美醜の味

「はは、随分人間らしい気配になったね」


「……どうして、私が人を殺したって……? 」


 彼女の声は産まれたての小鹿のように震えていた。先程までの無機質な美しさは見る影もなく霧散してしまっていた。今、目の前にいるのは、ただの弱みを露呈されたか弱き少女だった。

 目に見えて動揺している彼女に、俺は胸の内の不確かな、ただの評論とも言える根拠を並び立てる。


「うーん、気配かな? 君からは死の匂いがした。まぁ、初めは死にたがりなのかなって思ったけどあまりに堂々としてるし、まず死にたがりの女が男に襲われてあんな殺意を込めた目をするイメージが出来ないし。根拠としてはそんなもんだけど、まぁ、勘かな。あんたは死にたいより殺したいの方が似合う気がするしね」


 まず根拠もくそも無いのを口に出して初めて知る。チンピラ二人に完膚なきまでに叩きのめされたよりも恥ずかしく思えた。

 彼女はあははと口を開けて笑った。まるで人が変わったようにその表情には生気が宿っていた。


「ふふ……半分は正解で半分は間違ってる。……そう、私は人を殺してる。だから、こう不自然に出歩いてる訳」


 少女は楽しそうに舌を回す。


「何で人なんか殺すの? 」


 俺は無駄無く率直にその問いを投げる。


「そうね……」


 顎に人差し指を添わせながら、彼女は目線を上に泳がせた。自分の所業を表すに相応しい言葉を選んでいるようだった。そして、一度目を瞑り、薄ら笑ってから、「言ってみれば模倣犯ね」、そう清流のせせらぎのように澄んだ声で言った。


「模倣犯? 」


「ええ、ここいらで二年前くらいに連続通り魔殺人があったでしょ? 」


 それはこの街では有名な事件だった。若い女が深夜に住宅街の人気の無い路地で次々に惨殺される事件。それは、毎朝ニュースで報道される度にお茶の間を凍りつかせていた、らしい。被害者は実に六人にのぼった。だが、ある日突然その凶行は嘘みたいに収まるのだった。犯人は見つからず、結局その事件は迷宮入りとなった。


「なんでそんな人の真似事なんて事してるの? 」


「私は、その犯人と……友達だったの」


 連続通り魔殺人の犯人も人間だ。友の一人や二人居るだろうがまさかその友が彼女だったとは思わず、俺の口からはごく自然に感嘆の吐息が漏れた。


「じゃあ犯人は学生だったの? 」


「そうよ……それに女の子。いつも気丈に振舞っているけど本当は酷く臆病な、そんな子」


「そうなんだ。……で? なんで君はその子の犯行の真似をするの? 」


 俺は犯人の事なんか心底どうでも良かった。俺が解き明かしたいのは彼女の美しさである。

 故にあまりに素っ気なく、俺は続きを話すよう促す。

 彼女は目元に影を作り、そして非業を頭に乗せられたかのように重苦しく俯いて、零した。


「あの子は……死んだ、らしいの……」


「らしい? 」


「ええ……。私はね、あの子の事を忘れて、最近まで生きていたの。ふふ、信じられない。私はあの子の事を忘れて呑気に生きてきたのよ。まぁ、今はその忘れている期間の記憶を失っているのだけど。……私はあの子の記憶を取り戻しつつある。あの子に手を差し伸べられたあの日、学校の屋上で歌を歌った放課後、ちょうど二年前の今頃、彼岸花を見に行ったあの日。……だけど、あの子の名前と顔だけ、思い出せないの」


 少女は俯いたまま、悔しそうに唇を噛んだ。彼女から瘴気のように痛苦、悲喜を感じされるものが滲み出ていた。嫌な味のするそれを、俺は噛み締める。


「……私はあの子が死んでしまったなんて信じられない。死なす事なんて出来ない。……だから、人を殺すの。あの子に模して、若い女の人を、このナイフでね……」


 そう言うと彼女はハーフパンツのポケットから折り畳み式のナイフを取りだした。かなり刃が細く、刀身も長いとは言えなかった。よくそんな物で殺せるなと感心する。

 カチンと金属音を立て、少女はナイフを展開してみせる。それはまるで呼吸をしているように、鈍く輝いてはくすんだりを繰り返していた。俺はそのナイフが、俺よりも、そして持ち主よりも余程生物らしく生きているように見えた。


「……でもね、私にはやっぱり向いてなかった」


 ナイフを持つ彼女の手は壊れてしまったかのように震え出した。目の端に溜まった涙も滴る時を渇望するように震えていた。か細い肩も、蕾のような唇も、心まで、彼女の存在全てが危なげに揺らいでいるようだった。


「人を一人二人殺しただけで、私は罪に押し潰されそうになってる。毎晩、断末魔が、溢れ出る血が、剥いた目が、頭の中でフラッシュバックする。私はどうしようも無く正常な人間みたい。私は、あの子を生かす事が出来ない……」


 彼女はどうやら"あの子"以外の人間がどうやら己にとって価値の無い物という考えらしい。それなのに、罪に押しつぶされそうだなんて。

 彼女は、中途半端な道徳観念をなまじ胸に留めているようだった。故に人を殺す覚悟すら無かったのだ。信念も美学もない盲目の殺人者に殺された人達が心底いたたまれない。

 人を知れば知る程失望が募る。だが、それでも俺はまだ彼女を知りたいと思っていた。

 俺は闇の深さを増していく彼女の瞳を見つめる。


 しばらくそのままにしていると、ふと「ああ、そうだ」と彼女は顔をあげた。そして、


「……貴方、私の事見誤ってるわ。私はこれから、死ぬつもりよ」


 そう目の縁の涙を枯らして微笑んだ。

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