episode3 Erase unpleasant dreams with warmth
◇ご注意
すべて書き終えてからの掲載ですとお時間を頂戴してしまう為、今回よりエピソードを少しづつ加筆しながらアップさせて頂きます。何卒ご了承くださいませ。
次回アップ予定は文末に記載しておりますので、ご参照ください。
Red Cyclamen Perfume
episode3 Erase unpleasant dreams with warmth
朝、起こさないようにそっとベットを抜け出す優しい恋人の気配に美優は目を覚ます。
「沙奈?どこ~?」
甘えた声で呼び止めると、沙奈は優しく美優の頬に口づけをくれる。
「ここにいるわよ」
目を開けると、整った綺麗な顔が美優を見下ろしていた。
黒い艶やかな髪が頬に触れて少しくすぐったい。
両手を伸ばして抱きしめると、そのままベットへと引き戻す。
「こら、美優」
笑いながら怒る声。
その耳元に小さくおねだりする。
「して」
「夜もしたのに、もう欲しいの?」
くすぐるような甘い声が美優を煽る。
小さく頷くと楽しそうに沙奈が笑った。
触れ合う肌の温もりが気持ちいい。
「あれじゃ足りなかった?」
「違う」
何回イったかなんて覚えてないくらい愛されて、不満があるわけない。
「沙奈にはずっと抱かれてたいんだもん」
ずっと抱きしめていて欲しい。
意地悪で優しい快感に、すべて溶かしてほしい。特に、嫌な夢を見た朝は。
「朝ごはん無くていいの?」
「ん……」
胸元に顔を埋めて、頷く。
「しょうがない子ね」
優しく撫でられる髪の感触に頬を摺り寄せると、そっと頬に触れる指が上を向くように誘導する。
見上げると、微笑む沙奈の顔があった。
近づく唇が重なり合い、朝の光に包まれたベットで美優は僅かに身体を仰け反らせた。
+++
もうここ何年も両親の夢など見ていなかった。
佐々木美優が木崎沙奈に出会うまでの人生は、明るいものでも楽しいものでもなかったと断言できる。
ごく一般的な中流家庭にうまれた美優は元々、突出することのない自身の個性を良しとし生きていける謙虚な子供だった。
ただ一つ、まだ子供だった美優に致命的なダメージを与えたもの。
両親の存在。
ごく普通のサラリーマンだった父と弁護士だった母の関係は、美優に物心がつくころには完全に冷め切っていた。
加えて、双方ともに忙しく、家にいても美優に構う時間もなく、そもそも家にいる事自体珍しい。
ある程度成長してから、二人の不在の原因について、仕事ではなく互いに愛人を作っていたと知った時、美優は驚きもしなかった。
そのくらい、二人は美優が存在する『家庭』というものに興味を失くしていた。
美優自身の事も。
衣食住に困ることはなかった。それだけでありがたいと思うべきだと言う人もいる。
けれど、幼い美優にとって両親の愛情不足は、その自己肯定感に致命的なダメージを与えた。
『いらない子』
それが、美優が自身につけた評価。
抱きしめてもらえる事も、褒められる事もない。
たまに帰る両親の背中を見つめながら、なんでもないふりをしてそっとその背にもたれかかる。
「なによ、忙しいのよ」
そう言って母は美優を遠ざけた。
父は黙って、家での仕事を続けた。
『抱きしめて。愛して』そう言えないまま成長した美優は、いつしか両親に期待することをやめてしまった。
その間に増えたのは、左腕の切り傷だけ。
たまに家にいる他人。生活を支える出資者。
そんな感覚がデフォルトとして美優の中に定着していった。
そして、美優が短大を卒業し、社会人として働けるようになった年に、美優は家を出た。
保険を扶養から抜き、戸籍を独立させ、法的な繋がりを断った。
美優がいなくなった事で無事に離婚したとその後、風の噂で聞いた。
今はどちらもどこに住んでいるのかさえ知らない。
生きているのかも。
連絡を絶った美優を探す様子がなかったのは、正直ありがたかった。
目につく形で愛情を示してはくれなかった二人ではあるけれど、三つだけ感謝していることがある。
美優が自立出来る歳まで、お金や生活の面倒を見てくれた事。
離婚せずに世間体を保ってくれた事。
そして、最後まで無関心でいてくれた事。
中途半端に愛してもいない相手から執着されるほど、面倒なことはない。
だから、いっそ終始一貫して美優に興味を示さなかった両親の態度は、美優にとっては救いだった。
+++
もう半部忘れかけていた記憶を呼び覚ますように見た夢は、美優の心の平穏を僅かに乱した。
「沙奈……沙奈」
嫌な気持ちを塗りつぶすように、美優は沙奈にしがみつく。
沙奈のくれる快感に意識を濁らせて、荒い息と温もりを確かめ合う。
目の前が白く染まる度、美優の中が空っぽになっていく。
なにも考えられなくなった美優の空白を沙奈の存在が埋め尽くして、満たされていく幸福感に美優は酔いしれる。
魂ごと沙奈に塗りつぶされていくような開放感。
沙奈でいっぱいになった自分の中に沙奈自身をこのまま閉じ込めてしまいたかった。
甘美な官能に身を委ねながら、美優は沙奈を強く抱きしめる。
塞がれる唇が熱くて、身体が震える。
仰け反る身体と眩んだ意識が白い闇へと急速に落ちていくこの瞬間にいつも美優は思う。
解放されたこの何もない場所で、いつまでも沙奈と一緒にいられたらいいのに、と。
誰もいない世界に二人きり。
世界なんて放ったらかして、人生なんてすっぽかして、ずっとただ二人で寄り添い合えたなら、きっと、そこが天国なのに。
+++
「沙……奈……?」
幸せな余韻の中に揺蕩っていた意識が再び現実に浮上する。
シーツが肌に当たる感触が心地よくて、身体をスリスリと動かしてから、辺りを見回した。
室内は静かで、人の気配はない。
時計を見ると11時を回っていた。
随分と眠ってしまっていたらしい。
沙奈にちゃんといってらっしゃいを言えなかった事が少し心残りだった。
身体を起こし、シーツとベットカバーをはぎ取り、そのまま洗濯機に放り込む。
スイッチを入れて回転を確認してから、洗濯籠に入った二人分の下着を手に浴室へと向かう。
給湯器の温度を調整し、シャワーを浴びるついでに、沙奈と自分の下着を丁寧に洗う。
洗面器に溜めたお湯の中に付け置きして、髪を濡らすとシャンプーの香りが浴室内に広がった。
自分の匂いでもあり、同時に沙奈の香りの根源。
美優以外の人間が沙奈の香りを嗅ぐことの出来る今の現状について僅かな不満が頭をもたげる。
この間、家に来ていた部下とかいう女の姿が脳裏を横切り、イラついた感情が心をかすめた。
せっかく嫌な夢で負ったダメージが回復したというのに、美優の心が再びバランスを崩し始める。
とかく、美優にとって現実はただただ生き辛い。
さっさと髪と身体を洗い、下着をすすいで軽く絞ると浴室を出た。
下着専用の小さな洗濯ばさみに下着を吊るす。
タオルを身体に巻き付け、そのままリビングに進み、自身のスマホを手に取った。
『今日のお昼なに食べるの?』
イラついた感情が伝わらないように当たり障りのない文面を送る。
すると程なく沙奈から返信が返ってきた。
『急にどうしたの?いつもそんな事聞かないのに。何かあった?』
美優に対して恐ろしく勘のいい恋人は、美優の状態の変化に気づいてくれた。
それだけで、美優の気持ちが落ち着きを取り戻し始める。
沙奈は分かってくれる。心配してくれる。気づいてくれる。ちゃんと見ていてくれている。
そんな安心感が胸に広がっていく。
『今日の晩御飯を決める参考にしようと思って。メニュー、お昼と被ったら嫌でしょ?』
落ち着いた面持ちでそう言い訳する。
昔は感情のままに突然怒りをぶつけてしまって、よく沙奈に注意された。
沙奈は優しいけれど、時々おしおきがえげつないから気をつけないといけない。
初めて部下とかいうあの女が家に来た時、睡眠薬で沙奈を眠らせて、怒りのまま全身に深く歯型をつけた時は、その傷が癒えるまで指一本触れてくれなかった。
結局、早く傷を治す為に美優が毎日手当をして、泣きながら毎日謝って、ようやく許してもらえたのは1週間後だった。
『気遣いありがと。今日は忙しいからエナジードリンクで昼は乗り切るわ。ボリュームある夕飯を期待してる』
投げキッスのスタンプがその後に続く。
『了解』
そう返信してお揃いの投げキッスのスタンプを返す。
一瞬迷ってから
『大好き』
そう打った。
『私も大好きよ』
沙奈の返事に微笑んで、美優はスマホの画面を切り替えた。
いつも使うネットスーパーの置配以来画面を呼び出して、時間を指定し、食材をカートへ入れていく。
支払い確定ボタンを押してから、自分がまだタオルを巻いただけの姿だったと思い出し、急いで服を着る。
脱衣所にある洗面台に腰掛けながら、ドライヤーで髪を乾かすついでに、下着にも除菌のつもりで熱風を当てる。
あまり当てすぎると生地が傷むので無理は禁物。
半分程乾かして、ドライヤーを止めた。
沙奈のいない平日の美優の日常はこうして過ぎていく。
紙のシートをつけた掃除用具で、リビングとキッチンのフローリング部分を撫でた後、ラグに掃除機をかける。
二階の寝室も同様に掃除する。
洗いあがったシーツとベットカバーをベランダに広げると柔軟剤のいい香りが鼻孔をくすぐった。
顔を埋めた時に香る大好きな香り。
沙奈の髪と沙奈自身の香りがシーツと混ざりあう瞬間が一番好きではあるけれど。
だってそれは、美優だけが知る事を許されている香り。
美優だけが知っている沙奈の香り。
太陽の日差しを受けながら、大判の布が二枚、優しく風に揺れる。
僅かに空腹を覚えるお腹をさすりながら、自分だけちゃんとした食事をするのも気が引けて、冷蔵庫に保管してあるエナジードリンクを吸い込んだ。
沙奈は何の味を飲んでいるだろう。
いつかずっと傍にいられる日が来るといい。
こんな風に、早く会いたいなんて思わなくて済むように。
+++
午後になって、急に曇り始めた空に小さな雷鳴が鳴る。
なんとか乾いたシーツとベットカバーを取り込んで、美優はベランダを閉めた。
まだ小さい雷の音に心臓の脈が早くなる。
雷は苦手だ。
子供の頃、夜の落雷で停電した家の中で一人震えていた記憶が蘇る。
誰もいない家の中、電気もなく、ただ冷たく暗い闇ばかりがあった。
泣いても呼んでも誰も来ない。電話さえ通じなくて、誰も助けてくれなくて。
美優が始めて手首を切った切っ掛け。
あれは確か小学校低学年だっただろうか。
泣き疲れた美優は、漠然と悟ってしまった。
自分自身が誰からも必要とされていない事を。
だから、母親の鏡台の引き出しにあったカミソリを取り出して、自身にその刃を当てた。
もういい。そう思ったから。
そのまま、手前に引いた。
疲労でぼんやりした意識に痛みは遠く、流れ落ちていく温かい自分の欠片が床に広がり、冷たくなっていくのをただ感じていた。
自分の存在が消えていくような、安堵と悲しみの中、気を失って。
薄暗い空に光が走り、美優の意識が現実へと引き戻される。
僅かに遅れて大きな音が地響きを立てた。
心臓が鳴る。
息が苦しくてカーテンを閉めて電気をつけた。
まだ夜じゃない。
あの時のように真っ暗になったりはしない。
暗い場所を怖がる美優の為に、沙奈はこの家を選んでくれた。
一階にも二階にも大きな窓があって、採光度が高く、狭く感じないように配慮されている。
階下へ降りて怖くないようにテレビを大音量で点ける。
雷鳴が少しでも聞こえなくなれば、それでいい。
身体が微かに震える。
洗ったばかりのシーツで身体包んでソファの上に小さく座る。
「沙奈……」
小さく呼ぶ。
きっと電話を掛ければ声を聴かせてくれる。
でも、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
付き合い始めた頃や同棲を始めたばかりの頃、いまよりずっと不安定だった美優は事あるごとに沙奈を呼び出し、迷惑をかけてきた。
そのせいで沙奈の出世が少し遅れてしまったらしい事を後になって電話のやり取りで知った。
沙奈は何も言わない。
いつも微笑んでただ、抱きしめてくれる。
大好きだと言ってくれる。
沙奈に迷惑をかけたくない。
大音量のテレビから笑い声が聞こえてくる。
ほら、大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
「停電なんて滅多にするわけないんだから」
励ますようにそう言葉にしてみる。
大丈夫。大丈夫。
不意に大きな地響きと共に、反射的に耳を塞いでしまうほどの轟音と目の眩む光がカーテンの隙間から閃光を閃かせた。
ビクリと身体を縮めた美優を静寂が包む。
雨の音が薄暗い室内に小さく響いていた。
沈黙したテレビと消えた電気に、美優は事態を悟る。
急いでカーテンを開けてみる。
閃光が光を放ち、美優の目を覆った。
小さく悲鳴を上げて、耳を塞いでしゃがみ込む美優の上に雷鳴が降る。
いつの間にかあふれ出した涙が床に落ちた。
「沙奈……沙奈……」
自身のスマホを命綱のように握りしめて、沙奈へとコールする。
「美優、大丈夫?」
ワンコールで沙奈の声が聞こえた。
「沙奈……」
涙まじりの声にすべてを察した様に、沙奈の声が答える。
「すぐ帰る」
「待って、違うの。電気が消えて、それで……」
「分かってる。ポットのお湯まだ温かいでしょ?何かあったかいものでも飲んで待ってなさい」
「でも……」
「いいから。コンセントに近づいちゃだめよ」
そう言って、電話が切れた。
沙奈が帰って来てくれる安心感とまた迷惑をかけてしまった罪悪感が美優の胸を締め付ける。
自分自身が情けなくて、悲しくて。
雷鳴に震えながら、美優はただ涙を流し続けていた。
+++
「早退ですか?チーフ」
「ええ、悪いわね」
鞄に私物を突っ込みながら、帰り支度をする沙奈を栞が心配そうに見つめていた。
「ご家族からの緊急コール、ですか?」
「そんなとこ」
美優と付き合い始めた頃、まず沙奈がしたことは『家族の都合で早退をお願いする事が増えるかもしれません』と報告したことだった。
話しかけた当日に沙奈を浚った美優の不安定さを考慮すれば、きっとそうなる事は予測できた。
さすがに『恋人の為に早退します』では、会社も聞き入れてはくれないだろうから、表向きそういうことになっている。
そんな事で首になる程度の仕事をしてきたつもりはなかったし、最悪、首になったならもっと自由の利く仕事に転職してもいいと思っていた。
幸い、首になることもなく、仕事を続けていられるのはラッキーだし、有難い事だと思ってる。
責任も責務も放棄するつもりはないが、沙奈の仕事は決められた時間中、ただ席にいることではない。
今朝の天気と朝の美優の様子から嫌な予感がしていたから、今日の仕事は既に終わらせてある。
最低限の義務を果たしているのだから、どうか許してほしいと心で謝って、そのまま会社のエントランスを抜けて駅へと急ぐ。
咲き乱れる傘の群れが、焦る沙奈の道行きを阻む。
どいてよ!
内心の苛立ちを隠しながら、人の合間を抜けていく。
駅が近づくにつれて、いつもよりやけに人が多いことに気づく。
駅に入る直前に人々の会話が耳に飛び込んで来た。
「停電のせいで止まった?」
「いや、なんか事故らしい」
「30分遅れてるらしいけど、まだ再開の目途はたってないって」
軽い眩暈を覚えながら、タクシー乗り場に目を向ける。
案の定、長蛇の列が出来ていた。
多くの人が来ないタクシーをまだかまだかと首を伸ばしている。
バス乗り場へと足を運ぶ。
どうやらこちらも雨のせいで少し遅れているらしい。
八方塞がりの状況で、沙奈は苛立つ自分を落ち着かせる為に、大きく深呼吸をする。
落ち着いた声を出せるまで繰り返してから、スマホを取り出しコールした。
コール音が耳に響いて、沙奈の心臓がドキリと鳴る。
このまま出なかったらどうしよう。どうすればいい。
そんな事が頭をよぎる。
美優が雷を酷く怖がる理由を知った時、非常用電源の購入を予定していたはずなのに。
自身の失態に腹が立つ。
もしこれで、美優が恐怖と過去の記憶に絶望して自身を傷つけでもしたら、それは間違いなく沙奈の責任だった。
「沙奈……」
美優の声が沙奈を呼んだ。
安堵で少し泣きそうになる。
「美優、大丈夫?電気戻った?」
「ううん、まだ」
「そう。お茶飲んだ?」
「まだ」
「あったかいもの飲んで身体温めて。気持ちも落ち着くから」
「うん」
鼻を小さくすする音が聞こえる。
「今、帰ってる途中なんだけど電車が事故で止まってるみたいだから、いつもより時間かかりそうなの。ごめんね」
「お仕事大丈夫なの?」
「今日の仕事はもう終わらせてあったから、大丈夫」
「うん」
「美優は悪くないよ」
「……ん」
「なるべく急いで帰るから待ってて」
「わかった……」
今度は美優が電話を切るのを待ってから、通話を終了した。
返事の様子から僅かな不安が広がる。
美優は沙奈に迷惑をかける事を今だに嫌がる。
恐らく、沙奈だけではなく自分以外の人間の邪魔になることを嫌がっている傾向がある。
自分の意思を押し殺す事を仕様として定着させているからこそ、ある時、大爆発を起こす。
果てしなく広がる大惨事に自己嫌悪になって、また自身を押さえつけて、の無限ループ。
少しづつ、沙奈に甘えていいと覚えさせてきたつもりだけれど、まだまだ根本に根差す基礎構造を変えるには時間がかかるらしい。
SOSと電話を掛けてくるようになっただけ随分ましなのだから、贅沢を言ってはいけない。
付き合い初めて間もない頃、特になんの連絡もなく、家に帰った時に倒れている美優を見つけた時の体温の下がるあの感覚はトラウマ級に沙奈にダメージを与えた。
調教が必要だと、沙奈が思った瞬間でもあった。
自分が誰の所有物であり、許可なく勝手に傷つけていいものではないのだと教え込まねばならない。
少しづつ、そうなってはきているけれど、まだまだ完璧ではない。
「ただいま電車が遅延しております。お客様へはご迷惑をお掛けし申し訳ございません」
駅の中から拡声器を使った駅員の声が響く。
「現在、事故の為、上下線ともに運転を見合わせております。今しばらくお待きますようお願い申し上げます」
人の溢れた駅の中へ傘を畳んで沙奈は踏み出す。
人ごみをかき分け、隣接しているショッピングモールの靴売り場に行き、シューズを一足購入し、その場で履けるようにしてもらった。
小銭入れとスマホ、キーケースをポケットに突っ込んでコインロッカーに今履いているパンプスと鞄を放り込み、鍵をかけた。
電車はいつ来るか分からない。タクシーも30分待ちは必至。バスも遅延している上に、道路は渋滞している。
ただ待つだけでは2時間は家に帰れない。
だったら、残された最善の方法はただ一つ。
駅の傘立てに傘を突き立て、沙奈は雨の中へと駆け出した。
今考えうる方法の中で、一番最速で最善な方法。
自分の足を信じる!
雨の粒が顔に当たり化粧が落ちていく。
濡れていく髪も服もそのままに、沙奈はただ走った。
美優の待つ、家を目指して。
+++
稲光が部屋の中に閃光を走らせる度、美優はその身体を小さく縮め、震えていた。
時計の秒針の音をかき消すように雷鳴が轟く。
耳を塞ぎ目を閉じる。
握りしめたスマホのライトは消えて、沙奈の声はもうない。
帰るのに時間がかかると言っていた。
いつもなら30分で帰宅出来る道のり。
どのくらい遅くなるのだろう。
スマホで動画を開けば何か情報が手に入るかもしれない。
そう思って画面を指で撫でる。
Wi-Fiマークが消えていた。
スマホの通信で見れないわけではないけれど、家から出ない美優は使い放題等のプランに入っていない。
使用した通信はそのまま料金として発生してしまう。
そして今、無職の美優に代わってスマホの料金を払ってくれているのは、沙奈なのだ。
ほんの一瞬と思った動画通信が思いもよらない金額になる事もあると聞く。
動画を諦めて、ネット検索画面を出す。
天気と交通情報をチェックする。
注意報が発表された事。沙奈の報告通り電車が遅れている事が分かっただけで、特に美優の慰めになるような新たな情報は何もなかった。
閃光が怖くて、シーツを頭から被る。
自分の心音と息が聞こえる。
昔の記憶を勝手に思考が手繰る。
あの夜、助けてくれたのは誰だったっけ。
ぼんやりと意識が過去の迷路へと迷い込んでいく。
ああ、そうだ。
あれは隣に住んでいたお姉さん。
病院で目を覚ました美優を安堵した優しい顔が覗き込んでいた。
消毒液の香りに混じる柔らかな香水の甘い匂い。
とても、綺麗な人だった。
「生きててくれて良かった」
涙交じりの声と優しい抱擁。美優の瞳から零れた涙で服が濡れるのも構わず抱きしめてくれた温もり。
初めて、美優は人前で泣いた。
声の限りに。ただ泣いた。
手首の傷よりも。
温もりが心に痛かったから。
優しさが突き刺さってどうしようもなく痛かったから。
知らなければ焦がれる事もなかったのに。
知ってしまった温もりに心が泣いていた。
救われた喜びと終われなかった悲しみ。
説明のしようのない哀感が胸を締め付けて、ただ彼女にしがみついて泣いていた。
それは同時に初恋の記憶であり、失恋の記憶。
優しかったその微笑みを今はもうあまりうまく思い出せない。
どうして彼女の事を忘れていたのか。
その理由を思い出して、美優は軽く頭を振った。
「沙奈……沙奈……」
早く帰って来て。
心の海に感情が飲み込まれてしまう前に。
思い出したくない。これ以上なにも。
どうして隣に住んでいた彼女が美優の家の鍵を持っていたのかなんて。
どうして隣に住んでいたのか、なんて。
喉を締め付ける軽い嘔吐感に美優はキッチンに駆け込み、シンクに顔を伏せた。
「けほ……っ」
口の中に広がる嫌な味。
コップに水を注ぎ、口をゆすぐ。
『みんな嘘つきばかりなんだよ』
心の声が頭に響く。
『彼女が好きだったのは君なんかじゃなかった』
優しくしてくれたのは、美優の為じゃない。
彼女が愛したのは……。
『みんな嘘つきなんだよ。沙奈だって本当は迷惑してるに決まってるよ』
「沙……奈……」
『仕事中に呼び出されて、出世も遅れて、家賃だって大変なこの家を君の為に選んで』
「そんな事ない、沙奈は、そんな」
頭を振って、心の声を追い出そうとする。
『君はなんの役に立ってるの?沙奈の人生に君は必要なの?』
新たな涙が頬を伝っていく。
「沙奈……」
助けて……。
意識が自身の影に呑まれていく。
『君なんかいない方がきっと沙奈も幸せだよ。何の役にも立たない』
美優の瞳が虚空を彷徨う。
『誰にも必要とされない』
心の傷が開く音。
『い・ら・な・い・子』
「いらない……子」
誰にも愛してもらえない、その価値すらない自分という存在。
違う、違うと小さく抵抗する声は小さすぎて、美優の意識に届かない。
「沙奈……」
『愛してるのなら、沙奈を自由にしてあげなよ』
美優の目に、並べられた包丁のセットが映る。
『いらない存在の君から』
「私……から……」
『君も自由になりなよ。君なんていらない世界から』
伸ばした手が果物ナイフを握る。
煌めく刃が美優を誘う。
終焉に向けてのプレリュードを刻むように雷鳴が鳴り響く。
そっと首に当てた刃がひんやりと美優の体温を奪う。
これでもう何も怖くない。
沙奈の邪魔にもならない。
不要な自分を嘆く事も、ない。
「沙……奈……」
伝う涙の意味も分からないまま、美優は瞳を閉じた。
+++
「はぁ、はぁ、はぁ」
息が苦しい。
日頃の運動不足が完全に祟っている。
雨にけぶる街を駆け抜けながら、沙奈は必死にその足を前へ前へと踏み出し、買ったばかりの靴が泥だらけになるのも構わず走り続けていた。
身体に張り付いたシャツが気持ち悪い。
ジャケットを羽織っていなかったら、完全に下着が透けている状態だったに違いない。
水を含んだ髪からも雨水が滴り落ちる。
自分の顔の状態なんて知りたくもなかった。
ただ、必死で息を吸い込み、足を前に踏み出す。
駅4つ分。
ほぼ全速力で駆け抜けて来た肺が悲鳴をあげる。
身体の表面は雨で冷え切って冷たいにもかかわらず、身体の中が燃えるように熱い。
吐き出す息が白く濁る。
足が疲労でもつれて今にも転びそうだった。
すれ違う人たちの稀有なものを見る好奇の眼差しなどどうでも良かった。
襲い掛かるふりをする雷光も雷鳴も、沙奈にとってはただのノイズ。
ただ、早く。一秒でも早く。
無意識が沙奈を急かす。
胸騒ぎが止まらない。
自宅マンションのエントランスを転がるように走り抜け、自宅の玄関へと辿り着く。
「もう誰よ!二重ロックの家を選んだのは!」
もどかしく二つの鍵を開錠し、玄関を開け放つ。
薄暗い室内が目に入ると同時に沙奈は部屋中に響かせ愛する人の名を叫んだ。
「美優!!!!!!」
無事でいて。
そう願いながら。
+++
「美優!!!!!!」
暗い室内に沙奈の声が響いた。
バタバタと乱れた足音が近づいてくる音に美優の意識が現実に引き戻される。
目を開けて周りを見渡し、自分の姿を見下ろした。
手にした果物ナイフが鈍い光を放つ。
イマ、ワタシ、ナニシヨウトシテタ?
足音が近づく室内に心の声はもうない。
ハッと美優の中に別の恐怖が首をもたげる。
自分が手にしている果物ナイフを、慌てて包丁セットのケースに収めた。
混乱と動揺で手が震える。
さっきまで刃が当たっていた首元を手で撫でる。
血は出ていない。
けれど、触れると少し痛いような気がした。
沙奈に怒られる。
バレたら今度こそ捨てられるかもしれない。
そんな恐怖が身体を震わせた。
その場にへたり込み溢れ出した涙と共に両手で顔を覆う。
「美優」
キッチンで座り込む美優の頭上に荒い呼吸と声が落ちる。
僅かに顔を上げると目の前に泥で汚れた沙奈の足が見えた。
そのまま視線を上へとずらす。
全身びしょ濡れで肩で息をする沙奈がそこに立っていた。
「沙……奈……」
化粧の取れた顔。服も髪も吸い込んだ雨を滴らせ、足元に水たまりを作っていく。
お気に入りのピアスが片方、なくなっていた。
「返事くらいしなさい」
美優に視線を合わせて、沙奈頬に触れる。
その視線が美優の首に動いた気がして、美優は慌てて首を振る。
「ち、違うの、これは、違うの、沙奈」
言い繕う美優の頬を伝う涙を沙奈が拭ってくれた。
手が氷のように冷たい。
「無事でよかった」
顔が近づいて、唇が重なる。
雨のせいで冷え切った身体とは裏腹に、口の中はいつもより熱い。
交わすキスだけで美優の意識が眩み、思考が沙奈に染められていく。
ゆっくり唇を離し
「こんなにキスの上手い恋人を置きざりにしたら、後悔するわよ」
沙奈がそう、耳元で囁いた。
カっと美優の体温が上昇し、同時に心臓がドキリと鳴った。
バレてる?
「さ、沙奈?」
「ふふ、顔、赤いわよ」
そう言って沙奈が立ち上がった。
「あーあ、もう雨でぐっちょぐちょ。シャワー浴びるわ」
「それならすぐお湯張るから待って。ちゃんと温まらないと風邪ひいちゃう」
立ち上がり、浴室へ急ぐ。
お湯張りボタンを押して、タオルを一枚取り出し、脱衣室に来た沙奈に渡した。
「もう先に服脱ぐわ。このままだと部屋が水浸しになる」
「うん」
脱衣室の暖房をオンにする。
「着替え、取ってくるね」
「ありがと」
そう言って美優は二階へと向かった。
+++
「はぁ」
脱衣室で一人、沙奈は安堵のため息をつく。
息は整ったものの、気管がまだ少し痛い。
足の裏も痛いし、明日の筋肉痛は決定したも同然だった。
かかとを見る。
ジョギング用シューズを選んだおかげで豆は出来ていない。
「よし」
とりあえず万事良しとする。
美優の右の首筋の薄い切り傷。
結構ギリギリだったのかもしれない。
それなら、走るという選択肢は間違っていなかった。
もしあのまま電車を待っていたら……と思うと、寒気がする。
耳元に手を当て、片方残ったピアスを外した。
お気に入りだったけれど、美優が無事ならそれでいい。
ただ、恐らくまだ美優の精神は安定していない。
沙奈を早退させた事、首の傷の事。
気にしていないとは思えない。
雷鳴も雨も今だ止む気配はない。
「ん?」
違和感に沙奈は首を傾げた。
脱衣室、電気と暖房ついてるんですけど?
お湯張りの操作パネルも温度を示している。
ということは
「電気……復旧してるんじゃ……?」
しばらく考えて、濡れたまま室内を歩き回るのは面倒なので、とりあえずお風呂を優先することにする。
それに部屋が暗いままの方が都合がいい事を思いついた。
閃いた計画にウキウキと沙奈の身体が左右の揺れる。
濡れた服を脱いで直接洗濯機に放り込んだ。
ジャケットとスカートはクリーニングに出したいところだけど、ここまで濡れてしまうと一回洗ってしまった方がいいだろう。
濡れたシャツはやはり完全に下着が透けて見えていた。
「ジャケット様様」
そう言いながら、脱いだシャツも洗濯機行き。
泥だらけのパンストは一回水でゆすいでから、洗濯機に入れた。
下着を外し全裸になったところで、浴室を覗くとちょうど半分くらいお湯が溜まっていた。
「いけるか」
入浴剤を一つ放り込み、浴室に入りシャワーを出す。
冷えた身体が温かいお湯に包まれて、思わず深い溜息が零れた。
入浴剤の香りと湯気とお湯の心地よさ。
これぞ極楽。
身体を軽く流して、湯船に身体を沈めると『お風呂が沸きました』そんな電子音声が聞こえた。
「沙奈?」
軽く扉がノックされて美優の影が映る。
「んー??」
「着替え、置いとくね」
結構時間がかかったところを見ると、部屋着にするかパジャマにするか悩んだのかもしれない。
「ありがと」
「うん」
そう言って去ろうとする美優に呼びかける。
「美優」
「何?」
「一緒に入ろ」
「え?でも……」
美優は一緒にお風呂に入るのを何故か恥ずかしがる。
「私、走り疲れてくたくたなの。洗うの手伝って」
「それはいいけど……」
まだ迷う美優にとどめの一言を打ち込む。
「暗い中、一人でいたい?」
僅かな沈黙の後「わかった」そう返事が聞こえた。
案の定、美優はまだ電気が復旧していることに気づいていない。
浴室はこんなに明るいのに。
+++
しばらくして恥ずかしそうに美優が扉を開けた。
「いらっしゃい。ここ、おいで」
自分の前のお湯を叩いて美優を呼ぶ。
「あ、あんまり見ないでね」
今更なにをとも思うけれど「うん、見ない見ない」そう答える。
シャワーで軽く身体を流す美優の肌の上をお湯がつるつると滑っていく。
お肌、若。
思わずそんな事を思ってしまう。
髪を高く結い上げた姿は、お外モードのクールビューティーだった頃の美優を彷彿とさせる。
綺麗な横顔。芸術的な腰のライン。少しぷにった可愛いお腹。
「な、じっと見ないで」
顔を赤くして美優がシャワーを沙奈に向ける。
「わっぷ!ごめんごめん、悪かったってば。こら、やめなさいっ」
軽く叱ると美優はシャワーを足元に向け、お湯を止めた。
「もう、沙奈のエッチ」
「それは否定しきれないわね~」
沙奈の軽口に少し頬を膨らませて、美優が湯船に入ってくる。
気がまぎれたのか、さっきよりは随分安定しているように見える。
沙奈に背を向け足の間に腰を降ろすと、湯船からお湯が溢れた。
もたれかかろうとしない美優の身体を後ろから抱きしめ、引き寄せた。
「ちょ、沙奈……」
「何?恥ずかしいの?」
「ん……」
美優の肩に顔を押し付けてしばしその香りと沈黙を楽しむ。
「走って帰って来たの?」
「んーーー」
「どこから?」
「会社の最寄り駅からーー」
再び沈黙が下りる。
「私の為に、いつも……ごめんね」
少し泣きそうな声。
「美優の為じゃなかったらしないから大丈夫」
「どういう意味?」
「大好きってこと」
美優の耳が赤く染まる。
「でもお仕事」
「大丈夫」
被り気味に答える。
「美優はいつでも、私を呼んでいいの。恋人特権」
「でも……私、沙奈の邪魔……」
美優の言葉をさえぎって鋭く言い放つ。
「私がいいって言ってるのが聞こえない?」
首筋に付いた切り傷をわざと強めに指でなぞる。
「んん!」
痛いのか、美優が身体を震わせた。
「勝手に私のものに傷をつけたおしおきしなきゃね」
「こ、これは……っ」
耳元に唇を寄せて囁く。
「言い訳しないで」
ピクリと美優の身体が揺れる。
「どんな理由でも関係ないの。前に言ったわよね?私に無断で傷つけたら許さないって。忘れた?」
「わ、忘れて…てない」
「忘れてないのに、傷つけたの?どうして?」
「声が……」
「声?」
俯く美優の言葉を待つ。
始めて聞く話しかしれない。
「あのね、変って思われるかもしれないけどね」
沈黙の中、湯船でお湯の揺れる音が浴室に静かに響く。
「時々、聞こえるの。私がいらない子だって。……死んだ方が……沙奈の為になるって」
「馬鹿言わないで!」
最後まで聞けずに沙奈が声を荒げた。
美優の身体を軽く押してこちらを向かせる。
向かい合って座る美優の顔を両手で包み込むと、その瞳から涙が溢れて、零れていた。
ギリ……っと噛み締めた沙奈の奥歯が鳴る。
沸き上がった怒りで視界が眩みそうだった。
その声がなんであれ、美優を傷つけて、こんな風に泣かせている事に腹が立つ。
「もしかしてずっと聞こえてるの?」
「ずっとじゃない。けど、落ち込んだりすると聞こえるの。それでなんか私、変になって、声にそうかなって思っちゃって、それで……」
涙を拭う美優を沙奈は優しく抱きしめる。
「ごめんなさい……」
そう言って沙奈を抱きしめて泣く美優の声が心に痛い。
「捨てないで……沙奈……」
「私が貴女を捨てたりすると思うの?」
「でも……」
「今度、そいつが何か頭の中で囁いてきたら言ってやりなさい。『私は沙奈のものだから、あんたの声は聞けない』って」
「沙奈……」
身体を離して、不安気な瞳を覗き込む。
「貴女は私のもの。違う?」
「そう……だけど」
「私を貴女だけのものにするんでしょ?」
ハッと美優の顔が悲しみ以外の色を宿す。
「い、今ももう沙奈は私だけのものだよ?」
「さぁ、それはどうかな~?」
「どういう意味!?」
弱腰だった態度が急に強気へと転じる。
さて、ここからのバランス調整が大変だぞ、沙奈。そう、自分の心に語り掛けて、沙奈は美優を見つめて微笑んだ。
「私、いつ貴女のものになった、なんて言った?」
美優の涙が止まり、代わりに苛立ちがその瞳に宿る。
「浮気……?浮気したの!?」
掴んた腕に指を食い込ませて、迫る美優の唇を掬うように奪った。
煽りすぎて首を絞められるなんて失態は二度としない。
「ん……っ!」
甘く漏れる声と共に、食い込んでいた指からゆっくり力が抜けていく。
唇を離し、見つめる。
「こんな可愛い彼女がいるのに、浮気なんてするわけないでしょ?」
こつんっとおでこを叩く。
「でも、さっき……」
「私は私のものよ。まだ美優にもあげない」
そう言い残して立ち上がる。
「沙奈?」
離れる沙奈に美優が不安気な声を上げる。
「美優以外にあげるつもりもないけどね。そろそろ髪、洗ってくれる?」
サラリと言った言葉に美優が反応して顔を伏せる。
耳が赤い。
「もっと、ぎゅうしてくれたら……洗ってあげても、いいよ」
恥ずかしそうな声が浴室に小さく響く。
「じゃあ、お風呂から出たらいっぱいぎゅうしてあげる」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「絶対?」
「絶対絶対」
「……嘘っぽい」
「酷い言いかがりねぇ」
言葉遊びを楽しみながら沙奈は微笑む。
美優の甘えたさんモードの発動に成功したらしい。
これで今日はもう美優が落ち込む事はないだろう。
さて、優しくしようか、おしおきしようか。楽しい悩みに沙奈の心が弾む。
ぶっちゃけ、朝からまともに食事をしていないせいでお腹が減ってしかたない。
それなりの距離を走ったせいで足も身体も疲弊していた。
けれど、美優の為ならば、沙奈にとってそれらは些末な事に過ぎない。
美優がバランスを崩し罪悪感に苦しむ時、
沙奈の腕の中で溶けて、解放され、重ね合う温もりの中で生まれ変わって……まるで
全てを許された罪人のように、美優は幸せそうに微笑む。
「いいから早く洗って」
今日もまた解放してあげるわ。心の中でそう告げる。
くすぶる罪悪感をすべて快感に変えて、
これから先、罪の意識を抱く度に、沙奈を求めてしまうほどに刻みつけて。
よくわからない声なんかに負けないくらい、乱してあげる。
「洗ってくれたら、ぎゅうよりもっと気持ちいいこと、してあげてもいいわよ」
甘い囁きに期待で潤む瞳を見つめて、沙奈は高まる自身の鼓動を聞いていた。
身体を洗い終えるまで、お互い我慢出来そうにない。
そんな予感を感じながら、美優を引き寄せ、唇を重ねた。
了
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