第22話 黒い鳥は旅立つ②

(1)

 


 は、仄暗く湿った地下牢の鉄格子越しに燦然と輝いていた。


 月の光よりも白く輝く髪。雪よりも白く、氷よりも透き通った肌。限りなく透明に近い瞳の色。

 非の打ちどころのない完璧な美貌だけではない、歌声までもが――、地上に遣わされた天上人とはまさにこのことか。神への信仰心などないに等しいしむしろ真逆の存在ではあるが、彼の歌声と白い美貌はもはや神に近しい。

 あれこそが求め続けてやまなかった美。欲しい。手に入れたいと希った。








 物心つく頃から纏わりつく賞賛、喝采など聞き飽きている。口先だけの礼を述べるのも無意識の習慣と化していた。人前での演奏を機械的にこなすのも慣れきっていた。

 理想的な美しい音色の表現、そのために必要な演奏技術と美意識の向上以外はどうでもいい。だが、月日が経過し理想に追いつくごとに、演奏以外の些末事に煩わされるようにもなった。

 王侯貴族が開催する演奏会に定期的に出演依頼され、弾きたくもない曲を弾かされる。取りたくもない弟子を取らざるを得なくなる。寝食の時間を削り、理想の音を突き詰めてはいるものの時間がまるで足りない。

 募った苛立ちの捌け口は全て弟子達に向かっていく。練習という名の虐待まがいの理不尽な仕打ちに辞める者が続出する中、性懲りもなく残る者もいた。しかし、残る者に限って見込みのない出来損ないばかりで苛立ちと虐待は悪化していく。気づけば、法廷で(虐待の果ての)殺人罪による死刑判決を下されていた。


 誰もかもが自分を放っておいてくれないどころか、足を引っ張ってさえくる。ただ自分は、理想とする美しい音を静かに追求したい、それだけなのに。被害者はむしろ自分だ。

 だから、ヴァンサンがあの計画の協力と引き換えに免罪すると交渉持ち掛けてきた時、非常に珍しく感謝の念を覚えたものだ。例え、宮廷楽士セルジュからスレイヴという鳥に身分を堕とされても。

 地下牢という隔離された場所でなら思う存分好きなだけ美しい音の追求に浸りきれる。人を狂わせる音楽とて所詮は求める音のための試作品に過ぎない。求めていた状況はまさにこれだ。ずっとそう信じていた、というのに。










(2)



「何度も言わせていただきますが、貴方が悪いのですよ。貴方が」


 ヴァンサンの頭ががくりと落ちる。手足を含め身体が弛緩し、スレイヴの腕に更なる負担が掛かる。バジラールを引き抜こうにも簡単には引き抜けない。

 面倒になってきてバジラールを突き刺したまま、事切れたヴァンサンを階下へ突き落とした。遺体は踊り場から階段、階段の中段ら辺までへ転がり落ちていく。遺体を放り出した時点でスレイヴは背中を向け、階段に座り込むロビンへと歩み寄っていく。

 ロビンが腰かける段差より一段低い場所まできたところでスレイヴは足を止めた。


「これで私達は晴れて自由の身。今からお前の飼い主は殿下ではなく私だ」

「んんー??」

「踊り場と階段の間に仕掛けた防御結界を解除し、転移魔法で共にここから脱出しよう。ヴァメルンでもオルレーヌでもない、別の国へ」

「えぇー??」

「どこでもいい、転移した国で共に美しき音を奏で歌いながら二人で生きていくんだ。つべこべ言わずに今すぐ転移魔法を発動させろ」

 ヴァイオリンを抱えた腕を掴んで引き起こせば、首を傾げながらもロビンは詠唱した。詠唱を終えると同時にスレイヴはヴァイオリンを強引に奪い取る。

「それでいい。さぁ、次は転移魔法だ。お前程の力があればわざわざ魔法陣など描かずとも詠唱のみで転移できるだろう??」

「やぁだぁー」

「いやだ、だと……??」


 思いも寄らぬ拒絶に二、三度目を瞬かせる。僅かに表情を強張らせるスレイヴとは対照的に、ロビンはふにゃふにゃと笑っている。


「やぁだぁ、黒い鳥さんがみてるもん」

「黒い鳥??」

「黒い鳥さんはねぇー、ずっと、ずーっとぼくのそばを飛んでるんだよぉー。にげてもにげてもおっかけてくるの!」

「訳の分からないことを。これだから気狂いは……。妄言ではなく転移魔法の詠唱を」

「やぁあだもーん」

「もう一度説明する。たった今、お前の飼い主はヴァンサン殿下ではなく私になった。私はお前の飼い主、お前は私の所有物。私の命令は絶対……」

「ヴァンサン様!」


 懇切丁寧かつ苛立ちを交えた説明の最中に、聞き覚えのある声が階下から響いてきた。

 虚をつかれて振り返れば、階下の死体の山を避けながらヴァンサンの遺体に駆け寄る長身の影――、軍服ではなく質素な平民服を着ているが、あれは――


「なんてことだ……!まさか、貴方まで……!!」

 掲げていた剣を足元に置き、段差に跪いて遺体を抱き起すユーグの長く黒い前髪に隠された表情は絶望で暗澹としている。遠目からでもはっきり見て取れる。

「これはこれは、ジャン=ユーグ殿。追放刑に処されたにも拘わらず、わざわざ敵国に潜伏されていたとは思いもよりませんでした」

「……奴隷よ、貴様がやった、の、か??」

「わざわざ説明せずとも、貴方ならば察しがつくのでは??」


 様々な感情を押し殺し、平静を装ったユーグの問いを一笑に付す。奥歯をきつく噛みしめ、睨み上げるユーグを、ヴァンサンがヴァメルン兵にしたように高みから見下ろす。ヴァンサンと違うのは、スレイヴは高揚することなく普段と変わらぬ醒めた目でいることか。


 パラパラと瓦礫が細かく崩れ、一触即発の空気の中を粉塵が舞い飛ぶ。ユーグはヴァンサンの遺体を元の場所に下ろすと剣を手に取った。


「ロビン、早く転移魔法を……」

「うおぇぇえええっっ!!」


 立ち上がったユーグが再び剣を掲げ、スレイヴがロビンの元へすばやく後ずさったとき、嘔吐する声と音が辺りに響き渡った。

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