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駐車場でシオンのコンチェルトに乗り込むと、シオンはすぐに車を発進させて、青梅街道を西に走り始めた。俺はシオンに、刑事に聞いたことを話した。
「どう思う」
「でもそれ、捜査に協力しなければアリバイを立証しないって脅されてるんですよね」
「やっぱり、そうかな」
シオンはハンドルを両手で握ったまま体を揺すって笑う。
「俺もそのうち容疑から外れると思いますよ。こちとら十三日も十四日も仕事に追われてましたからね。しかし、足跡が無いってだけで容疑から外すなんて、どうなってるんでしょう。でも、表に鍵が掛かっていたことは話されなかったな……」
「アリバイが証明されれば話してもらえるさ」
「それにしても、変ですよね。鍵は浴槽に沈めて、裏口は開けたまま……。まるで密室を作ろうとして失敗したみたいだ。それにしても白石さん、刑事を抱き込むとは、隅に置けませんね」
「刑事の方から話を持ち掛けて来たんだよ」
赤信号で止まった隙に、シオンは窓を僅かに開けて煙草を吸い始めた。俺の脳は少し休息が必要だと要請が出していたが、シオンは事件のことを話し続ける。
「母親のことは聞きました? 垣内星那の母親、垣内
「お前だって刑事を抱き込んでるじゃないか」
「探偵には必要なスキルなんですよ」
車は青梅街道から伏見通りに折れ、俺の事務所に向かう。シオンは運転中煙草に火を着けては揉み消し、火を着けては揉み消しを繰り返した。
俺の事務所に着いた頃には十六時を回っていた。シオンは例え誘っても俺の事務所に上がるより大切な用事があると言うし、俺は礼だけ言ってシオンの車を降りた。
「白石さん」
しかし、俺が車を降りて事務所の入っているビルの外扉に手を掛けたとき、背後からシオンの声が聞こえた。俺は片足を引いて振り返る。
「どうかしたか。何か、気づいたことでも?」
シオンはコンチェルトの運転席から降り立ったところだった。
「いえね、そういうんじゃないですけど……。この件、深入りしない方が良いですよ」
シオンの顔は逆光になっていて見えなかった。夕方の西日は春先よりも高い位置にあって、影は長くは伸びていない。
「分かってる。殆ど、サービス残業みたいなものだ」
「それなら、良いんですけどね」
僅かに見えるシオンの顔には、無理矢理作った笑みが張り付いていた。
シオンはそれだけ言って、愛車と共に去っていった。どこまでシオンに話したか定かではないが、多分あいつは、俺に娘がいたことを懸念しているのだろう。俺の娘は中学生にはなれなかったが、確かに生きていたら陽夏や星那くらいなのかもしれない。
俺は雑居ビルの外扉を開けて内階段を上り、ひしゃげたドアを退かして事務所に入った。表に面した窓からは西日が差し込んできていて、事務所の中は明るかった。だと言うのにそこには死んだ妻の
「なんで、こんな日に出て来るんだ」
俺がそう呟くと、悲壮感を纏った声が聞こえてくる。
「あなたの娘でしょう」
「そうだ。だから、俺だって」
「桜愛のこと、愛している?」
「俺だって必死だった……」
「なんで私と結婚したのよ」
会話になっていないのは当たり前で、向こうは俺の言っていることなど無視して喋るようになっているらしい。誰が設計した訳でもないが、俺は妻の愛季と娘の桜愛が車に轢かれた次の日から、あの幻像を見続けている。そしてそれは不定期に現れ続け、俺の心を蝕んでいく。かつて真東一門の首領、真東萌火に相談したが、愛季と桜愛は俺にしか見えず、よって除霊などは不可能だと言われた。それまで俺は、自分で除霊しようなどとは思い付かなかった。
幾度と無く考えることがある。暴走した自動車が歩道に突っ込まなかったら、二人は死ななかったのか。俺が二人の近くにいれば、二人を助けられたのか。俺も二人と一緒にいたら、家族みんなで死んでいたのか。
気が付くと愛季は消えていて、俺はソファとテーブルの間に倒れ込んでいた。気を失っていたのか、あるいは、単に寝ていたのかも知れない。
立ち上がって時計を見ると深夜の二時で、窓の外には暗闇が広がっていた。俺はブラインドを下げて蛍光灯を点け、昨日の残りのワインを取りにキッチンに向かった。
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