三 ファーストコンタクト

 部活が終わっても初夏ともなればまだ空は明るい。


 俺は部活帰りを狙って紫苑に話しかけることにした。あいつは今は周りの女子と喋っている。その後、友達と別れたタイミングを見計らって話しかけるのである。


 我ながら完璧な作戦だ。

 惜しむらくは、何と声をかけるのか全然決めていないことか。


 善は急げというが、急いては事を仕損じるともいう。どっちのことわざを信じればいいんだ。

 文脈判断は俺の苦手分野なんだよ。


 そうこう悩んでいるうちに、紫苑は友達と別れ、校門を抜けてずっと先へと行ってしまった。帰り道の方向は同じらしく、俺は彼女の後をつけていく形になった。


 やっぱあれか? 「今日はいい天気ですね」って言おうか?

 いや夕暮れ時に、しかも仮にも一年間は存在を認知してる人とそんな切り口があってたまるか。

 なんで俺は入学時にあの子と話さなかったんだろうか。……ほかの人と同じで、避けられてたのかもな。


 よくよく考えたら、何でもかんでも一人で完結できる人にわざわざ話しかけに行くのって、なんだか怖気づいちゃうな。

 興味があることには変わりないが、こっちから詮索するのも失礼な感じがする。


 今日はやめて別の機会にしようか。

 その瞬間、突然紫苑がこちらに振り向いた。


 俺は何を見るでもなく首を右に九〇度捻った。ブロック塀だった。


「わたしに何か?」


 下手な誤魔化しは効かず、紫苑は明るさを含んだ声音で俺に話しかけてきた。その笑顔は見ていて安心する笑顔だが、それ以外の表情はあまり見たことが無かった。


 まさかの不意打ちだ。完全に不意打ちだった。しかしこれは不意打ちだよやべえどうしよう。

 そうだ、あの常套句。何だっけ。


「きょ、今日も良い感じですね」


「えぇ?」


 やべやべやべちょちょちょと待ってこれは終わった。

 はい、俺、終了! 明日のクラストップニュース決定! 間違うにしたってもっといい言葉無かったか!? いや、紫苑がいい感じなのは間違いじゃないが!


「もしかしてわたしにそれを言うためだけにここまで付いてきたの?」


 紫苑は眉毛だけひそめ、上げた口角を維持したまま訊いてきた。


 恥ずかしいが、「はい」か「いいえ」かで言ったらもはや肯定するしかない。もともと話しかけるためにこうしているんだからな。


「ああ、そうそう。うん、そういうこと。今までなかなか話す機会無かったし、紫お……小野原さんにはちゃんと伝えといたほうが良いと思ったんだ」


「変なの。でもその気持ちは有難く受け取っておく」


「あーありがとう。でさ、俺も帰り方面こっちだから、少し一緒に帰っていい?」


「いいよ」


 おおぉ! 何か棚ぼたじゃん! ラッキー!


 紫苑の傍に寄って、一歩分離れて車道側を沿い歩く。部活の後なのに汗臭さは全くなく、むしろ柔らかいラベンダーの香りが紫苑から漂っていた。

 俺は大丈夫だろうか。ちゃんとボディシートで拭ったが。

 もしかしたら紫苑と帰り道を共にした人類最初の人間かもしれないし。そういうとこはちゃんとしときたい。やばい、試合のときより胸がバクバクいってる。


 その緊張故か、最初の会話以来紫苑から話しかけられていなかったことに気が付かなかった。このまま家に帰るのはもったいないから、なんとか会話の糸口を探した。

 俺は紫苑の通学鞄についていたうさぎのぬいぐるみストラップを発見した。


「小野原さん、うさぎ好きなの?」


「生き物のなかだと大好きな部類に入るなぁ」


「そうなんだ! 飼ってたりする感じ?」


「飼ってはないけど、好き。……ちなみにこの子の名前、わかる?」


 紫苑はストラップのうさぎを指さした。うさぎにしては短い耳と、桃色の身体が特徴的なキャラクターだった。

 種族名か、キャラクター名か、はたまた紫苑が独自に付け名前か。見当もつかないが、とりあえず頭に浮かんだ名前を答えることにした。


「じゃあ、ももこ!」


 我ながら安直な回答だ。


「ふふ、本当にそう思う?」


「ああ、俺の直感が『この子はももこじゃ』って叫んでる」


「オーケー、じゃあこの子は今からももこって呼ぶわ」


「え?」


「実は名前決めてなかったの。でもこう聞いても誰もちゃんと答えてくれなかったから」


 つまり俺は紫苑のお茶目に振り回されたってわけか。

 全然嫌な気分がしないんだが。


 程なくして紫苑が足を止めた。


「それじゃあ、わたしこっちだから帰るね」


「うん、楽しかった! またお願いします!」


「えー、まあ、機会があればね」


 紫苑は踵を返すと振り向きもせず歩いて行った。


 でも、うさぎ好きなんだな。この後やることが決まった。



 家に帰り、夕食を済ませて自室に戻る。

 机の上には、数々の教科書に紛れている白いノートがあった。


 俺はそれをおもむろに開き、今日学んだことや新しく学びたいことを書き留める。書き損じはそのまま俺の誤解に繋がるため、小学生時代の書初めくらい丁寧に文字を書いていく。


 一文字書き込むごとに頭の中にイメージが流れ込むのを感じる。分かりやすく勉強している感じがあるなんて、未だに夢のようだ。


 二時間程で学校のことは済ませ、次に帰り道のことを思い出す。

 紫苑のことは鮮明に頭に残っている。思い出せるだけの情報を書き綴り、今後の話のタネにできるようにするのだ。

 あとはうさぎについて、種類や性質などをネットで調べて書き写す。


 そうして一日が終わっていく。

 俺の生活は専らメモリーノートを中心に動いていた。

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