第4話 牢の中の鳥
年若い衛兵に付き添われた少年が地下室へと続く階段を下りていく。
夜間でも煌々と明かりが灯された城内の廊下や回廊とは違い、薄暗くじめじめと湿った階段は気を抜けば足元を取られかねない
食事を乗せた盆で両手が塞がっているので、段差を踏み外さないよう慎重に足を下ろしていく。
先に下りていた衛兵が階段の先で少年を見上げて待っている。
慌てて最後の一段を下りると、一瞬だけ足が石床の上で微妙に滑りかけた。
運良く、尻餅をつくことも食事の皿を床にぶちまけることもなく、ホッとしたのも束の間――、今度はどこからか歌声が流れてきた。
らんらんらん くるよ くるよ
らんらんらん もうすぐくるんだよ
らんらんらん らんらんらん
もうすこし あとすこし……
「あのぅ、今聴こえてきた歌声はいったい……」
美しくも不可思議な歌声が地下室の低い天井に反響し、気味悪そうに衛兵を振り返る。
怯える少年とは違い、気にならないのか、もしくは慣れてしまったのか―――、は分からないが、衛兵は平然と黙ったままでいる。
少年は今日王城に訪れたばかりで、当然案内役の衛兵とも初対面だ。
この衛兵も衛兵で顔を合わせた時から眉一つ動かさず、無表情を保ち続けているので何だか不気味である。
「お前が今日から世話を任される鳥達の一羽の歌声だ」
地下牢の鳥の正体は、罪人でありながらヴァンサン王太子の寵愛を密かに得ている者達――、というのは事前にこの衛兵から聞かされている。
たかが鳥の世話ごときで王城に上がれるとは――、と、不安混じりの期待を抱き田舎から単身出てきた少年は、確かな身分の者ではなく貧しい平民がこの役を任されるのか、なんとなく理解できた、気がした。
人知れず地下牢に囚われているくらいだから、どんなに見目が良かろうと頭がイカレているか、性根が腐りきっているか、その両方か――、とにかく普通でない者の世話など少なからず危険に違いない。
前任者がことごとく長続きしないという話が最も足る証拠だろう。
「どうした、怖気づきでもしたのか」
「まさか!ユーグさん、でしたっけ??この食事は手前と奥、どちらの牢に運べばいいんですか??」
「奥の牢へ、今歌っている白い道化の元へ運べ」
心中で湧き起こる不安と迷いを振り払い、気を取り直した少年はユーグという名の衛兵の命に従い、階段と同じく黴臭く湿った石造りの外廊下を奥へ、奥へと進む。
外廊下の左側の石壁に等間隔に灯された篝火がゆらゆら揺れ、目的の一つ手前の牢を通り掛かり様、横目でちらと中を盗み見る――、が、牢の中は一段と濃い闇に覆われていたので住人の姿は確認できなかった。
対照的に、奥の牢は手前の房よりも闇の色が薄いように感じた。
その理由も、中の住人と鉄格子越しに対面するなり納得した。
奥の牢の住人は、髪も肌も目も全てが真っ白な美少女だった。
寝台に腰掛ける少女は高い天井に取り付けられた、小さな丸い明かり取りの窓から牢内に漏れる僅かな陽光を茫洋と見つめながら歌い続けている。
少女の人間離れした美しさを喩えるための言葉など、学を持たない少年が持ち得る筈もなく、ただただ、ひたすらぼぅっと見惚れるばかり。
「何をぼんやりとしている!」
「うわぁ?!」
「うひゃん?!」
頭上からユーグに一喝され、少年は危うく食事の盆を床に落としそうになった。
白い少女も間の抜けた悲鳴を上げ、寝台から勢いよく飛び上がると同時に二人の存在にようやく気付いた。
「あー、ユーグさんだぁ!ゴハン持ってきてくれたんですかぁ??やったぁ、ゴ・ハ・ン~、ゴ・ハ・ン~♪今日のおいしいゴハン~♪」
ひたすらゴハン~、ゴハン~♪と飛び跳ねながら繰り返し歌う無邪気な少女に、鉄格子の前で少年は「かわいいなぁ……」と思わず頬を緩めた。
「なにが可愛い、だ。あれはただの気狂い道化なのに」
それまで一貫して無表情だったユーグが唇を歪め、苦々しげに吐き捨てる。
ユーグが見せた表情の変化に驚いて彼を見返す少年に、語るというよりひとりごちるように呟く。
「あれは元々、敵国ヴァメルンからの国外逃亡者、それもヴァメルン国王の右腕だった魔女の
「あの……」
「なんだ」
「いえ、その……」
少年はユーグの発言の中から、一つだけ違和感を覚えた言葉が引っ掛かった。
「今、息子って、言いました、よね……??」
「あぁ、確かに言った」
ユーグは額や頬にかかる黒髪を指先で払うと冷笑を浮かべてみせる。
軍人らしく精悍な顔立ちに篝火の赤い影が差し込み、ゾッとする程の静かな迫力が帯びていく。
「あれは男だ。厳密に言えば、男だった」
「え??」
「いくらヴァンサン様が美しい人間を大層好むとはいえ、あの御方は決して馬鹿ではない。普段は奴隷を住まわせている地下牢に投獄すること、少女的な美貌と歌声を生涯保つことをお傍に置く条件とした。一つ目はともかく、二つ目の条件が意味するのは何か解るか」
眉を寄せて首を捻るばかりの少年に、ユーグの冷笑は益々深みを増した。
物覚えの悪い教え子に言い聞かせるように、一語一語の意味を確かめるように、ゆっくりと告げる。
「あれは去勢されたのだ。去勢の際、筆舌に尽くしがたい痛み苦しみによって気が触れてしまったが、美貌と歌声は全く変わらなかった。今では奴隷共々ヴァンサン様のお気に入り。だから丁重に世話をしろ、くれぐれもあれの美貌に惑わされたり、気狂い振りに同情などしないように。いいな??まずは最初の仕事、その食事を牢内に運んで食べさせろ。ほら、さっさと動け!」
牢の鍵を外したユーグに再び一喝され、呆然と固まっていた少年は逃げるように鉄格子の向こう側へ駆け込んでいく。
這う這うの体といった少年を、「いらっしゃーい、君、新入りさん?!」と白い少年は場違いな明るさで迎え入れる。
次第に打ち解けていく二人を冷ややかに眺めながら、今度の世話係はいつまで持つだろうかとユーグは考え込み――、すぐに無駄なことだと頭を振った。
ヴァンサンがロビンに掲示した条件には三つ目がある。
言わなくても近いうちに必ず知ることになるし、国家機密に当たる事柄のため、いずれその時が来るまで決して口外してはならない決まりであった。
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