第3話 エンゾという男②
夜空に浮かぶ月を天使達が囲む天井画、壁の至る所に飾られた色とりどりのタペストリー、跪いた爪先から最奥の王座まで続く長い長い鮮やかなワイン色の絨毯。
オルレーヌの王城は故国の王城よりはるかに広く豪奢だった。
「面を上げるがいい」
頭を垂れるロビンに向けて上座から声が降ってきた。
両脇で彼と同じく跪く衛兵達と共にゆっくりと顔を上げると、彼らより数段高い位置に座す人物を真っ直ぐに見据える。
気怠げに肘掛けに凭れかかる姿勢を正しもせず、その人物はロビンの視線を避けることなく、美しいエメラルドの双眸で受け止めた。
染み一つない、つるりとした頬を愉快そうに歪めながら。
「我がオルレーヌに隣国ヴァメルンからの難民が密かに流出してくることは左程珍しくはない……が――、お前程の美貌の持ち主は初めて目にした。名はなんという??」
「ロビンと申します」
「ロビン!なるほど、名は体を表すと言うけれど、路上で歌を唄い路銀を稼いでいたというだけに!知っているか??ロビンというのは、海を越えたかの大帝国の言葉ではコマドリを意味するそうだ。何と似合いの名なのか!」
「勿体なきお言葉、ありがとうございます」
灰茶色の長い髪を揺らして芝居がかった口調で褒め称えてくるので、ロビンは再び恭しく頭を垂れてみせた。
失敗する訳には絶対にいかない。
乾燥地で小麦が育ちにくい故国ヴァメルンは豊かな土壌を持つオルレーヌと比べて貧しく、また、度重なるオルレーヌとの戦で働き手の男達を失い、生活が困窮する民の数も少なくない。
使用言語も訛りが多少違う程度でほとんど変わらないことから、国境を越えてオルレーヌに移住する者も後を絶たない。
だが、オルレーヌ側も黙って見過ごす筈もなく、『ヴァメルン狩り』と称して流出してきたヴァメルン人を取り締まり国外追放する、場合によっては投獄されるか最悪処刑されてしまうことも。
ロビンはわざと路上に立って歌うという目立つ行動に出てその土地の自警団に拘束され――、こうして王城の謁見の間まで辿り着いた。
全ては、王太子ヴァンサンと謁見するために。
ただの流出難民であれば王城に連行されるまでには至らなかっただろうが、ロビンには人間離れした美貌という武器がある。
ヴァンサンは男女問わず美しい者をこよなく愛し、例え、救いようのない凶悪な罪人であっても条件付きで自分の傍に侍らせる――、らしい。
だから、その噂に賭けてみようと思った。
「ロビン、お前の歌声を私に聴かせておくれ」
「仰せのままに」
未だ王太子の身とはいえ、病床に伏せる国王に代わり国の実権を握る、目の前で自分を値踏みするように見つめるこの男に、何としても気に入られなければ。
例えそれが、裸足で茨の獣道を走り続けるようなものだとしても。
冷たい石の床に腰を下ろし、表面が所々剥がれ落ちた壁際に背を預ける。
月の光が頑丈な鉄枠で囲んだ明かり取りの窓から差し込み、薄暗闇をほんのりと照らしだす。
淡い光の下を小さな黒い影がさっと通り過ぎ、その正体が鼠だと気付いたエンゾは鼻先を顰めた。
ついカッと頭に血が上って大暴れした後、酒場に駆け付けた自警団に拘束された時にはすでに冷静さを取り戻していた。
それでも見せしめに集団暴行を加えられ、地下牢に投獄されること数日が経過したけれど――、札付きの不良青年で有名なエンゾはこの程度ではちっともへこたれていない。
「少しは反省したか??」
「反省するって何をだよ??」
地下牢の扉が開き、ランタンを手にした男が、おそらくは自警団の団長が牢内に入ってきた。
薄ら笑いを浮かべて皮肉っぽく返せば、男は不精髭の生えたエンゾの頬に当たるか当たらないか、擦れ擦れのところまでランタンを近づける。
「あっぶねぇな!火傷するだろうが!!あぁ?!」
「何なら、殴られた痣だけじゃなく火傷痕も残してやろうか??」
やれるもんならやってみろ、取り立てて男前でもなければせいぜい十人並みの顔だし、と挑発してやろうかと思ったが――、やめた。
怖気づいたというより相手にするのが面倒になってきたからだ。
「まったく、お前って奴は……。十八にもなって、まともに働きもしなきゃ日がなフラフラと遊んでばかり。死んだ親父さん達が天国で嘆いているぞ!一体何がそう気に入らないってんだ??」
「何がって??何もかも全部だよ。こんな、小麦畑に埋もれて牛や馬の臭い糞に塗れて、税を取り立てるクソ役人どもにぺこぺこ頭下げて人生が終わっていくなんてさ、つまんねえしやってられるかよ。俺はさ、もっと、こう……、誰にでもできることじゃなくて俺しかできないことがやりたいんだよ」
唇を捻じ曲げて吐き捨てるエンゾを、男は憐れみとも蔑みとも取れる目をして肩にポンと手を置いた。
「あのな、エンゾ。『つまんねえ』ことすら投げ出すお前に、そんな大層なことができると思うのか??」
「あぁん??」
「現に『俺しかできないことがやりたい』とか言って軍隊に志願した癖に、入隊して一か月もしない内に出戻ってきたじゃないか」
「あ、あれは……、上官がクソだったから……」
ふいと顔を背け、ぶつぶつと言い訳を述べるエンゾに、男の目に宿った憐れみと蔑みは益々色濃くなっていく。
口に出さないだけで、男にとってのエンゾは『偉そうに減らず口を叩いては大言壮語を吐くだけしか能のない役立たず』という認識しかない。
男だけではない、エンゾを知る者のほとんどはそう思っていることに彼は全く気付いていない。
「まぁ、過ぎた話を持ち出すのは止めにして……、お前に良い話を持ってきてやったんだ」
「良い話??そんなこと言って、どうせろくでもない……」
「まぁまぁ、最後まで聞けよ。実は二日くらい前にな、うちの村に王都からの勅令が下ったと村長から知らされたんだ」
「へぇ……、クソ程辺境の村なんかに??めっずらしい。で、王様から何て命令がきたんだよ」
「厳密に言うと、国王陛下じゃなくて王太子殿下の勅令の内容だが」
「この際どっちでもいいよ、んなこたぁ」
「ちったぁお前も黙って話を聞け。王太子殿下が飼われている『鳥達』の世話係を一人、この村から選出し王城へ送って欲しい、とのことだ。以前も他の街や村から世話係を集めては王城に招いていたらしいが、全員長続きしなかったらしい」
「は??鳥の世話するだけの簡単な仕事なのに??」
「そう、簡単な仕事さ。でも、ただ王城に上がるだけじゃなくて王太子殿下のお傍近くで働くんだ。誰でもできる役目じゃない、俺達みたいな平民なら尚更な」
『誰でもできる役目じゃない』という部分を殊更強調してやると、エンゾの目の色が明らかに変わった。
髪と同じ濃い栗色の鋭い目が輝いて見えるのは、月の光とランタンの光を受けているせいだけではない。
期待に満ち溢れたエンゾの視線を間近に浴び、男は苦笑を漏らさないようにするのに少し苦労した。
「つまりな、うちの村からはエンゾ、お前にその役目を任せたいんだ。俺が独断で言ってる訳じゃない、村長始め村の重役達も含めて同じ意見さ。どうだ??」
「――やる。やるに決まってんだろ??」
エンゾはこの村から出ていく切欠をずっと待ち続けていた。
今度は、今度こそ、二度とこの村には戻らず、自分にしかできない役目に誇りを抱いて生きていける。
目の前に開いた新しい道への期待、静かに胸を躍らせるエンゾの傍らで、男は肩の荷が下りたとそっと息を吐き出していた。
あの噂が真実ならば、自分達が手を汚すことなく厄介者を村から追い出せる。
『王太子殿下の鳥達の世話を任されたものは、二度と王城から出てくる事はない』
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