第9話 傾国

(1)


 柔らかな午後の陽射しを浴び、薬草畑のカモミールとナツシロギクが音もなく揺れていた。


 どちらもよく似た白い花弁に加えて、草丈の高さもあまり変わらないのでいまいち見分けがつかない。母曰く『カモミールは林檎の香りでナツシロギクは柑橘類の香り。開花時期もカモミールの方がナツシロギクより少し早い』らしい。

 腰を屈めてカモミールと思しき花をそっと手に取り、くんくんと匂いを嗅ぐ。次いで、ナツシロギクと思しき花も手に取って匂いを嗅いでみる。


「さっぱり分かんないなぁ」


 しきりに首を傾げるロビンの背後から足音が近づいてくる。日よけに被っていたフードを外して振り返れば、ロビンと同じくローブを羽織った母が小さな麻袋を手に佇んでいた。明るい陽光を受けた若々しい肌も鳶色の長い髪も一層艶めいて見える。


「水遣りはもう終わったの??」

「もちろん!」

 やるべきことはとっくに終わらせていると、足元に置きっ放しだったジョウロを掲げてみせる。子供じみたロビンの行動に母はくすくすと花が開くように笑った。

「ありがとう」

「ところで、お母さん。その袋は一体??」

「あぁ、これはね、魔法で造り出した新種の肥料よ。小麦が育ちやすいように乾いた土の質を変えるための。小麦の収穫量を増やしていけば、この国(ヴァメルン)がオルレーヌに戦を仕掛ける理由もなくなる。戦で徴兵された男手を喪わなくても済むようになるもの」


 小袋を顔の前に翳し、軽く振ってみせながら母の笑顔は深まっていく。

 ロビンの父は、彼が生まれる前に徴兵されて帰らぬ人となった。残された母はロビンを育てる傍ら、独学で魔法や薬草の知識を学び、いつしか高名な魔女として国中にその名が知れ渡っていった。(ロビンの真っ白な外見、生まれながらに魔力を持つこと、身体の成長が遅いことは、母が妊婦の時に魔力を得た影響によるもの)

 やがて、母の評判を聞きつけたヴァメルン国王に請われて仕え始めた。全ては戦以外の方法で国を繁栄させたい、戦で命を落とす男達や悲嘆にくれる女達をこれ以上増やしたくない一心ゆえに。


「国王陛下は何と仰っているの??」


 何気なく口にしたロビンの問いに母の笑顔に陰りが差した。

 翳していた小袋を力無く下ろすと、弱々しげに眉尻を下げる。

 その表情だけで大方の予想はついてしまった。


「陛下ご自身は、一度試してみたいと仰っていたわ……」

「『陛下は』、なんだ……」


 またか、と言いたいところを辛うじて飲み下す。

 母の類まれな美貌、(事実無根も甚だしい)王との不義密通疑惑で嫉妬に狂う王妃もだが、王妃以上に彼女の親族は本当に厄介極まりない存在である。王の外戚として権勢を振るいたいが余りに、王の右腕となった母の方策に何かと理由を付けては反対意見を繰り出し、対立するのが常だった。

 彼らは国よりも我が身の保身と権勢を守ることしか考えていない。

 それなのに、彼らは母を傾国だと痛罵しさえするのだ。

 傾国なのはむしろ彼らに他ならない。


 自分ならば、邪魔立てする者達に対して密かに呪詛を施すくらいはするのに――


 母は優しい人だ。優し過ぎるのが美点であり欠点でもある。

 その優しさがいずれ命取りにならないだろうか。



 風が強く吹き始めた。

 白く小さな花弁がひらひら、はらはら宙に舞った後、畑の少しだけ湿った土の上に儚く落ちていった。








(2)


 白地に金糸で草花模様の刺繍が施された天蓋はほぼ締め切られ、眠る国王の姿はほぼベッドの真正面のロングシューズに座るヴァンサンでさえほとんど見えない。否、あえて見せないようにしているのかもしれない。

 被害妄想のようであり、疑心暗鬼に陥りたくなるのに理由はある。病で寝たきりの国王の代理で謁見、質疑応答を行うのは国王の愛人コティヤール夫人だからだ。

 王の枕辺--、天蓋越しに置かれた椅子に座るコティヤール夫人は、僅かな隙間から中の王とぼそぼそ会話を交わしていたが、すぐにヴァンサンへと向き直った。


「ヴァンサン様、陛下は『墓場鳥ナイチンゲール計画はまだ実行しないのか』と――」

「ええ、一度により多くの人間を短時間で殺害できる歌や演奏を生み出すのに、今しばらく時間を頂きたく」

「『いつまで時間をかけるつもりかは知らないが、計画自体に無理があるのでは。そもそも、お前がヴァメルンの白き気狂い魔女とセルジュスレイヴの本名を囲うための口実にしたいだけでは』とも……」


 おっとりと国王の言葉を伝えるコティヤール夫人を、表面上は微笑みながらも怜悧な視線を送りつける。王の言葉を借りた上で、明らかにこの女の私見が混ざっている。

 整ってはいるが白粉を厚塗りした顔面も、高く結った金の髪も、これみよがしに首元を飾る大粒の真珠の首飾りも。夫人などと呼ばせてはいても所詮は公娼、平たく言えば売女でしかないのに。

 国王の代替わりと共に先王の愛人は全員修道院行きとなる。父王の篤い寵愛を受けながらもこの女が子に恵まれなかったのは僥倖であったが、ヴァンサンが未だに王太子のままなのはこの女の差し金に違いなかった。


 だが、この女が亡き王妃ヴァンサンの実母の如く傲然と振る舞えるのも今の内だけ。


 ヴァメルンから流れてきた美しき白い道化――、ロビン。

 彼と取り付けた三つの約束の最後――、『私が殺害を命じた者は、例え同胞のヴァメルン人であれ私の父であれ――、全て殺害せよ』を、彼が忠実に守りさえすれば、全ては上手くいく。

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