさか、それを言う為に電話したのか」
「そうですけど」
俺は大きく溜息を吐いた。シオンはたまに、常識を逸することがある。
「じゃあ、俺は優太郎の過去でも調べるか」
「優太郎に関しては、昨日少し聞き込みをしました。行方不明の状態ですね」
「殺されたのか、殺したのか、か」
「寝起きにしては冴えてますね」
俺はシオンの冗談を聞き流し、寝室から事務所に出る。ブラインドを開けると、白い陽光が差し込んできた。
「探偵の勘だと、この事件はあと何日で解決しそうだ」
「あと一週間と少しですかね」
「そんなに……」
「じゃあ、優太郎のことは任せましたよ」
「出来ることはやってみる」
シオンは俺の返事を待たずに電話を切っていた。慌ただしい奴だ。多分、本業の時間外にこの調査をしているのだろう。好事家というのは、ああいう人間のことだ。
仕方が無いのでコーヒーで無理矢理目を覚まさせて、これからの予定を頭の中に詰めていくことにする。
取り敢えず、優太郎の過去を探ってみる。それで何が分かるとも思えないが、他に思い付くことがない。笹崎家を調査する手もあるが、それは後で見沼刑事にでも聞いてみよう。
五時間ほどデスクで書類仕事をしても、まだ朝の九時だった。俺にしてみれば事件のような早起きだったが、体調はいつも通りで、いつもと変わらずデスクワークは出来た。あとは、外での調査がどうなるか、だ。
垣内邸の前には相変わらず警察の物らしい車が停まっていて、周りには見物をするように足を止めている人もいる。横に並んでその人を見ると、年齢の読めない老婦だった。俺は自分も野次馬のふりをして、その老婦に話し掛ける。
「垣内さんの家、大変なことになってますね」
「そうねぇ。陽夏ちゃんも、まだ中学生なのに……」
「優太郎さんには、よく会います?」
優太郎が殺されたかもしれない情報は、まだ公にされていない。
「最近はめっきり。学生の頃はよく見たけど、さすがにお医者さんは忙しいのかしら」
「学生の頃ですか。昔から頭が良かったんでしょうね」
「お父さんもお医者さんだったから、遺伝かしらねぇ」
「優太郎さんのお母さんには、お会いしたことはあります?」
「ないのよ。ずいぶん前に亡くなったから……。あなた、この辺りの人?」
「いえ、たまたま仕事で垣内さんと知り合ったもので」
「あら、そうなの。大変ねぇ……」
「優太郎さんって、高校はどこでした?」
「どこだったかしら。確かそこの、島田不動産さんの、いまの社長と同じでしたよ」
俺は礼を言って、そそくさとその場を後にした。俺の顔を覚えている人間に見つかると厄介だと思ったのだ。
町中を歩いていると程なくして、島田不動産という看板が見えた。開きっぱなしになっている扉を潜ると、狭い店内の正面に一人分程のカウンターがある。その向こうに、五十歳くらいの男が座っていた。
「いらっしゃい」
そう言って男は俺に椅子を勧める。
「
「そうだけど、家を探しに来たの?」
「いえ、人探しですよ」
「うちは、家なら探せるけど、人は探せないよ」
「垣内優太郎さんのことを聞かせてくれませんか」
「優太郎?」
俺は勧められた椅子に座って、カウンターの上で両手を広げた。
「垣内さんの家の、いまのことは知っていますよね」
「まあ、あれだけ騒いでればね」
「優太郎さんに連絡は?」
「しばらく取ってないよ。今度のことだって、何も聞いてない。あなた、探偵か何か?」
「まぁ、そんなところです」
「うーん、優太郎とは高校生のころはつるんでたけど、最近は見てすらないな」
「同じ高校だったとか」
「そうそう。あの高校から、まさか医者が出るなんてね、驚いたよ。確かに頭の良い奴だったし、医者になるって言ってだけど」
「高校生のときは、どんな生徒でしたか?」
島田は腕を組んで、斜め上を見る。
「頭が良い以外は、普通だったよ。家が大きいだろ。あれは、優太郎のお父さんが建てた家なんだ」
「行ったことは?」
「一回だけある。色々見せて貰ったよ」
「門扉がどうだったか、覚えていますか」
「門扉? 普通だったと思うけど。記憶に無いから」
と言うことは、やはりあの鉄扉は最近になって付けられたものなのだろうか。
「家で、どんなものを見せてもらいました?」
「部屋とか、裏庭とかかな。広い裏庭があったのは覚えてる。……あと、アルバムも見せて貰ったな」
「写真ですか。何か、記憶に残っているものはありますか?」
「そうそう、お母さんが綺麗な人でね。髪も眉毛も睫毛も白かった」
「眉毛も睫毛も?」
「うん。俺たちが高校生になったときには亡くなってたけどね。写真を見せて貰ったんだ。妖精みたいな人だったよ」
「では、優太郎さんの体には、目立つ何かはありませんでしたか?」
「うーん、無かったと思うよ。俺も気を付けて見たことはないけどね」
俺はその話を飲み込んでから、礼を言って島田不動産を後にした。
荻窪の町を駅まで歩きながら、俺は頭の中の情報を整理していく。
優太郎の家の門扉は、三十数年前は記憶に残らないような物であったこと。優太郎の母親の髪や眉が白かったこと。
何か、底知れない暗い渦に飲み込まれていくような感じがした。
毎日荻窪に来ている気がする。俺はファミリーレストランのドアを開けながら、そう思った。
陽夏の母親には、荻窪駅南口から程近いファミリーレストランを指定されていた。俺の事務所の近くで良いとは言われたが、俺が荻窪が良いと言ったのだ。
「矢岸さん」
店内に入ってすぐ、店内のどこかから呼びかけられた。陽夏の声だ。
「矢岸さんってば」
見回すと、陽夏が店の奥でこちらに手を振っている。俺は軽く手を挙げて、そちらに向かった。
ボックス席のソファに、陽夏と陽夏の母親が並んで座っていた。陽夏は制服を着ている。俺がテーブルの前まで行くと、陽夏の母親が立ち上がった。
「この度は、娘が飛んだご迷惑を……」
「いえ、それは、もう良いですよ」
俺は空いていたソファに座りながらそう言った。陽夏の母親もソファに腰を下ろす。陽夏は眉を八の字にして、俺の目を見る。
「矢岸さん。星那のこと、頼んでごめんなさい」
「いや、良いよ。星那くんは、結果的に君のおかげで助かったんだ」
「でも、矢岸さんを巻き込んじゃった。私、まさか人が死んでるなんて、思わなかったから」
「あれは災難だった。だが、君のせいで人が死んだ訳でもないし、俺は人死にに巻き込まれることも、少なくないしな」
陽夏は俯いて、余計小さくなってしまった。俺はテーブルの横を通り過ぎようとした従業員に、アイスコーヒーを注文した。
しばらく静寂と相席していると、コーヒーは運ばれてきた。俺はそれに口を付けて、陽夏の母親の方を見る。
「申し訳ないのですが、家を見せて貰えませんか」
「家、ですか。うちを?」
「ええ、そうです」
「何故ですか?」
「もしかしたら、事件を解決する鍵があるかもしれない」
俺の言葉を受けた陽夏が、顔を上げた。
「じゃあ、私が案内するよ」
「うん? まあ、それでも良いが」
陽夏の母親は、困ったような顔をしている。当たり前の反応だと思う。
「でも、何でうちを見たいの?」
「星那の物があれば、何か視えるかもしれないしな」
「よし、じゃあ、行こう」
陽夏はそう言って立ち上がろうとする。陽夏の母親は、まだ悩んでいるらしい。
「矢岸さん。うちの娘の依頼でしたら、もう終わらせて貰って構いません。お代は、私がお支払いします」
「いえ、お代は結構ですよ。それに、私ももう、関係者ですしね」
ボックス席を飛び出そうとする陽夏の前で、俺はアイスコーヒーを飲み干した。
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