episode2  Jealousy and punishment

多くのスタッフが行きかう広く明るいオフィスで、全面ガラスになった窓を背に、沙奈はパソコンへと指を走らせていた。

おしゃれと自由環境を合言葉に離れて置かれている各職員の机を見渡す位置に沙奈のデスクは鎮座しているものの、入り口から一番遠いこの場所を沙奈はあまり気に入っていない。

電車通勤である沙奈にとって、1本の乗り遅れは10分の帰宅遅延に繋がってしまう。

美優の為になるべく帰宅が早いに越したことはない。

「チーフ」

不意に声を掛けられて顔を上げると、部下の斎藤栞が書類を持って立っていた。

前下がりのストレートボブの髪が顎の下で揺れる。

整った顔立ちにまだ少しのあどけなさを残したその瞳に、勝気な性格が覗いていた。

「何?」

返事をすると、そのまま持っていた書類を手渡された。

「この書類なんですが、こことここ、チェックと訂正をお願いできないでしょうか」

丸で円が描かれた場所を、身長と比例した小さな指が指し示す。

サラリと目を通しただけで、修正が必要だと分かった。

「貴女がやってくれていいわよ?」

書類を返しながら答えると

「部長が私では駄目だと……」

少ししょんぼりとした様子で言った。

あのじじいめ。

フロアのパーテーションの向こう側に陣取る管理職を軽く睨みつける。

腕時計を見ると時刻はもうすぐ17時。退社時間まであまり時間がない。

「あの、明後日使用する資料なので、もしよろしければ明日、お宅まで私が書類を取りに伺います」

沙奈が2年前から残業しなくなった事を知っている勤続5年目の優秀な部下の気遣いに沙奈は微笑んだ。

「日曜日のレセプションを貴女たちだけに任せているだけでも心苦しいのに、そこまでさせられないわ」

「いいえ、チーフには無理してほしくありませんから。私でお役に立てれば逆に光栄です」

栞が書類の訂正すればいいだけの話しなのだが、課長のご指名とあらば沙奈がやるしかない。

部長である神場は沙奈の事を高く評価してくれている一方で、なぜか栞には仕事をあまり任せようとしない。

『仕事をして褒められたいと思っているうちはダメだ』というのが、その理由らしいが仕事の分配の意味において、結果的に沙奈ばかりに負担を強いるその理論は今すぐ捨て頂きたい。

今仕上げている仕事を片付けてから、この書類をいじるとなると残業になることは確実。

「そうね……じゃあ明日の10時頃に取りに来てもらってもいい?」

「はい」

花が咲いたような明るい笑顔で返事を残し、自分のデスクへ戻っていく栞の背中を見送りながら、栞が以前に沙奈の家を訪ねてきた時の事を思い出す。

家を二人だけの空間であり、自身の避難所にしている美優にとって、他者の侵入はあまり喜ばしいものではない。

キレて暴れるまではいかなかったものの、しばらくご機嫌取りに時間がかかってしまった。

薬を盛られて気を失っている間につけられた、血がにじむほどの歯型の痛みが一週間以上消えなかった苦い思い出が蘇る。

(ま、その後死ぬほど怒ったからもう薬は使わないだろうし、前回も暴れなかったから大丈夫でしょ)

10時ならば美優はまだ寝ている可能性が高い。

手早く目の前の仕事を片付けていく。

スマホが振動でメールの着信を知らせる。

美優と表示させた画面をスライドさせると『今日はアスパラガスとベーコンのペペロンチーノだよ~』と楽し気な絵文字入りの文面が躍っていた。

素早く指を動かし返信する。

『ケーキ買って帰るね』

送信後、数秒でスマホが再度揺れる。

『分かった!出来上がり少し遅らせて待ってる』

画面に小さく微笑んで、再び仕事へと意識を戻す。

本日の就業時間終了まで後少し。


+++


深夜、美優の眠ったベットを抜け出して、沙奈は一人、リビングのラグに直接腰を下ろして家のノートパソコンで夕方栞に渡された資料の修正に取り掛かっていた。

一時間ほどでほぼ完成した資料を見直しながら、冷めてしまった紅茶を口に運ぶ。

アールグレイにアップルティー用の茶葉をブレンドした最近お気に入りの配合で淹れたお茶は、冷めてもその香りと味わいで沙奈を癒してくれる。

ホッと一息ついた時、階段を降りてくる美優の足音が聞こえた。

「沙奈?」

振り返ると眠そうな顔の美優が片目を擦りながら近寄ってくる。

「ああ、ごめんね、起こしちゃった?明日までに仕上げなきゃいけない仕事だったの。気にしないで貴女は寝てていいわよ」

「……一緒にいる」

寝ぼけ眼で、沙奈とソファの間に身体をねじ込んだ美優が沙奈の背中を抱きしめた。

「ちょっ……どうしてわざわざそんな狭いとこに座るのよ」

「沙奈の背中で寝る」

「寝るならベットで……って、まぁいいわ。そうやってくっついてくれてたら私の背中もあったかいし」

「沙奈ぁ」

「はいはい、目が覚めて一人で寂しかったね、ごめんごめん」

肩越しに美優の頭を優しく撫でると、背中に柔らかな美優の頬が摺り寄せられるのを感じた。

続いて首筋に軽い唇の感触。

「あ!もうっ仕事してるんだからおイタしないで大人しくしてなさい」

「やだ……やだぁ」

背中で嫌々と首を振る美優の顔が擦れる。

目を覚まさないだろうと思って黙って抜け出してしまったのがまずかったらしい。

完全に甘えたさんモードの美優が沙奈を解放してくれる可能性は低い。

「もう、しょうがない子ねぇ。分かった、分かりました。ちゃんと構ってあげるから、何してほしいか言ってみて」

沙奈の申し出に少し戸惑った様子で、美優の動きが止まる。

やがて

「お仕事してて」

背中からくぐもった声が聞こえた。

「じゃあ、貴女を無視して仕事するけど、それでいいのね?」

「んーーーーー」

お腹に巻き付いた美優の腕が強く沙奈を抱きしめて、その心の中の葛藤を示す。

甘えるくせに素直じゃないのはいつもの事。

本心と気遣いとのせめぎ合いで苦しむ美優の逡巡は今に始まった事ではない。

それはきっと、本心よりも他者への気遣いを優先して生きてきた証。

だからこそ沙奈は美優に選ばせてあげたい。

自分自身の本心を優先することを。

「私に嘘つくような悪い子は構ってあげないわよ?」

言葉にならない声の代わりに首筋にキスの雨が降る。

「こーら、ちゃんと言わないと何もしてあげないからね」

唇が止まる。

「……して」

しばらくの沈黙の後、呟きより小さな声が微かに響いた。

「聞こえな~い」

沙奈の言葉に美優の腕が緩む。

身体をずらして振り返ると、俯いた美優の顔があった。

そっと頬を撫でると上目遣いの視線が沙奈を遠慮がちに捉える。

「ぎゅう……して」

恥ずかしそうにまた顔を伏せる美優を優しく抱きしめると背中に回された美優の手もまた沙奈を強く抱きしめた。

僅かな時間、二人で温もりを確かめ合う。

「眠いなら、このまま一緒にベット行く?」

「お仕事は?」

「もうほとんど終わってるから大丈夫」

「んー……でも」

何かを言いよどむ美優を待つ。

「ちゅうも……してほしい」

身体を離して俯く美優の顔を包み込み、軽く口づける。

「はい、ちゅう」

「んーーーーーー」

焦れたようなその顔があまりに可愛くて、そのまま押し倒す。

「ほら、ちゃんと言いなさい。どんな風にキスしてほしいの?どこに、キスしてほしいの?」

触れ合う温もりに甘い声と吐息が重なっていく。

つけっぱなしのパソコンの画面が消えて、やがて窓の外が白み始める時間まで、止むことのない泣き声交じりの甘美なメロディを指で奏でながら、沙奈は腕の中のぬくもりを抱きしめ続けていた。


+++


次の日、約束の時間通りに家のチャイムが鳴った。

几帳面な栞らしい訪問。

明け方に眠りかけていた美優を2階の寝室へ移動させ、仕事を仕上げた沙奈は実質あまり眠っていない。

10時の訪問に合わせて、化粧も服も既にスタンバイ済み。

最後にリング型のピアスをつけてから、玄関へと急いだ。

扉を開けると、いつもより落ち着いたトーンに抑えたナチュラルメイクの栞が立っていた。

オフィスカジュアルが推奨されている職場でパンツスタイルを好む栞は、普段ではスカートが多いらしく、今日も小さな花柄の可愛らしいロングスカートが風に揺れていた。

「おはようございます、チーフ」

明るい笑顔と共に小さな箱が差し出される。

「これ良かったら、召し上がってください」

チョコレートで有名な店の包装紙に包まれた箱を受け取り、お礼を言いながら栞を部屋へと促した。

ダイニングとリビングの間仕切りを開け放し、広いワンフロアになった1階部分には日の光が差し込み爽やかな午前を演出している。

「チーフのお家、素敵ですね」

前回は玄関までしか入った事のない栞が部屋を見渡しながらため息をつく。

「家賃の支払いが大変だけどね」

キッチンに立ち、既に一度沸かしておいたポットにもう一度火を入れて、紅茶の用意をする。

「あの、彼氏さん……は?」

「上でまだ寝てる」

「そうですか」

年齢を重ねると恋人がいる事を隠す事が逆に社会的ステータスを下げたり、よからぬトラブルを招く事もある。

沙奈は恋人がいる事、同棲している事を隠してはいない。

その性別を除いては。

「座ったら?」

そわそわと落ち着かない様子の栞は「あ、はい」と返事をして、沙奈に近いダイニングテーブルの椅子に腰かけた。

「紅茶、嫌いじゃなかったわよね?」

「大好きです!あ、でも、お気遣いなく」

「了解」

お湯を注いだティーポットの中で茶葉が開き、爽やかなオレンジペコの香りが部屋を満たしていく。

砂時計が落ちきるのを待ってから、カップに注ぎ、栞の手土産のチョコレートをお皿に並べて、紅茶と共にテーブルに運んだ。

「お持たせですが」

「ご丁寧にすみません」

どこか緊張した面持ちで頭を下げる栞が面白くて、沙奈は小さく微笑んだ。


+++


それから30分ほど、仕事の話しをしながらやがて昔話へと話しが進んでいった。

「あの時の部長の顔が……」

「確かにあれは傑作だったわね」

小さな笑い声がリビングに響く。

普段、忙しすぎる沙奈は昼食も仕事をしながら済ませる事が多い。

たまに他部署の同僚とランチに出かける事もあるけれど、それもかなり稀だった。

よって、同じ課の人間が沙奈とゆっくり世間話が出来るのは年に数回の飲み会くらいなのだが、その飲み会にもこの2年、沙奈はほとんど参加していない。

この家から出る事を無意識に拒絶している美優にとって、沙奈と家が現在、世界のすべて。

昼は仕方ないとしても、夜までこの広い部屋で一人で食事をする美優を想像するだけで沙奈の心は立ち位置を見失ってしまう。

一緒にいられる時間に一人にしたくなかった。

暗い部屋で一人で泣く美優の姿など想像したくもない。

そんな理由で社内の業務時間外行事に不参加を決め込んでいる沙奈と栞がこんな風にゆっくり話すのは本当に久しぶりの事だった。

「でも、本当にあれは素晴らしい……」

栞の話しに相槌を打ちながら、ふと、階段の上に気配を感じて視線を向ける。

白いシーツが一瞬翻り、奥へと消えた。

どうやら美優が目を覚ましたらしい。

「そうね……今回のレセプションも頑張って。任せたからね」

「はい」

話しを切り上げる為の言葉を結ぶ。

「あ、もうこんな時間ですね、長々と話し込んでしまってすみません」

察しのいい部下は腕時計に目をやり、椅子から立ち上がる。

「これ、データ直してあるから」

「ありがとうございます」

データの入ったUSBを渡し、二人で玄関に向かう。

「久しぶりにチーフとゆっくりお話し出来て嬉しかったです」

「ええ、また話しましょ。相談事とかいつでも聞くわよ」

「ありがとうございます」

嬉しそうに笑う栞を見送る為に玄関先に立つ。

「今日はありがとう。遠いのにごめんね」

「いえいえ、チーフのお家とても素敵でした。また私でよければいつでも呼びつけてください!」

軽くガッツポーズをして見せる栞に小さく笑う。

「それでは、失礼します」

「気をつけて」

「はい」

ペコリと頭を下げ、笑顔で去っていく栞をしばらく見送って、沙奈は家へと戻った。

静けさを保ったままの廊下を抜けて、栞が使っていたカップをキッチンへと運ぶ。

開ききった茶葉を捨てて、新しい葉を入れながらもう一度お湯の準備を始める。

「さて……と」

これからがちょ~っと大変かな。

小さく呟いて階段の上へと声をかけた。

「いい加減、隠れてないで降りてきたら?覗き見なんてあんまりいい趣味じゃないわよ」

一瞬身じろぐ気配がして、おずおずと美優が姿を現した。

案の定、素肌にそのままシーツを巻き付けている。

「ベットの横に服、置いておいたでしょ?」

「……」

無言でリビングのソファに座る様子から、機嫌を損ねていると分かる。

沸騰したお湯を茶葉に注ぎ、砂時計をひっくり返す。

「紅茶、飲む?」

返事はない。

小皿に出してあったチョコレートを別の皿に盛りつけ直して、美優の好きなクッキーを何枚か添える。

カップの紅茶を注いで、リビングの机の上にお菓子と一緒に置いた。

「そんな顔してどうしたのよ、機嫌悪い?あ、昨日泣くまでしちゃった事、もしかして怒ってる?」

軽口で少し機嫌の度合いを探ってみると「そんなんじゃない」と小さく返事をした。

話す気はあるらしい。

いきなり暴力に訴えてきていない辺り、大丈夫だと踏んだ沙奈の読みはあながち間違ってはいなかったと思っていいだろう。

「さっきの何?随分楽しそうだったけど」

あからさまに非難の音を含んだ声が沙奈に向けられる。

「昨日の夜、私仕事してたでしょ?無理を言って今日データを取りに来てもらってたの。さすがに、玄関でさよならってわけにいかないから少しお喋りしてただけよ」

「なんで言ってくれなかったの?」

美優の機嫌が早々に悪くなる事態を避けたくて、栞の来訪を言えずにいた事がしっかり裏目に出てしまった。

「ごめん……そうね、貴女に伝え忘れたのは私のミス。ごめんね」

美優の隣に腰を降ろし、その頬に軽く口づけする。

けれど、美優の張り詰めた空気が緩む気配はまだない。

「あの人の事、好きなの?」

その横顔に微かな怒りが揺らいでいた。

下手に誤魔化すよりも正直に事実を伝えるように注意しながら言葉を紡ぐ。

ここで失敗すれば、美優が後日自傷で傷つくか、沙奈が美優の暴力で怪我をする。

たまに訪れるスリリングな局面。

けれど、美優が沙奈への執着を募らせていると感じられるこの瞬間が沙奈は嫌いではない。

美優が沙奈にこだわればこだわるほど、自分が彼女の心を支配しているのだという実感。

それは沙奈に、快感にも似た喜びをもたらしてくれる。

「彼女はただの部下よ。優秀だからある意味『好き』ではあるけど、貴女に対するものとは違……」

不意に視界が揺らいだ。

背中にソファの柔らかな感触がして、自分が押し倒された事を知る。

「好き、なんだ。あの人前にも来てたもんね」

見下ろす瞳が狂気の色を僅かに宿す。

それは嫉妬の炎。

ゾクゾクとする身体の芯の喜びを感じながら、沙奈は微笑む。

「前にも見たなら挨拶くらいしてあげなさいよ。私の可愛い部下なんだから」

わざと煽る言葉に瞳の中の炎が燃え上がる。

「駄目!」

美優の爪が抑えた肩に食い込む。

「駄目?何が駄目なの?」

「私がいるのになんでよそ見するの!?沙奈!」

悲鳴に似た声が部屋に響く。

「貴女もしかして、やきもち妬いてる?」

「そんなんじゃない!」

「ふーん。そう、やきもちじゃないんだ。じゃあ、なんで押し倒したの?急にしたくなった、とか?」

微笑みを崩さない沙奈に美優の感情のボルテージが上がっていく。

怒らせれば少なくとも美優が今、自傷行為に走る事はない。

ただ、マウントを取られている今の状態で殴られるのは少々まずい。

そろそろ少し落ち着かせた方がいいかもしれない。

「ねぇ美優」

「今すぐ仕事辞めてきて」

「は?」

「やめてきて!」

子供の我儘と変わらないベクトルの要求に戸惑う。

感情に任せたその言葉の意味を、恐らく美優は分かって発してはいないだろう。

「急に仕事辞めてとか言われても無理に決まってるでしょ?私が仕事やめたらここの家賃、誰が払うの?貴女?」

この家から出る事が出来ない美優に、ここでの生活の維持が出来るはずもない。

「駄目って言ってるのに沙奈が!沙奈が悪いんでしょ!?」

バランスを崩しかけた精神が安定を求めて暴走しかけている。

少し煽りすぎたかもしれない。

「ねぇ、ちょっと落着きなさ……ぐっっ!」

不意に美優の両手が沙奈の首にかかり、そのまま力が込められていく。

「うっ……ぐっ……」

突然の酸素供給の低下。息苦しさに呻き声が漏れる。

首を絞められるとはさすがに思っていなかった。

「なんで、なんでよ沙奈」

哀し気な美優の声がする。

監禁したがっていた美優の独占欲は、今や殺してしまいたいほどのものに膨らんでいた。

苦しさに喘ぎながら、沙奈は満足気に微笑む。

「そう、よね。貴女は、殺したくなるくらい、私が大好き、な、のよね」

殺してでも他者に渡したくないほどの執着。

圧倒的で一方的な愛情。

その癖、こちらからの愛情を受け取る事を自身に認められない気弱さ。

飼われたがっている反面、飼いたがる矛盾。

自身を不幸と名の檻に閉じ込めて出てこようとしない囚人は、けれど決して自らが手にしている幸せを壊せはしない。

だからこそ、両手を投げ出し、無抵抗に彼女の行為を受け入れながら、沙奈は言葉を紡ぐ。

「う…ぐ……っ。わ、たしも、貴女が大、好……」

喉が締め付けられて最後の言葉が消えていく。

微笑む瞳に一筋流れた涙は、彼女に対する憐憫。

沙奈の愛情を彼女がきちんと受け取れるようになるまで注ぎ続けたい。そんな想いさえ貴女には伝わらない。

自分の感情で手一杯の、貴女には。

「大好きなんて……嘘」

美優の手が沙奈の首から離れ、急に入り込んでくる空気に激しくむせる。

圧迫されていた喉の中と外の両方がヒリヒリして痛い。

「嘘、じゃない」

辛うじて声が出る事に安心する。

沙奈の上に伸し掛かったまま、肩を落とす美優の頬に触れる。

涙の滲んだ瞳が沙奈を見つめ返した。

「貴女が好きだって前からずっと言ってるでしょ?」

「だって……」

その瞳から狂気の色が去り、落着きを取り戻していると分かる。

沙奈に愛されている事。

その実感こそが彼女にとって何より重要である事を沙奈は知っている。

「だってじゃない。もう、ほんと乱暴なんだから。めっ」

ペチリと頭を軽く叩く。

美優が沙奈の首を見つめ、動揺する。

どうやらあまり喜ばしくない跡が首に残っている可能性が高い。

奇しくも来週の月曜日はスカーフスタイルでの出勤が決定してしまった。

「ごめ……沙奈、私……」

溢れだす涙に顔を覆って美優が泣き出す。

「いいよ。私も悪かったから。おいで」

少しふざけて煽りすぎたのは沙奈のミスでしかない。

両手を広げて美優を呼ぶ。

「早く、貴女の大好きな恋人が抱きしてあげるって言ってるのよ?ほら、おいで」

一瞬の逡巡の末、美優が沙奈に身体を重ねる。

肩に押し付けられた口元からはまだ嗚咽が漏れていた。

「よしよし、泣かないで」

優しく抱きしめて髪を撫でる沙奈の耳に少し不安気な美優の囁きが聞こえる。

「嘘、ついてない?」

「私が貴女に嘘をつく理由があるなら、それは貴女の事が好きだから、よ」

「よくわかんない」

「今はそれでいいわ」

美優の様子から、栞を家に呼ぶのは今後なしだな、と密かに決意する。

やはりこの場所は美優にとって聖域として存在させておくべきだろう。

二人だけの場所として。

「あー、でも残念だなぁ。てっきり、やきもち妬いてくれたのかなって思ったのにな~」

泣き続ける美優の耳元でわざと明るい声を出す。

明らかに嫉妬していた事は明白すぎる事実だが、あえて否定することで美優の精神が立ち上がる事を期待する。

「やきもち……妬かれたいの?信じらんない」

案の定、弱々しかった泣き声に芯が通り始める。

「可愛い彼女が嫉妬してくれるなんて、恋人冥利につきるじゃない?」

「本気で言ってる?」

「本気本気」

くすくすと美優が耳元で笑う。

「沙奈ってほんと面白い」

「誉め言葉として受け取っておくわ」

「……あの人はほんとにただの同僚?」

少し顔をあげて美優が沙奈を見下ろす。

そこにまだ残る小さな嫉妬の影が沙奈の嗜虐心を煽る。

こんな可愛い顔するんだもの。嫉妬させたいに決まっている。

「そうよ、彼女はただの部下。もう、まだ疑うなら、いいわ。証明してあげる」

もっともっと沙奈に執着させて、沙奈なしで生きられないほどに支配したくなる。

美優を抱きしめたまま回転し、ラグの上へと転がり落ちる。

背中の痛みに呻く美優の瞳を見下ろした。

「どうやら口で言っても分かんないみたいだから、先に身体で分からせてあげる」

「沙奈、それは昨日いっぱい……」

沙奈の纏う嗜虐の気配に美優が見せかけの抵抗を示す。

「そうよね、泣いておねだりするくらい愛してあげたのに、昨日の今日でどうして不安になるのかほんと不思議だわ」

「それは……」

言いよどみ、視線を逸らす。

「ああ、でも、さっきのはちょっと本気で苦しかったから、今日は泣いて謝っても許してあげない」

怯えに隠した期待の色がその表情に浮かぶ。虐められたいのよね?知ってるわ。

「おしおきよ。覚悟しなさいね」

沙奈の宣言に既に荒くなり始めた美優の唇を深く奪い去り、その手を押さえつける。

それだけで仰け反る美優の身体に理性を揺らされながら、沙奈はその白い肌に軽く歯を立てた。



episode2 fin





   












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