五 異変

 おかしい。


「明日から期末考査やけど、天下の灯哉様はバッチシやろ?」


 こう聞いてくる奴の名前が出てこない。

 声にはおぼえがある。きっと仲が良かったはずだ。

 おなじバスケ部で、クラスもおなじはずなのに。

 さっき名前を聞いたばっかなのに。


「おい灯哉、強者は多く語らんっちゅうけど、そういうことなんか? おーい」


 こいつが肩を叩いてくるが、なんと答えるべきかわからない。

 とりあえず頷いておく。


「いや何についての『うん』やねん。まあええわ。なんか朝から体調悪そうだし、早退させてもろたほうがええな。先生のとこ一緒にいこうや」


 こいつは優しいやつみたいだ。


 昼休み中、職員室でおっかない顔の顧問に話を通す。何を話せばいいか言葉につまっている俺の代わりに、こいつがいろいろと説明してくれた。


「確かに朝から虚ろな目をしていたな。あの時は寝不足かと思ったが……。仕方ない、相馬、家に帰ったら親御さんにも報告するように」


 顧問の先生に送られて学校を後にした。



 視界に入るものすべてから色がきえていた。空の色も、地面のいろも等しく灰色だった。

 三日ほど前から頭のなかに砂嵐がかかっているような感じがしていた。記憶が途切れ途切れになっている。ものを覚えようにもメモリーノートは八割方うまってしまっていたから、そろそろあたらしいメモリーノートを購入しようとおもっていた。


 メモリーノートには路地裏の地図が印刷されていたため、難なくその文房具屋にたどりつけた。


「これはこれは相馬様。メモリーノートをお求めですかな?」


 袋小路のきみわるい声が聞こえる。いつのまにか目の前に奴はたたずんでいた。


「その様子ですと、大分ご愛用頂けたみたいですな。幸いでございます」


「袋小路さん。おれ……なんか頭のなかがノイズかかったみたいにうまく記憶がつかえなくなってるんですけど、これって……」


「あなたのその目を見ればわかります。ノートなくしては記憶が定着しない段階に入ったのでしょうな」


「……どういういみだ?」


 袋小路の目があやしく光ったようなきがした。


「まずはお詫びをせねばなりません。人間が所有権を持てるメモリーノートは一人一冊までなのです。したがって相馬様は新しくノートをお買い求めいただくことはできません」


「そんなの、聞いてないぞ……」


「敢えて申さなかったのです。我々がメモリーノートを販売している理由は、皆様の記憶を『戴く』ためであります」


 記憶をいただく? おれが記憶をみにつけるんじゃなくて、記憶が奪われている?


「メモリーノートにご記入いただいた情報はもちろんお客様の記憶として保持していただいて構いません。しかし、ノートに記されなかった所有者様の記憶は我々が使用料として頂戴することになっています」


「だから、聞いてねぇよ!」


「お客様がそう反応なさるから、仕方ないのです。我々の仕事はメモリーノートに書かれた情報を所有者様の記憶に焼き付けるサービスを提供することです。所有者様の記憶はメモリーノートと紐付られており、我々はメモリーノートよりお客様の記憶回路に侵入し、記憶を自由に再構築することができます。記憶そのものを改変することはしませんが、我々はお客様の記憶を戴くことで業態を維持しております」


「ふざけるな……! おれの記憶も、思い出も、お前にやる義理が無いだろ!」


「相馬様がノートの所有権を持った時点で、契約は完了しております。いかなる発言も受け取りません」


「クソッ、この悪魔が……!」


「そう形容なさる方々は多いですな。記憶は人の精神を形作るうえで大きな役割を果たしますから。貴方が記憶を欲したように、我々も純度の高い記憶を欲しているのです。特に、鮮やかな記憶をお持ちの青少年の皆様を我々は待ち望んでおりました」


 ひとこきゅうののち、袋小路は宙を見て語った。


「私もかつてはしがないサラリーマンでした。ある日ここのような場所でメモリーノートを手にし、営業に活かして着実に業績を上げていました。」


「しかし、ノートを使い切ったころには私自身のことも、それ以外の何も分かりませんでした。ただ膨大な顧客情報を細かに暗唱できるだけが、私の出来ることのすべてとなっていました」


「記憶を奪われた私でしたが、どうやら社会も私のことを忘れているようでした。私の存在はもはやノートに記されたことから推察できる範囲にしか残されていませんでした」


「”記憶喰らいの悪魔”は等しく我々の欲望に付け入ってきます。これは決して理不尽などではなく、悪魔の誘いに乗ってしまった我々が受けるべき神からの罰なのでしょうな」


「いやはや話が長くなりましたが、メモリーノートの使用状況が確認できましたので、これより記憶の収奪を行います。一五時頃に記憶処理を行いますが、その前に思い残したことがあればご自由になさってください。自由意志を保ってノートに書き込めるのも、おそらく今が最後の機会でしょうな」



 袋小路はそう言いのこして奥の部屋に入っていった。


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