第6話 道化と奴隷②
(1)
荒い足音と、腰に帯剣した剣が大きく揺れてガチャガチャと鳴る音が長い廊下に響き渡る。
それらの音は廊下の突当たりで止まったかと思うと、今度はドンドン!と乱暴に扉を叩く音、「失礼致します!!」と怒気混じりの大声、勢い良く扉を開ける音が聞こえた。
扉を開けた瞬間、噎せ返るような濃厚な花の香り、おそらくはアマリリスの香り――、が、入室者、もとい、ユーグの鼻腔の奥深くまで突いてくる。
咳き込みそうになるのを堪えながら、香りと共に流れてくるヴァイオリンの音色を奏でる者と、傍らの真っ赤なベルベッドのシューズロングに寝そべる主を睨むように凝視した。
「何だ、騒がしいぞユーグ」
普段は一つ結びにまとめている灰茶色の髪を下ろし、くつろぎきった様子のヴァンサンは煩わしそうに問いかける。
ユーグはヴァイオリン奏者を横目できつく睨み、先程よりも抑えた声で問い返す。
「ヴァンサン様、これは一体どういうことでしょうか??なぜ、死刑宣告を受けた筈のセルジュが、貴方の私室にいるのですか??」
「セルジュなら死んださ。彼と違って才能も努力も足りない弟子の稽古中、弟子の出来損ないぶりに腹を立てて暴行した末の殺人の罪で今朝方縛り首になったよ。だから、私の目の前にいるのはセルジュじゃない」
「仰っている意味が理解し兼ねます。この男の
「私が違うと言ったら違うんだよ、ユーグ。セルジュは死んだ。この男の名はスレイヴだ。かの大帝国の言葉で奴隷という」
「ヴァンサン様」
ヴァンサンの乳母を母に持つ乳兄弟かつ、数年前から親衛隊長を務めているユーグは最も身近な存在だ。
そんなユーグをしても、時折、ヴァンサンの目論見が全く掴めない時がある。
幼い頃から天才的な音楽の才能を如何なく発揮し、氷柱を思わせる冷たく尖った美貌を誇るセルジュは昔からヴァンサンのお気に入りだった。
だが、いくらお気に入りとはいえ、勝手に死刑を取り下げるなど決して許されないことだ。
「ユーグ、まぁ、そう怒らないでおくれ。生真面目が過ぎるところが、お前の長所であり最大の短所だな」
ロングシューズに横たえていた身をゆっくり起こし、ヴァンサンはやれやれと肩を竦めた。
「スレイヴを生かす理由はそれなりの訳があるのだよ」
「どんな訳があるというのです」
「
『墓場鳥計画』と口にしたヴァンサンの顔つきが引き締まったものに変わり、ユーグはごくりと喉を鳴らした。
そんなユーグを愉快そうに眺め、ヴァンサンはくつくつと忍び笑いを漏らす。
「スレイヴは生まれながらの芸術家。人を殺すための音楽すらも完璧な美を求めるだろう。私はその曲を聴くことができないのが非常に残念だよ。さすがに死ぬわけにはいかないからね」
(2)
「これはこれは、ジャン=ユーグ殿。いつからここにいらしていたのです??」
エンゾとユーグが牢の前で待つこと、数十分。
スレイヴはようやく演奏の手を止め、彼らに向き合った。
「あんた、やっぱり王太子の親衛隊長様じゃねーかよ!」
ジャン=ユーグという名を聞いた途端、エンゾは隣に立つユーグに食って掛かった。
軍に入隊していた時、演習の様子を見学しに来た王太子に付き従っていたのを確かに目撃したのだ。
本来は将軍職と同じ黒の軍服を着用していた筈なのに、なぜ衛兵が着用する青の軍服なんか着ているのか、と尋ね、無視された怒りが再燃しだす。
「だから??それがどうした。貴様のような下々の者を相手するには、末端の兵の振りをした方が萎縮させずに済む、と判断した。それだけの話だ」
「はぁ??他のヤツはどーだか知らんが、俺はそんな腑抜けじゃねぇ!」
「ジャン=ユーグ殿。本当にこの男が新たな世話係なのか??」
いつの間にかヴァイオリンを、牢内の片隅に置いてあったケースに収めたスレイヴが、鉄格子を間に再び二人の前に佇んでいた。
長く赤い髪から覗くのは切れ上がった琥珀色の鋭い目、嫌味な程高くやや尖った鷲鼻、冷酷そうな薄い唇――、整ってはいるが冷たく、お伽話の悪い魔女を彷彿させる。
「良く言えば、無鉄砲で無駄に威勢が好過ぎる、悪く言えば騒がしいだけの馬鹿」
「なんだと?!このなまっちろ野郎が!!」
ガシャーン!!と派手に音を立てエンゾは鉄格子にしがみつき、隙間に腕を突っ込んでスレイヴの胸ぐらを掴もうとするが、ひらりと身を躱されたあげく二、三歩後ずさりされてしまう。
「これだから下々の人間は……。野蛮にも程があるというもの。しかも、こういうのに限って、意外と肝が小さいとくる」
「はっあ?!っざけんな!!」
「丁度いい。ジャン=ユーグ殿。実は、貴方が此処に下りてくる前に、私にも『仕事』が入った。彼にも是非見せてやるといい」
怒りで興奮状態のエンゾを羽交い絞めにして取り押さえたユーグは、スレイヴの提案に少しの間迷う素振りを見せたが、やがて「どうせ、遅かれ早かれ見ざるを得ないからな……」と許可を下したのだった。
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