第21話 黒い鳥は旅立つ①
(1)
高台の王城へ一心不乱に馬を駆けさせる。
麓から城門まで続く馬車道ではなく、鬱蒼と生い茂る樹々に埋もれた小径を駆けていく。陽射しを遮る小枝が視界に迫り、枝葉がぴしぴしと顔面、首筋を叩きつけてくる。目に刺さらないよう注意して前進を続けていると、やがて王城が近づいてきた。
「おかしいと思わないか?!」
「あぁん?!何がだよ!!」
前方のユーグの叫びに、舌を噛みそうになりながら怒鳴り返す。しかし、エンゾに問うてきた癖にユーグはそれ以上は何も言ってこなかった。何なんだよ、と苛立ちと共に馬を走らせる速度を上げる。
小径は途中で途切れ、樹々の間を縫うようにゆるやかな斜面を駆け上がっていく。薄暗い森を突き抜け、視界が開けると同時に王城の裏門に到着していた。
「守衛こそ置いていないが、裏門は閉じられている、か」
馬上から赤砂岩の裏門を見上げ、雨どいのガーゴイル像を睨みながら思案する。
「私の勘が正しければ……、もしかしたら正門から簡単に入城できる、かもしれん」
「お、ちょ、待てよ!」
思案顔を崩すことなくユーグは馬首を返した。髪や服についた葉や枝を払う手を止め、エンゾは慌てて後を追う。
二層式の高い城壁に沿って馬を進ませる間も、城壁周りの守衛は誰一人として見かけなかった。
思ったよりもあっさりと正門前に到着してしまい、四本の太い円柱が支え、睥睨するグリフォンの彫刻を漠然と見上げている横で、ユーグは颯爽と馬から降りていた。慌ててエンゾも馬から降りようとしたが、慣れの違いでユーグのようにはうまくいかない。仕方なく、降りる動作を一つ一つ慎重に確認しながら、ゆっくりと下馬した。
「なぁ、ここにも守衛が一人もいない。正門なのに」
「やはり、か」
「どういうことだよ」
「門や城壁の守衛だけじゃない。我々が馬を走らせていた森にも常に衛兵が巡回していた筈なんだ」
「ああ、だから、おかしいんじゃないかって……」
「ヴァメルンの国軍が機能しているならば今頃は多くの兵が王城に召集されている筈だ。ここへ向かう道中、鉢合わせるだろう兵士達の目をどう掻い潜るか、考えを巡らせていたのだが……。この分ならば容易く潜入できるだろう」
馬を引いたまま、つかつかと門を潜っていくユーグのに続いて、エンゾも馬を引いてついていく。煉瓦とは違う赤い石畳を踏みしめ、三つの砲塔、城館へ続く内門を越え、厩及び蹄洗場で一旦足を止める。蹄洗場付近には馬が十数頭繋がれていた。
「馬がいるってことはすでに城内には兵士がいるんじゃ……」
「だろうな」
「だろうな、って……。そいつらに取り押さえられたら」
「そうなる前に私が抑える。お前は道化と顔を合わせた時のことだけ考えていればいい」
ユーグは自分の馬を他の十数頭に紛れこませるように同じ場所へ繋ぐ。彼に従い、エンゾも同じ場所へ馬を繋いだのだった。
(2)
スレイヴの気配に気づいた時にはもう時すでに遅し。
左胸から突き出た剣先を見てヴァンサンの高笑いはようやく止まった。
目を見開くヴァンサンを、スレイヴは背後からぐっと強く抱き寄せる。抱き寄せながら剣を更に深く深く突き立てていく。鮮血が、ヴァンサンの白い意匠を深紅に染め、スレイヴの黒服に黒々とした染みを拡げていく。
「このバジラールは、ロビンと共に死の音を奏でながら城内を巡回中、死体から奪い手に入れました。万が一の護身のために……、と思ってのことでしたが」
衝撃で声一つ上げられない、抵抗どころか振り向くことさえままならない。
硬直するばかりのヴァンサンの耳元で囁くスレイヴの唇は嘲笑に歪む。
「たった今、気が変わりました」
スレイヴの顔を見ようとしてか、ヴァンサンは眼球だけを忙しなくぐるぐる回す。宝石に似た美しいエメラルドの瞳は壊れた玩具のよう。
「貴方がいけないのですよ、
あえて陛下などとは呼んでやらない。
「前国王、前国王派閥の重臣達、ヴァメルン国王夫妻とその一派、末端の使用人含めた王城に住まう者達。これで貴方に逆らう者は誰もいなくなりました。それでもまだ、ロビンを私にくださるつもりがないようですし、私も、貴方の計画にお付き合いするのが少々飽きてきました」
「ぐあああぁぁぁぁ!!!!」
深く突き刺したバジラールで傷口をわざとぐりぐりと掻きまわす。苦痛に叫ばれようと、構わず何度なく傷をかき回す。絶叫は益々もって大きくなる一方で、耳障りで仕方ない。だが、流血の量が増えていくと共に声はだんだんか細くなっていく。後ろから抱えた身体の重みも増していく。
何度も後ろに倒れかけながらも、スレイヴはヴァンサンが息絶えるまでバジラールから決して手を放さなかった。
その一部始終を、ヴァイオリンを胸に抱え階段に座り込んだままロビンは不思議そうに眺めていた。
(3)
開放された正面玄関を見て、ユーグとエンゾは不審も露わに眉を潜めた。しかし、二人が不審に思ったのは何もそれだけが理由ではない。
玄関ホールから舞い飛んでくる粉塵、赤砂岩の玄関ポーチに散った細かな硝子片や金属片、果ては血と死臭が混じり合う不快な臭い。
二人揃って眉間の皺が一層深くなる。険しい顔付きで柄に手をかけながら、ユーグはすばやく中へ踏み込んだ。広い背中が玄関ホールの奥へと消えていく。自分も入るべきかどうか。躊躇いを完全に拭い去るのは不可能だ。不可能だけれど。
「ええぃ!どうとでもなりやがれっ!!」
決心とも自棄とも取れる叫びを上げると、エンゾは鼻を撮みながら思いきって中に駆け込んだ。
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