10
書斎の次は、優太郎の寝室を見ることになった。寝室は書斎の隣の部屋で、やはり装飾は無かった。ベッドが壁際に置かれている以外はテレビもベッドサイドテーブルも無く、クローゼットがベッドの反対側にあるのみだった。
俺は一瞬だけベッドを見て、クローゼットに近づいてそれを開けた。少しの間、黙って服や靴下の間を探したが、俺はそれに耐えられず、後ろに立つ見沼に話を振ることにする。俺は刑事に見張られることに慣れていないからだ。
「優太郎の職場の捜査はしましたよね」
「ええ、普通の医者で、恨みを買うような人物ではないと」
「監禁犯かもしれないということは、言っていない?」
「まだ決まりではないのでね」
「誰か、この家に出入りしたことのある人間はいましたか」
「いまのところ見つかっていません。恐らく、いないでしょう」
クローゼットの中は殆ど黒か紺のスーツと下着類だけで、仕事の無い日は何を着ているのかと思う程だった。
「この家の中は全て調べましたか」
「昨日と一昨日で全て調べたと思いますよ。でも、警察に幽霊の専門家はいませんからね」
「除霊にしろお祓いにしろ、簡単な物でも出来ます。紙と麻くらいなら、使ったあとに処分できる」
「そんなことをして、大丈夫なのですか」
「ずっと置いておいた方がいい物もありますが、年に一度でも良い儀式もあります」
俺は除霊グッズが見つかることを半ば諦めていた。どうも垣内優太郎という人物には、自分のパーソナリティを隠しているような印象がある。
「次はあそこを見せてください」
俺は窓から小屋を見下ろしながら、そう言った。頷いた見沼に先導されて一階に下り、裏口から外に出る。
「足跡を踏まないようにお願いしますね」
そう見沼に言われ足元を見ると、足跡はまだ残っていた。重なっていて、すべては把握しきれない。
「これ、誰の足跡か分かるものですか」
「ええ、調べれば分かる筈です」
確か、俺と陽夏が小屋まで歩いたときには、足跡は残らなかった。あれは十五日で、雨の降った翌日だった。足跡が残ったのは、雨の降っていた十四日だろうか。
足跡を避けて小屋の正面まで歩き、閉められていた閂と扉を見沼に開けて貰った。加賀美は少し離れた所に立っている。
小屋の中に入ると、やはり蒸し暑く、臭いが鼻を衝く。空気が循環されていないらしい。見沼は小屋の出入り口の外側に立って、中に入ろうとはしなかった。
「矢岸さんが見つけたとき、この中に少女と少年がいたのですよね」
「そうですね。少女がそちらから向かって右の壁際、少年がやや奥の中央付近。少女は壁に背を預けて座っていたが、少年は仰向けで倒れていた」
「あと数日遅れていたら助からなかったかもしれないという話です。特に少年の方は衰弱と脱水症状が激しいと」
「見沼さん、幽霊は視えないのですよね?」
「えっ? 視えませんが、何かいましたか」
「いや……、いた訳ではありませんが、かなり悲壮感が満ちている」
「悲壮感?」
「ええ、悲しみですね。それが一種類」
見沼は何かを納得したような表情をした。
「そういうものですか」
「強い感情の名残は、その場に残るものです。悲しみとか怒りが多いですけどね」
俺はそう言いながら小屋から出た。湿度の高い風が吹いて、汗ばんだ体に張り付いてくる。
「この小屋の中も、調べましたよね」
「ええ、ごみくらいしか無かったと。あの二人の体の状態も含め、数か月以上は小屋に監禁されていたようです。食事と水分は少量与えられていたらしいが、どうも数日前から断たれていた模様で、中には食べ物も水もありませんでした」
「陽夏は、垣内星那は小学校を卒業してから消息不明というようなことを言っていたから、最長で一年強か。少年の方は、どうです」
「少年は垣内星那の従弟と見られていますが、保護者とは連絡が出来ていない状態です」
「それで家を訪ねに?」
「目撃証言なども集めたいと思っていますが、少年の方も数か月は監禁されていたらしいですからね」
「保護者は何をしているのか。失踪人届は出ていないか。その辺りですか」
「垣内星那の母親と少年の母親が姉妹なのですが、垣内優太郎が義理の甥を拉致監禁した可能性もある」
「そうなると、目下最大の容疑者はその、連絡が取れない叔父ですか」
「いえね、容疑者だなんて、とんでもない」
見沼は手を振って否定するが、目が笑っていない。肚の奥底に黒い物が見えそうだった。
俺は見沼、加賀美と母屋の中を通って門の前まで戻った。見たところ塀やその近くには何も無く、出入り口は表のシャッターゲートとその横の扉だけのようだった。
「このシャッターゲート、リモコン式ですか?」
「ええ。リモコンは二階書斎のデスクの椅子の奥に隠してありました。わざわざ小型金庫に入れてあった」
「余程二人に逃げられたくなかったらしい」
「横の門扉は鍵を掛けられませんよ」
「見沼さん、あれを開けましたか」
「いえ、そう言えば。若いのに任せっきりでした」
「加賀美さん、あの扉の感想はどうです」
俺がそう言うと、そっぽを向いていた加賀美が意外そうな表情をして、俺の顔を見た。
「……重いですね。自分でも、少し重労働でした」
「俺も同意見です」
見沼が得心したように俺を見る。
「つまり、中学生には開けられないと?」
「女子中学生であれば、ぎりぎりかな。運動部の子なら開けられるかも知れませんが、男子中学生でも、衰弱していれば無理でしょう。監禁した後に扉を取り換えたのか、元々こんな重い扉が付けてあったのか……」
見沼は汗ばんだ額に手を遣って、懐から手帳を取り出した。
「小屋の資材を運んだ業者は当たっていますが、家を建てた業者は当たっていませんね」
「いつから監禁する計画があったのか、か」
俺はそう言ってみたが、特に推理がある訳でもなく、勘に任せて喋っていた。ただ、加賀美も手帳を出して何か書き始めたのが意外だった。
それからは何も頼まれず、来たときに乗った車で事務所に返して貰えることになった。冷房の効いた車内で見沼が言うには、この後の笹垣家の捜査は見沼と加賀美の担当ではないらしい。それでも、捜査本部に待機して情報をいち早く知りたいという。余程手柄が欲しいのか、それとも本当に善意で事件を解決したいのか。
見沼と加賀美が俺のことをどう思っているかは知らないが、俺はまだ刑事と何度か会うことになりそうだと思っていた。
事務所に戻ると、仕事用の電話に留守電が入っていた。再生ボタンを押すと、聞いたことのあるような声が聞こえてくる。音が悪くて、何を言っているのか分からないところが多々あった。
「……つきましては娘のお掛けしたご迷惑に関して謝罪させていただきたく、ご自宅か事務所の方にお伺いしたいと思い、お電話させていただきました。都合の良い日時を教えていただきたく思いますので、もう一度こちらからお電話させていただきます……」
そう言えば、荻窪署で陽夏を叱り付けていたのと同じ声だ。あのときは大声だったのに、留守電では小声だったので、気付くのに時間が掛かった。
と言うか、いまご自宅か事務所にお伺いしたいと言っていたか。
俺は留守電に入っていた番号にかけ直した。何度目かのコールサインの後、電話が取られる。
「はい」
陽夏の母親の声だ。
「もしもし、滝さんのお宅ですか。私、矢岸白石という者ですが」
「あっ、矢岸さん。この度は娘がご迷惑をお掛けして……」
「それ程でもないですよ。それより、留守電を聞きました」
「ええ、そうです。私、謝罪をさせていただきたくて」
「謝罪は、結構です。私の事務所へも、来ていただかなくても」
「そういう訳にはいきません」
「では、せめて他の場所で」
「そうですか……」
その後話をして、俺と陽夏の母親は荻窪のファミリーレストランで会うことになった。陽夏も連れて来るという。俺ははっきりと、そういう場面が苦手だった。
「では、明後日の十九日、日曜日に」
俺はそう言って電話を切り、デスクの椅子に浅く座って背中を凭れさせた。深いため息が出る。
陽夏の為のサービス残業は、思いのほか高くつくかもしれない。
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