第10話 墓場鳥計画・序
(1)
厨房から地下牢まで移動する間に、盆に乗せた料理から立ち上る湯気は消えてしまった。食欲を刺激する筈の匂いも牢内の黴臭さで掻き消されていく。
ベッドに腰掛け冷めた料理の盆を膝に置くロビンを、エンゾは石床に胡坐をかきながら見上げた。
湿った石の冷たさが薄い布地を通して尻や脚、ひいては全身まで伝わってくる。寒気がぞわぞわ背中に走り、ごまかすべく貧乏ゆすりをするが、残念ながら牢内に椅子なんか置いていない。
ベッドに一緒に座ろうと、ロビンに誘われたが丁重に断っておいた。閉鎖的な空間で二人きり、しかもベッドで並んで座るなんて。ロビンの容姿が美少女然としてなくて、ごく普通の、どこにでもいそうな少年であれば、全く気にしなくて済むけれど――、などと考えていると、視界にごつごつした黄色い塊が飛び込んできた。
「いってぇ!」
塊はエンゾの眉間に当たって跳ね跳んだ。床に落ちる前に慌てて両手で受け止めてみせる。
「なんだぁ??ひよこ豆??って、いて!」
掌中で転がる歪な形の黄色い豆をまじまじと見つめようとして、今度は鼻先にさっきと同じ衝撃を覚えた。受け止める動きが僅かに遅れたせいで豆は床へ転がり落ちていく。
「おいこら、勿体ねぇだろ!」
「だってー、僕、ひよこ豆きらぁい」
ロビンは悪びれもせず木匙をスープ皿に突っ込み、掬い取ったひよこ豆をエンゾに向けて放り投げる。
三度顔面に豆がぶつかってエンゾは悲鳴を上げたが、落ちる前に片手で受け止め口に放り込んだ。
「お前な!」
「じゃーあ、きみが食べてもいーよー」
「好き嫌いすん」
好き嫌いすんな!と叫びかけて言葉を失う。
ロビンが透明に近い薄青の双眸をきらきらと輝かせ、木匙の先をエンゾの口元に差し出してきたからだ。
悪意など微塵も感じられない無邪気な笑顔と、木匙の中から『やぁ』とばかりにくちばし状の突起を突き出すひよこ豆を何度も見比べる。エンゾの探るような視線も気に留めず(むしろ分かっていなさそう)、ロビンは突き出した木匙を引き下げようとしない。
もしや、ひよこ豆を食べない限りは木匙を引き下げるつもりがない、かもしれない。
悟った途端、ロビンへの苛立ちや怒りは呆れと諦めに取って代わっていく。
渋々と木匙の先を咥え込めば、ロビンは満足そうな顔で木匙を引き下げる。しかし、ホッとしたのも束の間、ロビンはまたスープの中からひよこ豆を掬ってエンゾに突き付けてくる。
いい加減にしろよ、と怒りたくなったが、(何に対してかは全くもって謎だが)期待に満ちた笑顔を見せられればついつい絆されてしまう。
誰だ、可愛いは正義とかほざいたのは!正義どころか大罪だわ、大罪!!
次々と豆を差し出されては食べさせられているこの状況、羞恥の余りに死にそうである。無論、こんなことで死にたくはないけれど。
「ねーねー、エンゾさむいのー??」
「あぁ??別に寒くねーよ!」
「だってかおが赤いよー??」
「はぁ?!って近い近い近い!!」
息がかかるくらい間近に迫ったロビンの顔を押し返しながら、胡坐をかいたまま二、三歩後ずさってさりげなく距離を取る。高価な人形のような美貌、硝子のように透明かつ簡単に折れてしまいそうな首筋、熟れる一歩手前の、ほんの少しだけ青さが残る果実のような匂いに理性がぐらぐら揺さぶられてしまう。
当のロビンはなぜ距離を取られたのか理解できないようで、小首を傾げてエンゾを見下ろしてくる。
「いいから早く食べろよ!!ひよこ豆は全部食ってやるから、それだけ残してスープの汁だけ飲んどけ!!じゃないと『お散歩』に出掛けられないぞ!?」
「おさんぽ!やだ、いきたい!!いきたい!!」
木匙を握り直すと、ロビンは先程までとは打って変わってスープの残りを黙々と啜り始めた。
大人しく食事を続けるロビンにホッとしながら、床と同じく冷たく湿った壁に視線を移した。正確には壁を挟んだスレイヴの牢に意識を向けたのだ。
エンゾは一日に二回、魔血石による合図を受け取ると、ロビンとスレイヴ二人分の食事を厨房から地下牢へと運んでいる。腹を空かせて食事を待ちわびているロビンに対し、スレイヴはいつも牢に不在なのだ。
次の食事を運んできた時には空になった皿が牢の外に出してあるので、エンゾがいない時に地下牢へ戻って食事を摂っているようだ。時々なら別に気にならない。ただ、食事を運ぶ度に毎回だと――
「なぁ、ロビン。スレイヴの野郎は今日も『仕事』に精を出してやがんのか??」
「んー、たぶん、ヴァンサンといちゃいちゃしてるのかもー」
「はぁ?!」
「ヴァンサンはねぇー、僕よりスレイヴが好きだもーん。だってー、僕、スレイヴが作ったうたしか歌っちゃダメぇって、ヴァンサンに怒られちゃう!」
「あいつら、そういう仲かよ……」
うわぁ……と一気にドン引きするエンゾに構うことなく、「ごはんー、食べたらー、おさんぽ♪おさんぽ♪おさんぽー、大好きー♪」と、木匙を咥えながらロビンは軽妙な鼻歌を歌い出した。
(2)
――時、同じ頃――
豪奢な家具調度品に囲まれた私室にて、ロングシューズに寝そべりながらヴァンサンは束になった楽譜を気だるげな目付きで見入っていた。対のロングシューズには頭頂部から爪先まで真っ直ぐな姿勢を保つスレイヴの姿があった。
「よし、今度の実験ではこの曲を試奏してみるがいい」
「ありがとうございます。ところで殿下。恐れながら、私から提案がございます」
「提案??」
さっと身を起こし姿勢を正すヴァンサンにスレイヴは妖艶に微笑みかけた。悪い魔女が幼子を誘惑するような笑みに、返そうとした楽譜を手にしたままのヴァンサンの目に強い期待が込められていく。二人の背後の壁際でユーグが眉を寄せていると気付きもせずに。
「この曲をロビンに歌わせてほしいのです。勿論、私の演奏で。歌の楽譜はこちらに」
縁に金細工を施した象牙色のローテーブルに、スレイヴは新たな楽譜を置くとヴァンサンに差し出した。新たな楽譜を再び真剣に見入るヴァンサンを横目にスレイヴはつと立ち上がり、重厚なカーテンの影に隠れるようにして窓辺に立った。
「うむ、これは素晴らしいな!早速近々試してみようではないか」
「ありがとうございます」
視線は楽譜に落としたまま膝を打つヴァンサンを背に、スレイヴはどこか心非ずといった体で素っ気なく応じた。
冷たくも茫洋とした視線は、窓硝子を越えて裏庭を散歩するロビンとエンゾに向けて一身に注がれていた。
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