第13話 墓場鳥計画・序④
(1)
昏く湿った地下牢は、本来乾燥している筈の空気までもをじとり、湿らせていた。湿った空気に乗せてヴァイオリンの音色が牢内に鳴り渡る。真夜中なのを考慮してか、牢外の者達に気付かせないためか。音は蚊の鳴くような、ごく控えめに鳴り続けている。
「これはねー、おつきさまでしょー??あとは太陽さん!」
朧げなランタンの光を頼りに、ロビンは冷たい石床にしゃがみこんでチョークで何やらガリガリ描いていた。ランタンを掲げるヴァンサンは薄っすらと微笑み、ロビンの背中にさりげなく触れながら優しく話しかける。その様子を同じ牢内の隅の方で、ヴァイオリンを演奏するスレイヴはさりげなく横目で窺っていた。
「うんうん、他には何を描くのだ??」
「えっとー、うーん……」
「ほら、頑張って思い出してごらん??」
「うーん、うーん……」
道化の象徴である縞模様の服の縦縞をなぞるように。ヴァンサンはロビンの肩から背中にかけて、何度も何度も掌を滑らせて擦ってみせる。その動きに気を取られた訳ではないが(むしろ全く気にすらしていない)、ロビンはチョークを動かすのを止めて、難しい顔付きで小首をしばらく傾げていた。
数瞬後、ロビンは「あっ!!」と突然叫んで再び地面にチョークを走らせた。先程よりも明らかに素早い動き。白く、やや粉っぽい線で描かれたサークルの中にどんどん複雑な文様が描き足されていき、やがて魔法陣が完成した。
「えへへ、かんせー!!」
「よしよし、よくやったぞ、ロビン」
チョークを放り投げてはしゃぐロビンの頭を撫でつつ、ヴァンサンはスレイヴにさりげなく視線を送りつける。スレイヴは一瞥で応えると違う曲を演奏し始めた。
「スレイヴ、お前が作った『記憶を呼び起こす』曲の効果は素晴らしいな。それも、全てを思い出させるのではなく引き出したい記憶のみ呼び起こす。やはりお前は天才だ」
「恐れ入ります」
「しかし、まさか悪魔の召喚魔法も習得していたとは……。ロビンを迎え入れて心底よかったと思う。一歩間違っていれば、ヴァメルンの王族が我が国を攻め入るのにこの力を利用していたかもしれない。さぁ、ロビン。この魔法陣から呼び出したい者がいてね」
「え?!だれ!だれなの?!」
「インキュバスという者でね。私はその者に少々お願い事があるのだよ。だから、ぜひとも呼び出してくれないか」
「うん!いーよぉ!!」
ヴァイオリンに合わせてロビンは高らかに歌い出す。歌声に反応するように魔法陣は青白く輝きを放ち始める。光が強まるにつれて魔法陣を形作る文様が浮かびあがっていく様を、ヴァンサンはエメラルドの双眸を爛々と輝かせて見入っていた。
ユーグを供につけず、人目を忍んでたった一人地下牢に訪れたのは、禁忌魔法である筈の悪魔召喚を行うためだった。
目撃者はスレイヴのみ。秘密裏に処刑を取り下げ、別名を与えて生かすことを条件に、彼には絶対服従を命じている。だから彼の口からこの事が洩れることはない。万が一、他の者に知られてしまっても、
ユーグの忠誠心、生真面目さは時に煩わしく、計画遂行の裏工作が非常に謀りづらかった。たかが同じ乳を飲んで育ち、物心つく前からヴァンサンの良き臣下となるよう刷り込まされてきただけだというのに。
ユーグの忠誠心が如何程か試してやりたくなり、彼の婚約者だった娘に戯れで手をつけてみせたこともある。それでもユーグは顔色どころか眉ひとつ動かさず、淡々と事実を受け止めるのみだった。(その後、娘の側から請われて婚約破棄したらしいが)
そのユーグが、こと
青白く輝く魔法陣の中心にひとならざる影がうっすら蠢いている。ごくりと喉をならしつつ、ヴァンサンの目の輝きも一段と増していった。
(2)
後ろ手に革手錠をかけられ、エンゾは地下牢に転がされていた。その顔は痣だらけ、唇や目の端は血が滲み、鼻血が流れた痕で見れたものではなかった。
あの時――、突然巻き起こった旋風で動きを封じられ、庭園の人々の悲鳴を遠くの出来事のように聞きながら。風圧で押し倒れないよう足裏や膝に力を入れて踏ん張っていた。
やがて風が収まると、中庭は惨憺たる光景に変わり果てていた。色とりどりのバラの花弁、瑞々しい緑の葉は風に巻き上げられて全て散り、棘持つ茎が地面から突き出ているのみ。あちこちに散らばった花弁、葉を踏む貴婦人たちは日傘や帽子を吹き飛ばされ、綺麗に結い上げた髪がぼさぼさに乱れたまま呆然と立ち尽くしている。
ロビンは大丈夫なのか、そもそもどこに――、と辺りを見回そうとして、複数の足音と共に駆け付けた衛兵数人に取り押さえられた。その場で散々殴られ蹴られて気絶したところで――、現在の状況に至る。
しんと静まり返った空気、意識と共に頭も徐々にはっきりしていく。薄闇の中では判別し難いが、ロビンたちが収監されている地下牢とはまた別の場所、のような気がする。だったら、一体城内のどこら辺に繋がる地下なのか。
思考を遮る全身の痛みに小さく呻く。ただでさえ考え事は苦手だというのに、衰弱した状態では尚更集中し辛い。そうかと言って眠ってしまうのも怖い。眠りに落ちたら最後、二度と覚醒できないかもしれない。
「バッカ、みてぇ……」
元はと言えば、ロビンを侮辱されて激高してしまったせいだ。自身に対する侮辱には辛うじて耐えられたのに、なんでわざわざ他人のために短気を起こしてしまったのか。
あの衛兵の言葉が胸糞悪かったのも確かだが、限りなく真実に近いのも確かだった。ある意味言われても仕方ないし、今までのエンゾならば『本当のことだから言われる方が悪い』くらい割り切れたはずなのに。
『ねーねー、エンゾー』
思えば、ロビンはエンゾの大柄な体格にも目つきの悪さにも、常に喧嘩腰の態度にも最初から怯むことなく終始友好的だった。気が狂っているから、気にならないだけだとは分かっている。
それでも、(自身の態度が原因とはいえ)子供の頃より周囲から常に煙たがられ、遠巻きにされ続けてきたエンゾには思いの外嬉しかった、のかも、しれない。見下すでもなく怯えられるでもなく、普通に話しかけ笑いかけられることが。
「なんて、な」
固く冷たい石床で何時間も同じ態勢で転がるのも限界がある。呻き声をあげてエンゾはひどく緩慢な動きで、今度は左半身が下になるよう寝返りを打った。
「……あいつ、ちゃんと、メシ……、食わせてもらってる、か、……??」
「貴様が心配しなくとも」
扉を軋ませながら、感情を抑えた平坦な低音が牢内に静かに飛び込んできた。
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