四 交流

 奇跡的に、俺と紫苑の帰り道での交流は続いた。


「へえ、ネザーランドドワーフか。あれ可愛いわよね」


「うん、俺、昔ふれあい広場で触ったことがあんだけど、結構すぐなついてくれてさ。めちゃくちゃ可愛いよな」


 昨日の切り口は成功だったらしく、うさぎトークは紫苑の興味を引くことができた。友達同士のときの笑顔とは違い、ふんわりとした表情を俺に見せてくれた。


「小野原さんはそういうとこに出かけたりとかするの?」


「あんまり。わたしんち、アウトドアはしないんだ」


「そうなのか。お父さんとかが忙しい的な?」


「単純にわたしが興味ないの。肌が痛むでしょ」


「めちゃくちゃ美意識高いし!」


 笑いながら歩く俺たちはさながらカップル……いや、流石におこがましいが過ぎるわ。それにしてもやはり紫苑の、というより家族の方向に話は進まない。

 まあ、俺もあんまりプライベートに突っ込まれるのは好きじゃないな。その辺りの距離間は分かる男でありたい。


 こうした帰り道トークは俺たちのルーティンになった。


 一週間程が経った学校での昼休み。飯島が弁当を持って、空いていた俺の隣に座った。


「なあ灯哉、お前、小野原になんぼ支払った?」


「別にそういう契約はしてねえよ」


「ありえんやろ普通! 小野原と灯哉じゃあ天とマントルほどの差があるわ!」


「せめて目に見える空間においてくれない!?」


「それぐらいありえへんっちゅうことや。俺が話しかけにいったとき、小野原どうしたと思う?」


「こんにちはーってか?」


「営業スマイルじゃ! もはや言葉も賜れへんで! 俺とお前の違いがどこにあんねん!」


「だってお前、めちゃくちゃ汗っかきなくせに着替えないじゃん。そういうとこだぜ飯島ちゃん」


「ぐぬぬ……まあ百キロメートル譲ってそれは認めたるわ。大学で見返したるから覚悟せい。んで、本題はこっからや」


「早くしてくれ、パンが冷める」


「もう冷めとるやろ。でな、俺はお前を諜報員に任命したいねん」


「ちょーほーいん?」


 飯島は手を組んで肘をつき、さながら組織の幹部みたいなおもむきで話した。


「スパイや、スパイ。お前も知る通り、小野原のことを知っとる奴はこの学校に一人もおらん思てる。俺たち男子はおろか、女子すらまともに会話が成立しとらんらしい」


「んなわけ、だってあいついつもグループで……」


「いるだけや、いるだけ。誰も小野原のことまともに知らんから、みんな気ぃつかってるんや。同中おなちゅうの人もおらんみたいで、むしろ灯哉が話せてることに驚きおののきリンゴの木、って感じやねん」


「真面目なのかふざけてんのか分かんなくなるから茶化すなよ」


「とにかくお前には小野原について分かったことがあれば何でも俺に教えてくれ。ええな?」


「いや、流石に人のプライベートは言いふらせねえよ」


「独占権も拒否権もない。ほな頼んだで!」


「あっこら! どこいくんだ!?」


 飯島は敬礼したのち、豪速で教室を後にした。きっとバスケの昼練だろう。

 ……俺は飯島の遺した弁当箱の処理に悩まされた。



▲▼▲▼



「もうすぐ期末試験だね」


「うん。わたし結構自信あるの」


 それから時は流れ、七月に入っていた。学校はテスト期間に入り、皆参考書などのテキストを片手に過ごしていた。


「俺だって、今回は君に負ける気がしないんだ」


「……点数の話?」


「ああそうさ。実は俺、小野原に近づくためにめちゃくちゃ頑張ってんだよ」


 もちろん、例のノートの話である。

 家に帰っては記し、覚えては問題を解く。そういう勉強のプロセスが身についてからは、自然と勉強が楽しくなっていた。


「競争心ってところか。まあ、必要な心理かもね」


「すっげぇ上からみたいだけど否めない! でも俺、ずっと気になってんだよ。どうしたらそんなに勉強ができるのかなって」


「わたしはまあ、それが今やるべきことだからって割り切ってるから」


 おお、さすが優等生。


「やっぱ格が違うな、俺なんか今まで何やってたんだって感じ。小野原みたいに何でも出来る人間じゃないから、あんまり努力してこなかったんだけど、」


「ちょっと待って。今、わたしが『何でも出来る人間だ』って言った?」


 あ、やべぇ、紫苑の目が般若になった。


「ごめん! そういうつもりじゃないんだ! 俺はただ……憧れてたんだ!」


「『憧れ』?」


「そう、俺の持ってない才能をいっぱい持ってる感じがしてさ。正直、凄いなぁって思ってたんだ」


 きょとんとする紫苑の顔が赤い。


「へえ……ありがとう。でも、わたしはそんなに大それた人じゃないから。あまりその……誉め言葉は使わないでほしいかな」


 明らかにその声は動揺していた。もしかして、意外と照れ屋なのか?

 俺は性格が悪いので、また調子に乗っていたんで、わざと紫苑をべた褒めすることにした。


「でも俺、小野原さんはホントに尊敬してるよ。スポーツ万能だし、合唱祭もずばぬけていい声してたし。君が作った調理実習の親子丼、もはや卵が幸せそうだったし。あと仕草が可愛いよ。話に合わせて手が思わず動いちゃうのとかずっと見てられる」


 これは全て俺が思った事実である。メモリーノートのおかげでこういったタイミングで言葉がスラスラと湧き上がる。


「も、もう分かったから……その言葉が噓偽りじゃないって信じさせてね」


 これだけやってもキモイって言わないあたり、育ちが良い。小野原家には勲章を授与すべきだ。

 すると、紫苑は突然足を止めた。


「実は、うちのお父さん、蒸発しちゃったの。お母さんはわたしを養うのに忙しいから、あんまり誰かに褒められた経験がなくて」


 それは思いもよらない告白だった。俺は純粋にその言葉の一つひとつに耳を傾けていた。


「勉強ができるとたまに褒められたけど、それってわたし自身の事っていうより、社会に適合できてるから偉いみたいで、あんまり嬉しくないんだ。ほかの事もそう。きっとどれもわたしが出来ることだから褒めてもらえるのは悪い気はしないんだけど、何故か素直に受け取る気にはなれない」


「そうか……それは、俺、意地悪しちゃったかな」


「ううん、いいの。悪気が無いってわかるときは本当に嬉しいから」


 俺と紫苑はいつの間にか目を合わせていた。そんな狐の赤ちゃんみたいないたずらな目で見つめられたら気恥ずかさで濡れてしまうよ。何言ってんだ俺。

 

「じゃあさ、俺、小野原さんに一つお願いがあるんだけど」


「何?」


「しっ、下の名前で呼んでいいかな? 紫苑って」


 どさくさに紛れて、ずっとそうしたかったことを伝えた。親しい人はちゃんと名前で呼びたいたちなのだ。


「いいよ。別に気にしないから」


 嬉しいのか微妙な答えに胸の高鳴りは収まった。でも、これはかなりの進展だと思う。いやいやこれ、ヤバくね? 今思ったけどヤバいよね? あっ、胸が爆発しそうです。


「……そういえば、わたしも君に聞きたいことあったんだよね」


「何ですか? 紫苑さん」


「はは、可笑しい。えーと、要件ってのは」


「なになに?」


「……君の名前。そういえば知らなかったなぁーって」



 …………ぢっぐじょおおおおお!!!!



 そうじゃん! 俺今まで名乗ってなかったかも! 紫苑と普通に会話が成立していたから忘れてた! ちょっと待って、もしかして俺はずっと『よく分からない馴れ馴れしい男子A』だったのかよ!? 顔が熱い!


「だ、大丈夫!? なんか、鉄板の上のかつお節みたいになってるけど」


「例えはもうちょいかっこいいのがいいかな! 俺、相馬っていいます! よしなに!」


「相馬ね、相馬。うん、覚えた」


「相馬灯哉が本名だぜ!」


「もうわたしの中では、君は『相馬』になったから。じゃあね、相馬!」


 それが別れの挨拶となり、紫苑は颯爽と駆けていった。あんときの飯島とは比べ物にならない美しさだった。


 にしても、紫苑って本当に魅力的だよな。


 俺はその情景を忘れないために、自室でメモリーノートを開くのだった。

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