事情聴取は昨日と同じ会議室だった。俺の担当は見沼みぬまという五十絡みの大男と、加賀美かがみという二十代前半くらいの大男だった。加賀美の目つきは、刑事と思えない程柔らかかった。話を聞くと警視庁刑事部捜査第一課の新人だと言う。


「随分と早急ですね」


 俺がそう言うと、見沼は眉を顰めた。


「そう勘ぐらないで下さい。確かに加賀美さんは警視庁の人ですが、私は荻窪署の人間です」

「捜査本部ですか」

「まあ、そういうことですな」

「へぇ。捜査一課の人か」


 加賀美は俺に軽く頭を下げる。確かにスーツの襟には、赤いバッジが付いている。

 咳払いが聞こえて視線を遣ると、見沼が腕時計を見ていた。あからさまなアピールだ。加賀美は急いだ様子で懐から手帳を取り出し、ペンを構える。見沼はそれを確認してから、三十パーセントくらいの力で俺を睨む。


「矢岸さん、それで、昨日も聞かれたでしょうが、監禁されていた二人には、何の心当たりも無いと?」

「いえ、ですから、少女の方が多分、俺の事務所に来た滝陽夏の友達の、垣内星那って子なのでしょう。俺は垣内星那を助けてくれと言われて、あの家に入ったんです」

「それで、少年の方は?」

「知りません。星那にきょうだいはいないと陽夏が言っていましたけどね。そう言えば、あの二人は回復しましたか」

「少女の方は、意識を取り戻しました。医者の質問に、自分は垣内星那だと名乗ったそうです。そして、自分は父親に、あの小屋に閉じ込められていたと」

「少年については?」

従弟いとこだと言っています。自分の母親の妹の子供だと」

「名前は?」

「それはお伝え出来ませんな。年齢は一つ下らしいですが」

「でも、それだけ教えて下さるってことは、俺の容疑は晴れつつあるんでしょう?」


 見沼は一瞬だけ眉間の皺の数を増やし、そしてまた減らした。ずいぶん緻密なコントロールだ。


「ええ。死体は死後二日から三日と見られています」

「と言うことは、今月の十三日か十四日か。月曜か火曜。それで?」

「いえね、足跡を鑑定したところ、大人の男の足跡が、母屋と小屋の間だけにしか見つからなかったのです」


 俺は脳の奥で眠り込んでいた一昨日の記憶を呼び覚ます。


「十四日は雨が降っていた。しかし、垣内邸は門から母屋までは舗装路だが」

「ええ、しかし、母屋の玄関は鍵が閉まっていました。そしてその鍵は、母屋一階の浴室で浴槽に沈んでいました。一方、裏口は開いていましたが、母屋の側面側に足跡は無かった。側面の庇の下は、どちらも草の茂っている所があって、通り抜けられません」


 舗装されているのは、母屋から門までの道だけだった。


「十四日に犯行が行われたとすれば、垣内邸を脱出する手段が無いか。しかし、十三日は?」

「矢岸さんと話していたと言う人がいます」


 そんなにすぐ見つかるか、と言いそうになり、しかし俺はそれをすんでのところで踏みとどまる。そんなにすぐ見つかることもあるからだ。

 俺は出かけた溜息を飲み込んで、腕を組んだ。それにしてもこの刑事、重要な情報を喋り過ぎだ。


「刑事さん、見沼さんと仰いましたね。俺に霊視しろ、などとは言いませんよね」

「ええ、ええ、その通りです」


 頷いた見沼の隣で新人の加賀美が目を剥く。俺は渋い表情をしているだろう。


「私の古い知人がね、矢岸さんのことを知っていました。いま、荒川区の町屋署にいます。ここだけの話ですが、町屋署と合同で捜査することになりそうでして、それで町屋署の友人にこんな関係者がいてね、と話をした。そうするとその友人、矢岸さんの名刺を持っていました。肩書はライターでしたが」


 それは俺が頼まれれて心霊記事を書くときに使う、知り合いの編集者に作ってもらった物だ。確かに記事を書く為に刑事から話を聞くこともあるが、まったく、何の因果か。


「珍しい名前ですからね、人違いということはないだろうという話になりまして、人相を言ったら、その通りだった。それが今月の十三日です。さっき言った証人のことですよ。そのときは、事故死処理されたバイク乗りの霊から話を聞いたとかで」


 見沼はそう言って、厭らしい笑みを浮かべた。

 見沼は恐らく、俺が現場で霊から話を聞いてその通りに捜査をすれば、真相を掴む証拠が掴めると思っている。そうすれば、この刑事は表彰され、定年までに階級が上がるか、もしかしたら警視庁に引き抜かれるかもしれない。だが、俺はそこまでお人好しではないし、大体今回の場合、霊から話を聞けそうもない。


「頼みますよ、矢岸さん。第一発見者ですからね、現場にも立ち入れます」

「現場、現場ねぇ……」


 あの現場に首の無い霊以外の霊体はいなかった。何となく、その清潔さは怪しいとも思う。俺は提案を飲むことにした。


「構いませんよ。ただ、霊とコンタクトを取れるかは、行ってみないと分かりませんからね」

「そうこなくっちゃ。では矢岸さん、明日お家にお迎えに上がりますので」


 ここまでしてこの事件に首を突っ込む必要性はどこにも見つからなったが、しかし、俺の事務所を訪れたときの陽夏のあの、瞳の奥の真摯さや焦りが、俺を急かす。何故か胸の内には陽夏に対する申し訳なさが渦巻き、そしてそれがこの事件に関われと、俺の理性を操ろうとする。俺は陽夏に対するサービスのつもりで、もう少し調べてみようという気になったと、自分に言い聞かせることにした。

 会議室から出て署内の自販機があるスペースへ向かうと、そこにはシオンがいた。コートを畳んで腕に掛け、もう一方の手で缶コーヒーを持っている。


「白石さん、いま上がりですか」

「今日は待っててくれたのか」

「今日は事務所に戻らなくて良いので。それより、随分お疲れですね。事情聴取は初めてじゃないでしょう?」

「お前ほど慣れてないんだ、事情聴取も疑われることも」

「生きた人間の相手をすることも?」


 俺は舌打ちをして自販機に硬貨を入れ、缶コーヒーのボタンを押す。シオンの乾いた笑いの中に缶の落ちる音がして、俺は腰を曲げて缶を取り出した。


「明日な、現場に立ち入ることになった」

「えっ、白石さんがですか?」

「ああ。第一発見者だから、というのが建前で、担当の刑事が俺に霊視しろと言ってきた」

「いいなぁ。俺も入りたいのに……」

「だが、あそこで霊が現れるとは思えない。これは勘だが、垣内家の誰かが徹底的に除霊したんだと思う」

「まさか、本当に垣内家に連続殺人犯がいたりしてね……」


 シオンは空になったらしい缶をゴミ箱に入れると、空いた手を顎に遣って思索し始めた。こうなると、自分の世界に入ってしまう奴だ。俺がコーヒーを飲み終わって空の缶を捨てても、シオンは動こうとしなかった。仕方なく肩を揺する。


「おい、考えるのは良いが、俺はいつまでも警察署にいるのは嫌なんだが」

「え? ああ、そうですね。帰りましょうか。道すがら、話すこともありますしね」

「探偵が知っていることを話さないのはフェアじゃなって、お前言ってただろう」

「そんなこと、よく覚えてますね」


 シオンは嬉しそうに笑って、出入り口に向かって歩き始めた。俺も後に続く。

 荻窪署には様々な死人がいて、様々な死に方があることを俺に思い出させてくれた。しかし、いつまでもそんなのに囲まれていたら、こっちの気が滅入る。

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