第5話 道化と奴隷①
(1)
月灯りがひっそりと荒れ果てた庭園跡を照らしだしていた。
城の裏手にあたるこの場所は赤や黄色の煉瓦で作られた円形の花壇が三面、花壇の端には蔦が絡みついた小型の木製アーチ、それらの周囲にライラックの木が植生されている。
しかし、現在はろくな手入れをされていないようだ。
花壇の花々もアーチに絡みつく蔦も枯れ果て、ライラックは枝も葉も伸び放題、隣に並ぶ木同士の枝葉が絡み合い、互いに成長を邪魔し合っている。
月の青白く冷たい光は、この裏庭に一層の昏さと不気味さを浮かび上がらせていた。
城から逃亡する為、警護役の衛兵達の目を掻い潜る隙や、どこかに抜け道がないのか。
真夜中が訪れるのを待って、エンゾは宛がわれた(小さな物置部屋を空けただけの、手狭且つやたら埃臭い)自室を抜け出し裏庭で下調べをしていた。
息を潜め音を立てないよう足音を忍ばせ、ランタンも持たず慎重に草木を掻き分ける。
ガサッ!ガサガサッ!!
明らかに自分が立てたものではない、木々の間を潜り抜ける音がエンゾの元に近づいてくる。
突然の大きな物音に驚きと、見つかってしまったかという焦りと恐怖。
咄嗟にすぐ傍の、ほとんど枯れてしまったシダの茂みに身を隠した数瞬後、エンゾと入れ替わるように真っ白な人影が飛び出した。
年のころは一〇代半ばくらい。
不揃いに伸びた白い髪が月光を受け、銀糸のような眩さを湛えている。
エンゾが隠れる場所からでは背中しか見えないが、きっと美しいに違いない。
顔は見てないけれど直感でそう思った。
白い少女(背格好と服装からそのように判断した)は花壇の前で立ち止まると、両手を大きく広げて歌い出した。
あのこはたいよう いつもまぶしく ひかりかがやいている
あのこのひかりは わたしのかげをけしてゆく
わたしのからだとこころも すべてけしてゆく
すべてきえる すべてきえる すべてきえてゆくよ
きえる きえる わたし きえてゆく きえてゆくよ
エンゾは神も悪魔も、天国も地獄も信じない。信じないが――、もしも、万が一、億が一でも、天使がほんとうに存在したとして。
天使の歌声とはまさに今聴こえてくる、白い少女の声を指すのでは――??
髪と肌と同じく透き通った声は、母の胸に抱かれ安心して眠る幼子みたいな気分に陥らせた。
穏やかに凪ぐ海のような――、こんなに気持ちが落ち着くのは一体何年振りになるだろう。
だが、これは更なる驚きへの序章に過ぎない。
歌が最後まで進み、続けて何度も繰り返している内に花々の黄変した葉や茎が瑞々しさを取り戻していく。
ほとんど枯れてしまった花々は徐々に色味を帯び、矢車状に花が開き出す。
歌が、花々に新たな命を与えた。
眼前で繰り広げられる幻想的な光景に自然と身体が震えだす。
そして――、こちらを振り返った少女は無邪気に笑っていた。
(2)
「鳥達の食事の時間はまだ当分先だが、無暗に城内をうろつかれても迷惑だ。だから先に世話をする鳥達に会わせることにした」
地下へ続く階段を下りながら、エンゾは無表情を保つユーグの後頭部ら辺を睨みつける。
王太子からの手紙を手に、故郷の田舎から勢い勇んで王城の正門前までやってきたのは今朝、ここまでは何事もなく順調だったのに。
門扉前で突っ立っていて、警護の衛兵たちにあわや追い払われかけたことが全ての始まりだ。
衛兵に手紙を突きだし、辛抱強く黙って待ち続けること約一時間。
裏門に回れと指示を下され、更に一時間近くかけて城の周囲を迂回し裏門に到着するとユーグが待っていた。
最小限の説明だけして、ユーグは例の如く無駄口は一切叩かずエンゾを城内へと案内する。
その後ろ姿、立ち居振る舞いに見覚えがある――、薄暗い城内の長すぎる廊下を進みながら、エンゾは記憶の糸を手繰り寄せたが、いまいち思い出せない――、否、思い出した!
思い出したついでに、ユーグにある質問を行って彼の素性を確かめようとしたが、彼は返事すらせず無視を決め込んだ。
壁に拳を叩きつけ、穴を空けてやりたい衝動に耐えながら最後の一段を下りる。
すると、前後に並ぶ二つの牢の手前から、美しいヴァイオリンの音色が流れてきた。
「奥の牢にいる道化は仕事中で、今は牢内にいない。ヴァイオリンの音は、手前の牢にいる奴隷が弾いているものだ」
「奴隷ぃ?!」
「厳密に言えば、ヴァンサン様からは『スレイヴ』と呼ばれている。かの大帝国の言葉で奴隷を意味するそうだ」
だから奴隷か、と納得しつつ、同時にそんな呼び名で良く平然としていられるものだ。
エンゾは鉄格子の前に立つ。
ヴァイオリンを弾いているのは真っ赤な長髪が印象的な長身痩躯の男だった。
赤く長い髪から垣間見える横顔の雰囲気から、中々整った顔立ちだがひどく冷淡な印象も受ける。
「スレイヴ、紹介しよう。今日から貴様らの世話をする者だ」
軍服に似た形の黒い服を着るスレイヴは、ユーグに呼びかけられても尚、鉄格子の外をちらりとも見ようとしなかった。
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