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俺は接客スマイルを思い出そうとしながら、客人に手でシオンが座っていたソファを勧めた。彼女は黙ってそれに従う。小さく傷の無い膝が内股気味に揃えられ、微かにオレンジ色をしている小振りな唇が開かれる。
「なんなんですか、あの人」
「なんなんだろうな。俺にも良く分からない。君、名前は?」
「おじさん、幽霊が見える探偵って、ほんと?」
「うん? まあ、そうかな。君、名前は?」
「人探しも出来るって」
「出来なくはないが……、君」
「名前は、
「最近の中学生は大人びてるんだな。それで、依頼があると?」
陽夏は俺のリップサービスに右の眉を上げて応えると、ソファに置いたバッグからクリアファイルを取り出した。さらにそこから数葉の写真を取り出し、テーブルに並べ始める。写真はアルバムから取り出されたように陽夏の成長を写していて、そしてその陽夏の隣には、決まって同じ女の子が並んでいた。幼稚園のものらしいスモッグを着た二人、レジャーシートの上で弁当を食べる二人、何かの像の前でピースサインをする二人……。
俺が顔を上げると、写真を並べ終えた陽夏が、スカートの上で両手を握り閉めていた。
「お願いです。この子を……、私の友達を助け出してください!」
「……うん?」
咄嗟に何を言われたのか理解出来ず、俺はいままでの依頼で同じことを言われたことがあっただろうかと、記憶の引き出しを片っ端から開けていった。
「聞いてる?」
「ああ、うん……。助け出す、助け出す、か。どうやって?」
「それはおじさんが考えてよ」
「うん? そうか、そうだな」
俺がそう言ってから少しの間、事務所の中には静寂が降りた。俺はいまの会話を反芻するのに時間が必要で、陽夏は俺を睨むのに集中しているようだった。
俺が必要な言葉を探し当てるのに、果たして何秒費やしたか。
「それはつまり、俺にこの子を助け出して欲しいってことか?」
「だから、そう、言ってるでしょ」
「君、俺を何だと思ってるんだ?」
「探偵?」
陽夏は首を傾げ、俺の目をじっと見つめる。俺はまだ必要な情報が出揃っていないことに気が付き、質問を脳内に用意する。俺に出来る人助けと言えば。
「この子、取り憑かれでもしたか」
「ううん。お父さんに閉じ込められてるみたい。暴力も振るわれてるかもしれない」
「閉じ込められてる?」
「この子、
そんなことがあるだろうか。中学校は日本では義務教育だから、どこかに籍を置かなければならないのではないか。しかし、確かに義務教育を受けずに大人になった人がいるというのも公然の事実で、小学校には行ったが中学校には行っていない人間がいても、不思議ではないのか。
「この子、君と同い年か」
「うん、十四歳」
俺は腕を組んで唸り声を上げながら、陽夏の後ろの白い壁を見つめる。様々な計算が脳裏を駆け巡り、中学生相手にどう言えばいいのかを考える。
「警察には行ったのか」
「行ったけど、無視された。あいつら、やる気ないんだ。事件が起きないと動かないいんだよ」
「それは、まあ、いいとして、仮にこの子が父親に閉じ込められていたとしても、俺の出る幕じゃないだろう」
「だって、おじさん……、矢岸さんは人助けの天才だって聞いたよ」
「誰だそんな訳の分からないことを言ったのは」
「
「翠……。
「そう。翠ちゃんも幽霊が視えて、悪霊を退治するって言ってた。それで、何か月か前に、しばらく会えないだろうから、困ったことがあったらここに行きなって、これくれたの」
陽夏はさっきのクリアファイルから一枚の名刺を取り出し、テーブル越しにそれを俺に手渡す。そこには『幽霊呪い関係のお困りごとは真東翠まで!』という文句と連絡先が印刷されていた。裏を見ると、手書きで俺の名前とこの事務所の住所が書かれている。翠の紹介なら最初にそう言って欲しいが、中学生にビジネスマナーを求めても仕方ないだろう。
「しかしな、俺だって一応、拝み屋が本業なんだが」
「でも、失踪人探しはしたんでしょう?」
陽夏はじれったいと言うように上半身を前のめりにして、俺にそう言う。この子は少し、ひとの目を見過ぎる癖があるらしい。
「それは、呪いが関係していたり、色々あるんだ。写真を見たところ、この子は呪われたりはしていないよ。それに、俺だって依頼が数えきれないほどあるし、慈善事業でやっている訳ではない」
「それは、出世払いで、お願いします!」
手を合わせ頭を下げる陽夏を見て、俺はまたうーん、と唸ってみる。そうしたところで解決策が出る訳でもないが、ポーズだけでも悩んでみないと、格好が付かない。
「お願い! お願いお願いお願い! なんでもするから!」
「君なぁ……」
俺が陽夏のつむじを確認していると、不意に陽夏が顔を上げ、俺と目を合わせた。その目は爛々と輝いている。
「そうだ。翠ちゃんが、矢岸さんは真東一門にはこの前の一件で大きな借りがあるからって言ってた」
これは痛い所を突かれた。俺は思わず顔を歪め、真東一門の首領、真東
真東一門というのは、関東甲信越あたりを拠点に活動している女性霊媒師の一団で、皆入門すると真東姓を名乗るようになる。話に出た翠というのもその一員で、まだ駆け出しの霊媒師だ。少し前に二人で呪いのビデオの調査をしたが、それからは暫く顔を合わせていない。一方萌火というのは全体を牛耳っている八十歳を超えたくらいの傑人で、その辺を漂っている霊くらいなら睨んだだけで存在ごと消し飛ばせるような力がある。
「確かに真東のボスには数えきれないほどの借りがあるし、この前の一件でも助けられた。けどなあ……」
「矢岸さんが駄目っていうなら、私一人で星那の家に乗り込むから」
「君、東京の人間か」
「そう。杉並区民。荻窪」
「親御さんは?」
「お父さんはいない。お母さんは仕事ばっかりしてる」
俺も一端の大人だし、保護責任とかいうのもある。多分保護責任は母親にあるのだろうが、一人親で生活の為に働き詰めの母親を、誰だって責められはしないだろう。
「まあ、行くだけ行ってみるか」
「ほんと?」
陽夏はテーブルに両手を突き、俺の眼前まで顔を近づけて来る。俺は体を反らせて距離を取り、ところで今日は平日ではないかと思い出す。
「君、学校はどうした」
「学校なんて、行かなくていいんだよ。あんなところ行ったって、つまんないし」
「へーえ」
陽夏は腿の脇に手を突いて、口を窄ませる。俺は念のため最近の中学生の事情を考えようかと真剣に悩んでみたが、答えは当然見つからず、窓のブラインドを閉めるべく立ち上がることにした。
陽夏は学校には行かなくていいと言うが、いまは学章付きのベストとバッグを身に着けていて、そこにも何か理由はあるはず。しかし、そんなことを訊ねるのも踏み込み過ぎな気がしたし、それなりにすり減っているローファにも、何らかの事情があるのだろう。
陽夏は写真と名刺を片付け、バッグを持って立ち上がった。俺は少し考えた後でカッターナイフをデスクの引き出しに仕舞い、代わりにハーブオイル入りのスプレーボトルをジャケットの内ポケットに入れた。
「矢岸さん、軽装だね。車に何か積んでるの?」
「車? 車なんて無いが」
「だって、ふっるい車がビルの前に停めてあったよ」
「ああ、それは多分、さっきまでいた良く分からないお兄さんの物だろう」
「ふぅん。矢岸さん、車買えないの?」
「ローンが組めなくてな……、いや、それは良いんだ」
俺は事務所の鍵を引き出しから取り出したが、鍵を使おうにもドアが外れている。俺の視線の先を追った陽夏がドアを一瞥してから俺の方を見て、眉間に皺を寄せる。
「どうするの、あれ」
「うん、まあ、元あった所に置いておいてみよう。無いよりましだろうから」
俺は陽夏を先にビルの廊下へ出して、折れ曲がったドアを外側から枠に嵌め込んだ。陽夏は俺のことを待たずに、早々と廊下の先の階段を降りようとしている。
「早く行こうよ」
「その頭、自分でやってるのか」
「編み込み? 上手でしょ」
表情を僅かに崩す陽夏に俺は、それは校則違反だろう、とは言えかった。そんな軽口を叩くのは、やはり踏み込み過ぎだろうと思ったからだ。
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