第23話 黒い鳥は旅立つ③
血管が透けるほど白い、白い掌に収まった雛はすでに息絶えていた。
湿った灰色の産毛を何度も撫で、囁くように、語りかけるように唄う。薬草畑を囲む樹々の木陰に蹲り、この歌を動かない雛に向けてロビンは唄い続ける。
あのこはたいよう いつもまぶしく かがやいてる
あのこのひかりは わたしのかげを けしてゆく
何度となく枯れた花を返り咲かせてきた。
だから、生き物だって当然生き返る、筈では――??
閉ざされた目は開くどころか、瞼もぴくりと痙攣すらしない。
さやさやと樹々の枝葉が風に揺れる。暑くもなく寒くもない、程よく涼しい風、爽やかな気候なのに、全身に冷や汗がぶわっと湧き起こる。
「どうしたの、ロビン??」
近づいてくる母の声、足音に背を向けたまま、ロビンは途方に暮れた顔で弱々しげに尋ねる。
「お母さん、雛が……、雛が息を吹き返さないの。花を返り咲かせる歌を何度も歌っているのに」
「あぁ、それは無理よ。どんな強力な魔法を使っても一度死を迎えた者を生き返らせることだけはできないの」
ローブの裾が緩やかにはためく様を視界の端で捉える。隣に佇ずむ気配を感じたが、ロビンの視線は雛へと一身に注がれ、母に見向きもしない。
「なんで??花はいいのに生き物はダメなんて……、なんでなの??」
「花はね、根っこが残ってさえいれば命は僅かに残っていることになる。でも、生き物にはそれに値するものが無い。だから、死んでしまったらそれで終わりなの」
「…………」
雛は少しずつ冷たくなっていく。固く閉ざされ、二度と開かない目を、ロビンはかなしげに見つめるしかなかった。
ユーグに遅れて玄関ホールに足を踏み入れば、濛々と舞う粉塵に思わず噎せ込んだ。
軽く咳き込んで二歩、三歩……、と奥へ進むごとに充満する埃と血の臭いに吐き気を催す。胃からせり上がってくるものを飲み下して更に進めば、ホール一面に瓦礫の山が築かれている。
破壊の限りを尽くされた内装の赤砂岩の欠片、飛び散った硝子片、金属片に足を取られないよう、瓦礫が高く積み上がった箇所を避けて更に一歩、二歩……、進んだところで靴裏にねっとりとした水たまりを踏んでしまった。おそるおそる足をあげてみれば、靴裏に血糊が付着している。水たまりではなく血だまりかよ、と、身震いする。そして、瓦礫の下や周りには血の海に沈むヴァメルン兵達の死体が。
「エンゾ!何をしている!!」
大半は身体の一部が欠け、損傷の激しい死体が多く、堪え切れずその場で嘔吐してしまった。案の定、スレイヴと対峙するユーグから叱責が飛ばされたが、これはもう条件反射としか言いようがない。
元軍人なら凄惨な場面も肉片と化した死体が転がる様も見慣れているだろうが、こっちはあくまでただの平民。慣れろと言う方が俄然無理な話……、などと、心中で猛抗議しているうちに第二波がやってくる。
比較的崩れていない壁際へ駆け寄り、壁に片手をついて再び嘔吐する。その間、頭上からぱらぱらとひび割れた壁の一部が崩れ落ちてくる。
「貴様、生きていたのか……」
エンゾの後ろ姿をスレイヴが冷然と横目で見下ろしている。冷ややかな榛の双眸にちりり、仄かに憎悪の炎が燻っている、気がしないでもない。
「あー!エンゾだ!エンゾゾゾだぁー!!」
その炎は、ずっと階段に座り込んでいたロビンが立ち上がり、彼の名を叫んで駆けだしたことで増幅した。
一方で、ロビンの声を聞いた瞬間、止まることを知らなかったエンゾの吐き気は治まった。袖口でごしごし口元を拭いながら、笑顔で踊り場から無邪気に両手を振るロビンを見上げる。
なんなんだよ、あいつ。
俺を殺そうとしたのに、なんであんな風に笑えるんだよ。
こっちは裏切られた気分を引きずっているっていうのに。
頭は不信感でいっぱいの筈なのに――、ロビンとの再会に喜々とする気持ちも確かに存在し、怒りや憎しみよりも困惑が勝っていた。だから、瓦礫と死体の山を越えてロビンの元へ駆け寄ることも、この場でふざけんじゃねえ!と恫喝することもできず。ユーグがスレイヴに斬りかかろうと階段を駆け上がっていくのを傍観するしか術がなかった。
「わざわざジャン=ユーグ殿に自ら斬られに行くつもりか。それよりも再び防御結界を」
「やぁだー」
他の者が、例えば、かつての弟子や使用人風情がこのような口を利いたら最後、即座に張り倒すところだが――、張り倒す代わりにスレイヴはさっと爪先でロビンの足を引っ掛け、転ばせた。
「ひゃん!?」
「新しい主に逆らうつもりか??」
「奴隷よ、余所見している場合か??」
スレイヴが顔をあげた時には、緑と赤、二色の光に包まれたユーグの刃が眼前に迫っていた。
「いったああぁぁああ!!!!」
「なっ……!」
剣がスレイヴに振り下ろされる寸前、床に突っ伏したロビンの全身が刃と同じ緑と赤に発光する。突然の発光にユーグの動きがほんの僅かに鈍った一瞬の隙に、ひゅんひゅんと空気を裂く音を立てて暴風が発生した。
小さな竜巻に似たそれを避ける間もなくユーグは吹き飛ばされ、玄関ホールの入り口の壁に激突した、手から滑り落ちた剣が床に転がり落ちた音が煩く反響する。スレイヴも同様に吹き飛ばされ、ヴァイオリンを胸に固く抱えたまま、踊り場の端の床に全身を叩きつけられ、低く呻いていた。
「な、なんだ、ありゃ……」
目の前で起こった事態を飲み込めず、風圧の余波に巻き込まれたエンゾはその場に膝をつき、終始呆気に取られていた。剣を支えに起き上がったユーグが、瓦礫と死体の山を越えて再び階段に駆け上がっていく姿と足音でようやく我に返る。
踊り場では、立ち上がったスレイヴが身体をふらつかせながら、ヴァイオリンを弾き始めていた。
やばい、あの音楽が始まるか――、条件反射的に両手が耳を塞ぐ。ユーグの血で作られた魔血石のチョーカーが、首元でちかちか赤く輝きだす。
よかった、防音魔法が機能している。少なくともスレイヴの音は無効化される。ホッとして耳から手を離した時だった。
暴風に気を取られ、全く気づけなかった。
エンゾだけでなくスレイヴも、あのユーグですら気づくだけの余裕がなかった。
「そこまでだ!!」
残された追討軍(おそらくは予備兵)が開場されたままの玄関扉前に集まっていたことを。
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