3話 カスタム・スタート〜ハヤテと黒風の再会〜
「あれ? 神崎だ」
「どうしたんだろ。ここのところ毎日じゃない?」
「大会の選考の前くらいしか来ないイメージだったけど……なんかイベントあったっけ?」
「いや、無いよ」
「神崎さんってサイクルトレーナーって使ったことある? 私(使ってるところ)見たことないんだけど……」
「さぁ……一人で団体戦で優勝できる娘だからね。必要ないとは思うんだけど」
「急にどうしたんだろ。何考えてるか分かんないから不気味だわ」
他の部員たちの視線を集め、ひそひそとした会話が微かに聴こえてくる。
別に特別なことをやっているわけじゃない。
自転車競技部の備品、私が普段嫌っているサイクルトレーナーを使って、荒川を走る前のウォームアップをしているだけだ。
自転車競技部の部員で好きに利用できるし、暇つぶしに体を温めるのが目的ならちょうど良い機材だろうと思った。
それと理由はもう一つ。──最近、私の愛車のF95が調子を崩していること。
後ろのギアを切り替えた時、変速がうまくいかないで歯飛びする様になってしまった。
珍しい事じゃない。
ギアチェンジをしていけば、当然変速機を動かすシフトワイヤーはいつか伸びる。
芽衣にお願いしたし、そんなに時間はかからないだろう。
「ハヤちゃーん!」
整備が終わったのか。芽衣が私を呼びながら駆け寄ってくる。
私はサイクルトレーナーから降りて、額に浮かぶ汗を拭いながら芽衣と向き合う。
「シフトワイヤー交換したよ」
「ありがとう」
少しうかない顔をする芽衣。
何かあったのだろうか。
「どうかした?」
「ほんとはチェーンも変えたかったんだ。測ってみたら結構伸びてて。でも、部室の備品でハヤちゃんの自転車に合うチェーンが無かったの。ワイヤー新しいのに変えて出来るだけ調整したけど、まだ少し変なんだ」
「いいわよ、少しくらい」
思えば、自主練や大会を経てもF95はブレーキパッドと各種ワイヤー以外は全て純正のままだ。チェーンは脱着できるタイプで、時々取り外し灯油で洗浄してつかっていた。
色々と交換時期なのかもしれない。
「あまり無茶して乗っちゃダメだよ」
「わかったわよ」
「駐輪場に停めといたから!」
「ありがと!」
芽衣の肩を軽くタッチして、私は部室を出ていく。
サイクルウェアを着たまま駐輪場に向かうと、整備済みのF95があった。
学校の敷地内の道を走って変則の調子を確かめる。
「──よし、歯飛びしない!」
F95の調子は戻った。
明日の授業で使う教科書やノートなんかの荷物になる物は、すべて教室のロッカーに詰め込んできた。
フレームに取り付けた二つのブラケットには、ボトルと、もしもパンクした時用の簡易修理キットを取り付けた。
サイクルウェアの背中にある三つのポケットには、部室からパクって……もとい分けてもらった栄養補給バー。そして飲み物補充用の小銭入れを詰め込んでいる。
装備を万全に整えた私が向かう場所はただ一つ。
──荒川だ。
わたしを追い抜いて世闇に消えていった漆黒のMTB。
あの時、私が自主練終わりでペースダウンしていなかったら。
もう一ヶ月くらい経つかな。芽衣のMTBに乗って、その性能はおおよそ理解できたと思う。それでロードバイクと比較するのは大人げない気もしなくはない。
でも、あの時の追い上げてくる奴の迫力が忘れられない。
響くようなタイヤの音。
感じたことのない
そして圧倒的な速さ。
時間が経てば薄れると思っていた。
でも、記憶は強く補正され、さらに色がついて
気がつけば、あの時と同じ時間帯の荒川サイクリングロードを、練習で走るようになっていた。
「調子は体、F95、共に良好!」
もう一度会いたい。
会って、どうしたいって訳じゃないけれど。
私の何かが変わる気がする。
行く先が荒川の河口に差し掛かって行き止まりになった。
ギアを一気に落として、Uターンし、再びギアを上げて加速する。
『ガチガチガチ! ……ピシッ』
この時、私は気がつかなかった。
変速機が奏でるリズミカルな音と、加速していく走行音に紛れ込んだ、誰にも聞き取れないだろう異音に。
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