好み
「あー……痛って」
あー馬鹿な事をやったなと、街路灯に侵されて全てが白んで見える視界に夜空を映しながら、冷めた頭で反省する。
誰の目にもわかる形で敗北したのはいつぶりだったろうか。
過去の既に色褪せた記憶を丁寧に掘り返していくと、父のような人物に殴られて鼻血を流して泣く園児くらいの自分の姿があった。おそらくそれ以来だろう。だが、悔しいと言った、まるで自分を焦がす炎のような感情は心に一切起こらず、ただただ場違いな笑みだけが零れた。
「……大丈夫?」
酷く抑揚の無い声の方を見ると、先程の少女が俺を見おろしていた。その美しさにしばらく絶句する。
穢れのない白い肌、街路灯の灯りを切り裂く黒髪、深い海のような瞳。彼女の備えた美しさは生命の温もりを感じさせない。彼女の美しさはまるで空に冷たく輝く月を連想させた。
俺は彼女のその目を真っ直ぐに見つめた。その奥底に潜む感情を、俺は全く推し量る事が出来なかった。それに、彼女からは何か死の匂いがした。
「……大丈夫に見えたら眼科に行くことをおすすめするよ」
「そうね。ま、貴方も今すぐ病院で診てもらった方がいいって程顔が腫れてるけど」
「わかるよ。痛てぇもん」
俺は立ち上がろうとするが、手に、腹に、背に力が入らず痛みに震え悶絶した。すると見兼ねた少女が手を差し出してくれた。その手をとると、まるで生きているのか疑ってしまう程冷たく、そして白く美しく、まるで陶器のように思えた。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとう。貴方が居なければ私、今頃何してたかわからなかったわ……」
「何されてた……じゃないんだね」
「そうね」
抑揚の無い声で言われたら、もう冗談なのか測りようがなかった。
「……じゃ、これで。もう一度言うけど、さっきはありがとう。本当に助かった」
少女は軽く頭をさげ、キッパリと別れを告げた。そして、本当に注視していないとわからないほどの微かな笑みを浮かべて、踵を返した。凛々しいとはきっと彼女に宛てがわれた言葉なのだろう。
「……ていうか何でついてきてるの?否が応でも気にしてしまうのだけれど」
俺は少女の後ろを当然のように歩いていた。ここでさよならなんて、俺は納得できなかった。
元はと言えば彼女に惹かれたがために無謀に、守るためではなく奪うために戦ったのだ。こう振り返ってみれば俺もあの金髪と大差がなかった。
「夜、女を家まで送ってあげるのはモテる男の常識だからね」
俺は適当に取り繕う。
「いや、いいです」
「何でさっき襲われたのか学習してないな君は。こんな夜中に一人でいたらそら格好の獲物でしょ? まさに鴨がネギしょってきてるようなもんだよ。それにさっきのヤツらが諦めてるとは限らない……」
あーだこーだ理屈を捏ねて食い下がる俺に少女は呆れた顔をして溜息を吐いた。そして首を二、三回振ると「勝手にして」と投げやりに言い放った。
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