2-3話 比べられないハンディキャップ(忘れていた感覚)

 重さと見た目以外、MTB《マウンテンバイク》とロードバイクの差は無いんじゃないか。

 そんな私の予想が、あまりにも的外れだったことを、私は思い知ることになる。


「はぁ……はぁ……何よ…………これ?!」


 力が抜けていく。逃げていく。

 言葉通りの感覚だ。

 全力でクランクを回して発生させた力。後輪に伝わって、タイヤはしっかりと地面を掴んで蹴りつけている。

 加速しようとする自分の意思は間違いなく伝わっているのがお尻で判る。

 しかし、実際はどうだ。前に出ようとする力を、サスペンションが吸収してしまう。

 明らかに遅い。

 何台か追い越したはずの他のロードレーサたちが追いついてきて、一人また一人と自分を抜き去ってゆく。

 見覚えある背中との距離が開いていく。


 速く。もっと速く。


 愛車に乗っている時のような、頭の中で描いた綺麗な加速がこの自転車じゃできない。

 前後共に最速トップギア。クランクを回す足に力が入る。

 吸収される加速力をペダリングで補うために踏みつけるようにクランクを回す。

 最速ギアが軽く感じる。そんなペースが乗りなれない自転車でいつまでもつづくわけがない。体力は消耗し、いつもよりも早くに息が上がってしまった。


 ○○〇


 ハヤテが勢いよく坂を下って、荒川のサイクリングロードを駆け抜けていく。あっと言う間に最速トップギアに入れてさらに加速し、走り去る後ろ姿が豆粒ほどの大きさになるのに時間はかからなかった。

 さすがハヤテだ。うちの自転車競技部をほぼ一人でインターハイ優勝に導いただけのことはある。


 ハヤテがのペースを維持して走り続けられるなら、葛西橋まであと半分というところまで行った頃だろう。

 私はゆっくりと自分のペースでハヤテの後を追う。

 葛西橋まで半分のところまで来たあたりで、遠くに黄色と黒の自転車が走っているのが見えた。

 近づいていくと、乗っているの人は見覚えのあるサイクリングウェアを着ている。

 白に桜の模様をちりばめたかわいらしい見た目のウェア。

 見覚えがあるどころか、自分の友達そっくり……。


「あれ、ハヤちゃん?!」


 私は加速して横に並んで顔を覗き込む。


「……何よ」


 怖い。もしかして機嫌悪い?

 横目でにらみつけるような視線に少しひるんでしまう。


「ち……ちょっと休憩しよ! わたしできるだけハヤちゃんについていこうとしたからのど乾いちゃった」


 私たちは線路下の陰で止まって涼むことにした。

 ハヤテちゃんは芝生に座って顔を伏せている。


 こんな状態のハヤテを見たのは1年ぶりだ。

 ハヤテと私が初めて参加した高校生ロードレース全国大会の地区予選。

 私たち二人は勝てないと諦めていた先輩たちを置いていくことに決めた。力を使い果たして自転車から転げ落ちる限界まで私がハヤテを引っ張って、残りの距離はハヤテが一人で駆け抜けた。

 結果は惜しくも予選敗退。動画で見た光景だけど、ハヤテは一位の選手と肉薄していたけど抜くことができず、僅差でゴールテープを先に割ることができなかった。

 私が遅れてゴールした選手の休憩所に到着すると、ハヤテはそこで一人うずくまって黙り込んでいた。

「ごめん……私のせいだ……」とつぶやく彼女に、私はなにも声を掛けてあげることができなかった。

「ハヤちゃんは何も悪くないよ……」短いセリフさえも。


 あの時と同じだ。

 隣にそっと座るっても、何を言ってあげれば良いのか、気が引けて口をつぐんでしまう。

 どこか重苦しい静かな時間。

 でも、それは息をつく間位で意外にも終わりを迎え、話を切り出したのはハヤテだった。


「……あんなに違うのね、MTBとロードバイクって」


「どうだった?」


「力が逃げていく感じだった」


「サスもそうだけど、タイヤも太いからね。思うように加速が伸びなかったんでしょ?」


 ハヤテは「うん……」と小さく首を動かす。

 加速しようとすれば、それに反応してサスペンションも沈み込む。結果、加速力が吸収されて、加速感が柔らかくなる。


「太いタイヤって(中に入ってる空気の量も多いから)言い換えればそれだけでクッションみたいなものだからね。普通に重いし、ただの平地を走るとやっぱり遅いと思う」


 実際、それだけじゃない。

 ハヤテに乗せているMTBはロードバイクに比べるとギアの枚数が少なく、そして大きさも違う。

 ロードバイクの最速ギアでスムーズにクランクを回しきれるハヤテは正直バケモノじみている。だけど、それと同じようにしてこのMTBのクランクを回したら、一定の回転数から先で空回るような感覚を覚えるはずだ。一番軽いギアでペダルを回した時のように。

 余計に考え込んでしまいそうだから、このことはあえて言わないでおく。ハヤテ自身でも気がついてることだろうから。


「MTBとロードバイク。比べるまでもなかった。こんなに違いがはっきりしてるなんて思わなかった」


「車体の作り方から違うからねぇ」


「あのMTBって一体何だったんだろう」


 昨日のハヤテの話に出てきたMTBのことだろう。


「極太タイヤに片腕のサス……話の感じだとファット(バイク)だから抜かれるなんて余計考えられないんだけどね」


「電動アシストだったとか?」


 ハヤテの言うとおり、そのファットバイクが電動アシスト付きだとしたら、可能性としてはありえなくもないかもしれない。

 でも、電動アシスト自転車が補助してくれるスピードはメーカーに設定として決められていたはずだ。海外のメーカーでも日本のちゃんとした公式店で売られているものなら例外じゃない。

 アシストしてくれる速度の上限は、確か時速20km代だったはず。

 上限から先は人力になるから、バッテリーやホイール、普通のスポーツ自転車よりはるかに重い車体そのものの重量は、読んで字のように『足枷あしかせ』にしかならない。

 ただ重いだけの自転車になるわけだ。


「う~ん、そうかもしれない。可能性はあるよ」


 でも、聞いた話で確証がないし、知識を持っている乗り手がメーカーの設定をいじくっていたとしたら考えられない話じゃないから、とりあえずハヤテの電動アシスト説は肯定しておく。


「そっか……」


 すると、ハヤテはすくっと立ち上がって、お尻をパンパンと軽く叩く。表情はどこか吹っ切ったように明るさを取り戻していた。


「あぁ~あ、すっきりした! こっから先は焦らずゆっくり行きましょう。せっかくMTBに乗せてもらってるんだし楽しまなきゃ」


「うん! おいしいもの食べにいこ!」


 ○○〇


 サイクリングの楽しみの一つと言えば、行った先で食べるランチだろう。

 休日の自主練で走った後は、ランチタイムに必ず立ち寄るイタリアンカフェ。

 本場を彷彿とさせる石窯で焼いているその店のマルゲリータは、自他ともに推している一品だ。

 とくに今日は天気が良くて風が強くない。そんな日は公園の景色を一望できる店のバルコニーで食べるに限る。解放感もあってピザがさらにおいしく感じる。

 芽衣は小さな口をすぼめて『ふ~っ』と冷ましながら、焼きたてのピザに舌鼓を打つ。


「ん~、おいしぃ! ハヤちゃんってこんなオシャレなお店知ってたんだね。いつも走ってばっかりだから、こんな時っていつもコンビニで済ませてると思ってた」


「失礼ね。伊達にここら辺を走りこんでないわ」


 笑いながら抗議して、私も熱々の一つをかじる。

 食べ終えて、公園の景色に視線を移す。

 公園内の広い道を、ロードバイクが走っている。

 ロードバイク、クロスバイク、MTB。中には寝そべった姿勢で乗っている変わった自転車バイクもある。


「いろんな自転車が走ってるね。あっ、見てみてハヤちゃん! あれ、ピストバイクだよ。珍しいなぁ」


「わからないわよ」


「ギアの刃の枚数が前後とも一枚の自転車だよ」


「よくこっから見えるわね」


 店を出た私たちは、葛西臨海公園の中を並んでゆっくり巡ることにした。

 海沿いの遊歩道。水族館、観覧車に乗ってみる高い景色。


 一人の時じゃやらないし感じないからすっかり忘れていた。

 久しく忘れていた、買ってもらったばかりの自転車を乗り回していた時の素直な感覚。


「……楽しいね」


「そうだね!」


 元気よく笑う芽衣から顔ごと視線をそらして熱くなった頬を隠した。


 初めて出場したロードバイクの大会のことを思い出す。 

 死力を尽くした。それでもゴールテープに届かず、予選に負けた。最後の加速で、前を行く選手についていけなかった、あの苦く辛い一瞬。

 身体めぐる血液が沸騰し、指の先まで赤くなるほど上がる体温。呼吸が荒れ狂い目の前がぼやぁと霞んでいく。頭の中の何もかもが真っ白に染まる極限の感覚。


 ハンドルを握って目を閉じれば、昨日のことのように鮮明に思い出せる。


 あの大会の後から、ずっと私は一人で荒川を走りこんでいる。

 夏も、冬も、雨の日も関係なく。求めていたのは速さだけ。

 ランチの後は再び即全開走行。

 あの時の感覚に陥るまで。そして自分が満足するまで。今年のインターハイ優勝の後でもそれは変わらなかった。


 芽衣がいるからなのかな。自転車に乗る時間を、『ただはこうしているだけで楽しい』という遊び気分で過ごすのはいつ以来だろう。


「……ありがとね、芽衣」


「え? ハヤちゃん何か言った?」


「……ちょっと独り言」


 ○○〇


 日が暮れる前に、葛西臨海公園までの道を遡った。

 私は芽衣に自転車を返し、ガレージに立てかけたF95に跨る。


「MTB《マウンテン》ありがと。けっこう楽しかった。じゃあね」


「うん。また行こうね」


 車は来てないかな。

 身体の重心とペダルとブレーキで倒れないようにバランスを取りながら、ガレージの壁の際から頭を出して、道路の左右を確認。

 ブレーキレバーから指を放すと車体が、スッ……と動いて出て車道に出る。

 家から来た道をなぞるように、荒川に差し掛かった。

 夜の時間がやってくる前ぶれの赤い空。

 荒川の全てが茜色に染まる。

 一日を終えた他のホビーライダーたちが、サイクリングロードを川の上流のほうへと向かって走っている。

 坂を下って、私もその流れに乗った。


 地面と顔の距離が近く感じる。

 路肩のひび割れたアスファルト。工事で掘り返して補修して山のようになった跡。荒れた道路の表情が振動となって手に伝わる。


 MTBの乗り味が、塗り替わっていく。いや、元に戻っていくと言った方が正しいかもしれない。

 そして、速さを求める感覚もまた戻って来た。


 今日はゆっくり走る。そう決めた私を、数台のロードレーサーが遠い感覚で追い越していく。

 一台、また一台と横を抜けていくたびに、ペダルを踏む足に力が入ってクランクの回転が上がっていく。

 クランクを回せば回した分だけ。発生させた力が後輪に伝わって、タイヤが地面を蹴りつけて車体が前に出る。

 前に、もっと前に。気持ちにこたえるように加速していく感覚が気持ちいい。

 心に、熱が戻ってくる。


 気が付いたら、全員追い抜いてしまっていた。

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