第14話 墓場鳥計画・序⑤

(1)


 ざっ、ざっ、と近づいてくる足音に耳を澄ます。ぼやけた視界の端に軍服の一部がちらと映り込む。

 城内へ案内した時の青い軍服ではなく、本来纏うべき黒の軍服を纏っていたものの、先程の声で誰なのかは察していた。

 エンゾの顔の前で彼は立ち止まる。ブーツの爪先を見つめながら、何しにきた、と言いかけて――、できなかった。口を開くよりずっと早く、床に素早く片膝をついた彼――、ユーグがエンゾの髪を乱暴に鷲掴んできたから。痛みで頬を引き攣らせ、せめてもの抵抗でかすむ視界に映るユーグを睨みつける。牢内の薄闇よりも濃い黒を纏う男は一切臆することなく、むしろ、眉一つ動かすことなく吐き捨てた。


「貴様は自分が何をしでかしたか、全く分かっていないようだ」


 淡々としているが、声には明らかな怒りが含まれている。

 返答の代わりにつばを吐きかけてやろうとしたが、それもできなかった。厚みのある大きな掌で口を塞がれ、容赦なく頭を床に押し付けられた。

 抵抗しようにもユーグの腕力はエンゾよりも勝っていて、さすが親衛隊長務めるだけある、と、どうでもいい感慨が一瞬過ぎった。掌と石床の間にきつく挟まれ、胸が圧迫されて息苦しさにふーふーと呼気が乱れていく。


 しかし、その状態がしばらく続いた後、急にユーグの掌がエンゾからパッと離された。


 起き上がるだけの気力も体力もないが、身体の向きだけは辛うじて変えられる。先程よりもゆっくりと寝返りを打ち、手を放すと同時に立ち上がっていたユーグをもう一度睨みつけ――、エンゾの心臓が縮み上がった。


 冷徹に光る剣の切っ先が、エンゾの喉元に突き付けられていた。

 そして、悲鳴を上げる間もなく刃が振り下ろされた――










「ははっ、なにやら面白いことが起こっているぞ」


 階下に拡がる中庭から漏れ聞こえる騒ぎを、ヴァンサンは窓枠に手をついて楽しそうに眺めていた。その隣ではユーグが渋面を浮かべて同じく階下を眺めている。

 スレイヴはロングシューズの肘掛けに肘をつき、彼らが見ていないのをいいことに気だるげに姿勢を崩した。ヴァンサンが立つ窓とは反対側――、裏庭が一望できる窓からひそかにロビンとエンゾの動向を先程まで窺っていたというのに。


「今度の世話係は随分と面白そうだな」

「無駄な威勢の良さだけが取り柄の無能者ですよ」


 衛兵といがみ合うエンゾの後ろ姿に指を差すヴァンサンの背後でぼそり、つぶやいたのみ。心底どうでもよさそうだった。スレイヴの無関心など気にも留めず、ヴァンサンは何がそんなに面白いのか子供のように目を輝かせている。


「ほう!いっぱしに衛兵と決闘でもするつもりか??」

「揉め事は起こすなと……!」

 思わず、ぎりりと奥歯を噛みしめる。

「ヴァンサン様、窓から離れてください」

「これからが面白いと言うのに」

「ヴァンサン様」

「わかったわかった」


 ヴァンサンは呆れた顔で肩を竦め、仕方なく窓辺から離れ再びロングシューズに腰を下ろした。

 鋭さを増したユーグの眼光に恐れをなした訳ではない。単に面倒臭くなってきたのだ。

 わざとらしく吐き出される溜め息を背に、ユーグは帯剣する剣を素早く引き抜くと。陽光を浴びて鈍く輝く刀身を、切っ先を窓の外に掲げて口早に詠唱した。


 赤と緑の二色の光が刀身を一瞬にして包み込む。切っ先から旋風が発生し、轟音と共に中庭目掛けて勢い良く流れていく。

 階下から旋風が吹きすさぶ音、貴婦人たちの甲高い悲鳴が巻き起こる中、ユーグは剣を掲げ直して新たに詠唱する。たちまち、彼を中心に足元から天井高く虹色の光が螺旋を描きながら立ち上る。


「直ちに道化を、此処へ連行致します」


 言い終えた直後、虹色の光と共にユーグの姿はヴァンサンの私室から消失していた。












(2)


「……あ、れ……??」


 首を掻き斬られるものかと覚悟したのに。

 覚悟した痛みや斬られる際の衝撃ではなく、カキン!と硬質な音が耳元で響いただけだった。恐る恐る目を開けてみる。


 剣はエンゾの首から僅かに逸れ、石床に突き刺さっていた。

 目測が外れたのかとも思ったが、絶対違う。

 じゃあ、なぜ――、横目ながら刺さった剣先、石床に目を凝らしてみる。


 剣先が突き刺さった石床周辺には細かく赤い欠片が飛び散っていた。それが、チョーカーからぶら下がっていた魔血石だと気付くのに数十秒ほど費やした。


「あんた、なに、してんだ……??」

「あれは私の血から作り出された魔血石。魔血石の元である私が壊す分には何ら問題など生じぬ。今すぐ、この場で代わりを新しく作り出してチョーカーに取り付け直すことも可能だ」

「いや、そういう問題じゃなく……、って、あんた……」


 二の句が次げず、ごくりと唾を飲み込むエンゾを、相変わらず感情の読めない顔でユーグは見下ろしている。


「王族の親衛隊長は剣術や体術だけではなく魔術の習得も必須になっている」

「いや、だから」

「勘違いするな、魔血石を壊したのは貴様のためなどではない。貴様にしか話せないことがあるからだ」

「はぁ??それって、他の奴らに聞かれたらマズい感じの……」


 ユーグはその問いには答えず、黙って剣を引き抜いた。代わりに、再び石床に片膝をつくとエンゾの首元に刃を宛がいながら、告げる。


「貴様、エンゾ……とか言ったな。貴様を城から逃がしてやろうかと思う」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る