2-2話 比べられないハンディキャップ
帰ってからすぐに、芽衣からラインで自宅の住所が送られてきた。
「──以外と(学校に)近いのね」
いつも走ってる荒川の近くで、しかも学校から3キロくらいしか離れていない。
ピロンッ! と、続けてメッセージが送られてくる。
「えっ、7時? (部活の)朝練か」
学校のない日はゆっくりしたいのに。
でも、せっかく招待してくれたんだ。仕方ない。今日は早く寝よ。
夕飯、学校の宿題、入浴をちゃっちゃと済ませ、寝床に着く。
6時に起床。
サイクルウェアに着替えてガレージに向かうと、お父さんがいた。コンクリートの床に膝をついて、なにやらママチャリをいじくっている。
「ん? ハヤテか。珍しいなこんな早くに。今日は学校休みだろ」
「友達とサイクリングに行くの。お父さんこそどうしたの?」
家で仕事をしているお父さんが起きる時間は、平日だろうと私より遅い。わたしより早く起きているところを見るのは何年ぶりだろう。
「なんか早く目が覚めてね。暇だったから少しメンテしてたんだ。最近はよく学校に乗っていくだろ? 少しでも使いやすい方が良いじゃないか」
そういえば、私のロードバイクと同じ時期に買ったママチャリは、四年経った今でもキレイで状態が良い。屋根のあるガレージに置いていたってホコリは被る。それが吹き抜けのあるガレージならなおさらだ。それでも、買ったばかりの頃のままではないにしても、一目できれいな状態だと見て思える。
時々こうやって、使い古した洋服で、お父さんがママチャリを拭いたりしているからだったのだと、今更ながらに気がついた。
「最近、通学にママチャリを使ってるみたいだけど調子悪いのか?」
私は首を横に振る。
「ごめんなさい。雑誌の記者がしつこいからそれ使ってたの。でも、週明けからいつも通りロードバイクで行くよ」
「かまわないさ。バイクがあるから」
何も気にするなとでも言っているかのように、にっこりと笑ってくれる。
「F95は目立つからな。それでインターハイで優勝したってのなら、顔を隠していても意味無いか。自転車でバレる」
「ありがとう。でも、ほんとにもう大丈夫だから」
「そうか。行ってらっしゃい。気をつけてな」
芽衣から送られてきた住所を
ルートの半分は登下校のそれと変わらない。ロードバイクならゆっくり向かっても時間に余裕がある。
荒川の管理道路。趣味でロードバイクに乗ってるホビーライダーは、荒川サイクリングロードと呼んでいるだろう。
久しぶりにゆったりと土手の上を流して走ると、いつもはスルーして見ていない荒川の景色がよく見える。
明け方の空気は澄んでいて、遠くの景色がよく見える。
まだ少し蒸し暑い9月の終わり近く。日が昇って浅い今は肌をなでる空気が心地よく冷たい。ペダルを回して、ゆっくりと上がっていく体温を優しく冷ましてくれる。
「気持ちいいなぁ」
予想していた通り、約束の時間より早く芽衣の家に着いた。
玄関の脇のには私の家と同じくガレージになっている。
覗いて声をかけろってことなのか。扉は半開きになっている。覗くと、中では芽衣が二台のMTBを整備していた。
私が声を掛けるより早く芽衣がこちらに気づいた。
ガレージのシャッターを少し上に押しながら入る。
中は私の家の外から吹きさらしになっているガレージとは違って、出入り口のシャッターを含めて四方が壁に囲まれている。
木の板を張った壁には釘が工具のサイズに合わせた感覚で何本も釘が打たれていて、そこに芽衣が部活で使っている工具がたくさん引っかけてある。
天井の照明も十分で、夜でも作業に困らなさそうだ。
まさに自転車のためにあるかのような空間だ。
「まるで自転車屋ね」
「でしょでしょ?! この木壁の工具掛けなんか私のハンドメイドなのよ!」
「お店出せるんじゃない?」
コンビネーションレンチ。ラチェットレンチの先端に取り付けるビット。サイズが複数ある工具は大きさ順に並べてある。これなら工具を探すといった作業場の余分な時間が短縮できて、効率よく自転車が整備できるわけだ。
芽衣は自転車競技部員のロードバイクの簡単な整備を任されている。そんな彼女の自転車とその整備に対するこだわりが、この空間にはにじみ出ているような気がする。
私は少しガレージの中を見回して、芽衣が整備していた荷台のMTB《マウンテンバイク》に視線を送る。
左の一台は芽衣が通学に使っているMTBだ。
ということは、私が乗せてもらえるのは、右側にある黄色と黒の蜂を彷彿とさせるカラーリングの車体だろうか。
「これが今日私が乗せてもらえる自転車?」
「そうだよ」
タイヤは太いし、輪っかの大きさも私の自転車のより一回りくらい大きい。
あの夜に見た自転車ほどじゃないけど、これはこれで迫力満点だ。
「タイヤ大きいわね」
「29erだからね。ハヤちゃんの身長なら乗れると思うけど、試しに跨ってみて」
「おっけー。よっと──」
跨ってハンドルを握る。ドロップハンドルで前傾姿勢になるロードバイクと違って、フラットハンドルのこのバイクは姿勢が起き上がった感じになる。
両足をペダルにかけて転ばないように少し力を入れると、極太のタイヤが弾んでいるようで何とも言えない浮遊感を感じる。
「よかった。サドルの高さは調整しなくても大丈夫そうだね。わたし身長小さめだから結構低くしないと乗れないんだぁ。うらやまし」
跨って感触を確かめている私の様子を見て、嬉しそうに芽衣は両手を叩くようにして合わせる。そろそろ行こうか? そう聞く芽衣に、私はルートのリクエストを聞く。
「ルートは決まってるの?」
「荒川のサイクリングロードを下流に行ってか(葛西)臨海公園に。」
「いいわね、そうしよう」
芽衣の家を出て荒川サイクリングロードまでの一般道を走っている中で、私は昨日芽衣が言っていたことを思い出す。
『ハヤちゃん、もしかして来年のレースはハンデでもつけて走ろうと思ってる?』
ロードバイクとMTB。見た目と重さ以外にどれだけの違いがあるのだろう。
靴を買い替えるときのような、普段意識していないところの感覚まで使って。違いを丁寧に拾っていく。
タイヤとホイールからフロントフォークを通して、ハンドルを握る手やフレームに伝わる振動の違い。
──振動が無いと思えるくらい静かだ。
車道の路肩の荒れた路面。ロードバイクだと、少し痛いくらいの
前に出ようとペダルを踏んでクランクを回した時の加速感は特に変わりはない。前を走る芽衣についていく分には問題ない。
土手の側道に出た。近くの入り口から坂を上って、サイクリングロードに入る。
ここからが本番。全力で(クランクを)回してやる。
「芽衣、ここから少し全開にするけど良い?」
「いいよ~葛西橋のところで待っててね~」
「ありがと! 行くわよ!」
例えるなら、土手の坂は空母のカタパルト。
下に降りる勢いを利用して、ギアを一気に上げて、加速し、
……あれ、加速……少し鈍い?
少しだけ、そんなことが頭をよぎった。
でも、すぐに振り払って走ることに集中する。
しばらくは走る事だけ考えろ。普段通りの走りをするんだ。
──そう自分に言い聞かせて。
でも、その集中は一番近くにある鹿浜橋に差し掛かったところで途切れてしまうことになる。
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