バレンタインSS 甘え
二月十三日。バレンタイン前夜のとある家のキッチンにて、一人の少女がエプロンを谷間に挟ませながら指に付いたチョコを舐めていた。
「ん……おいしい……よね?」
彼女はそう言うと、完成したチョコレートを可愛らしくラッピングして冷蔵庫に入れた。
『誰も食べないでね!』とのメモ書きも忘れずに貼ると、エプロンを外して冷蔵庫の横にある、【ちいこ】と、書かれたフックに掛けた。
「これでヨシっと。遅くなっちゃったからもう寝ないと」
彼女は二階にある自分の部屋に入ると、ポスッとベッドに座り、一本に纏めていた髪を二つに分けて結いなおした。
そのまま机の方に視線を向けると、そこには少女漫画の山。それ以外にも、〖恋する女の子のバレンタイン特集~体験談集めました~〗と書かれた厚い本もあった。それらを見て少し考えるように首を傾げると、
「……やっぱり寝よっと」
彼女はそう言って部屋の電気を消すと、布団に寝転んで首元まで布団をかける。
「…………」
そしてその数分後。
「い、一冊だけ読んでから……」
ベッドの上にある小さなランプを付けると、机の上から本を一冊手に取って読み始める。
そして翌朝──
「……ん……んぁ……むぅ? ……っ!? あれっ!? 今何時なの!? ……うそっ! 寝坊しちゃったぁぁぁ!!」
時計の針は、彼女がいつも起きる時間を過ぎていた──。
◇◇◇
俺はウキウキしながら学校へと向かう。 なんでかって? だって今日はバレンタインなんだぜ?
別に今まで家族からしか貰ったことがないって訳じゃない。
美桜からバラ撒き用のチョコをもらったりするし、他の女子からも何度か貰ったこともある。まぁいつも【いい人】で終わってたから、本命のは一度も無いけどな!
だけど今年は違うっ! 俺には彼女が、千衣子がいるのだから。はっきり言って期待しかない。
そして今日は、朝イチで千衣子から『用事があるので一緒に行けないんです~! ごめんなさい』と、連絡を貰った為、別々に学校に行くことになってる。きっと、チョコを下駄箱とか机に入れるっていう少女漫画的イベントをやりたいんだろうな。普段の行動見てると千衣子のやつ、結構そういうのに憧れてるみたいだし。
さて、どんなチョコなのかなぁ~? なんてことを思いながら下駄箱に着いた訳だが……。
「……無い」
俺の下駄箱には俺の靴と防臭剤しか入ってなかった。いやまぁ、俺の下駄箱なんだから当然と言えば当然なんだけど。チョコのチの字も無い。
どういうことだろうかと首を傾げていると、後ろから声をかけられた。
「翔平どうしたの?」
「ん? あぁ茜か……ん?」
「深山おはー!」
「あ、あぁ……。お、おはー?」
え? ちょっと? お前らなんで腕組んでんの?
いや、恋人同士だから別にいいんだけど、そんな堂々としてたっけ?
「翔平? 聞こえてる?」
「え、あぁ……。いや、ちょっとな。大した事じゃないから気にすんな」
「そう? ならいいけどさ」
「茜君、早く教室行こ? 美桜ね、頑張ってチョコ作ってきたんだから♪ あ、深山も東雲さんから貰えるよねー! 念願のカノチョコやったじゃん!」
「お、おう……」
「じゃあ僕達先に行くね」
「じゃね!」
「おぅ……」
茜達はそう言うと早々に靴を履き替えて歩いて行ってしまった。その姿を後ろから見てると、茜に近づこうとする女子に美桜がフシャーとばかりに威嚇している。そんな中、二条と明乃だけはジリジリと一定の距離を取って様子を伺っていた。なんだコイツら。
でもまぁ、美桜が茜に引っ付いてる理由がわかったや。あれだ。茜が他の女子からチョコ貰わないようにだな。うーん、いじらしい。
俺がそう思った時、後ろから俺にとっての癒しボイスが聞こえた。
「あ、深山くん、おはようございます」
「千衣子! おはよう~!」
振り向いて見た千衣子の姿は、少し髪が乱れていて、息切れも起こしていた。
「どうしたんだ?」
「へ? あ……ちょっとですね? 寝坊しまして……。ってもう予鈴なりますよ! 急がないと」
「お、そうだな」
なんだ。寝坊だったのかぁ~。
まぁ俺も焦りすぎたな。まだ一日は始まったばかりだしそのうちくれるだろう。って自分を納得させとく。
そして一緒に並んで歩き出し、千衣子のクラスの前まで行くと、千衣子が軽く俺の袖を引っ張ってくる。
「ん?」
「放課後、三階のあの教室に来てください」
と、一言。
「へ? あ、うん」
俺の返事を聞くと、千衣子は軽く微笑んで教室に入っていった。
おぉぉぉおっ!?
バレンタインの放課後! 誰もいない教室! 彼女と二人きり! 何かが起こる予感っ!
つーことでその日は一日集中出来なかった。例え茜の周りで美桜と二条と明乃がギャアギャア騒いでても全く気にならない程に。
──そして放課後。
俺と千衣子は暖房も付いていない教室で、隣合って座っていた。千衣子は制服の上にダッフルコートを着て、首元に巻いたマフラーは口元まで隠れそうになっている。
「えっと……チョコ、作ってきたんですけど……」
「ありがとうごっざいますっ! うまいっ!」
「は、早いですってば! まだ渡しても食べてもいないじゃないですか!」
「千衣子が俺の為に作ってくれたんだからなんでも美味いに決まってる」
「ふぇっ!? いや……そんな……やめてくださいよぅ……初めて作ったから自信無いのにぃ……もう聞きませーん」
千衣子はそんな事を言いながらモソモソとマフラーの中に埋もれてしまった。
俺は机を叩いて悶えた。この感情に名前なんて付けようがない。あえて言うなら、【ありがとう】と声を大にして叫びたいくらいだ。
「えぇっ!? なんかバンバン音するんですけど何してるんですか!?」
「なんでもないから気にしないで。ちょっと悶えてた」
「悶えっ!?」
「気になるなら見てみる?」
「み、みえませーん」
マフラーから頭しか見えなくなった。
そりゃ見えないわな。可愛いわな。ちくしょう。
──それから少し経ってからやっと千衣子がマフラーの中から顔を出した。
「……ふぅ。もうっ! 今度からあんな事言わないでくださいね? 嬉しいですけど、恥ずかしさの方がまだいっぱいなんですから!」
「はいっ!」
「いつも返事だけはいいんですから……じゃあ、今からあげますけど、ちょっとそこには座って目を閉じてて貰えますか?」
「目を? いいけど……」
言われるがままに俺は千衣子の指の先の椅子に座る。チョコを貰うのになぜ目を? 形に自信がないとか? そんなに気にしなくてもいいのに。
「ほ、ほんとに目を瞑ってます? ほんとに? 絶対?」
「瞑ってる瞑ってる。ほら」
俺は少し力を入れて、千衣子にも分かりやすいようにギュッと目を瞑る。
「そ、それじゃあ……いきますね」
いきますね? あげますね、じゃなくて?
そう思った時だ。
「んむ……んれ……」
「!?」
俺の唇に少し硬い物が触れたかと思うと、そのすぐ後に柔らかい物が触れ、最初に触れた何かが口の中に押し込まれた。
……甘い。これ、チョコかぁ……。
その後、俺の舌に千衣子の舌が触れて、そのチョコはあっという間に溶けて無くなってしまった。
「…………はっぴぃばれんたいんです」
お互いの唇が離れる。
座ってる俺の事を立ったままで上から見下ろしながら、自身の唇の端に着いたチョコを舐め取りつつそんな事を言う千衣子。
その姿に俺の頭はボーッとして何も考えられなくなってしまった。
そしてなんとか我に返って口を開こうとした時、千衣子のスマホから音楽が流れる。それは前に俺が勧めた洋楽の曲。
「あ、お母さんからだ。あの……深山くん。これ、今のとは別のチョコです。お家に帰ってから食べてくださいね。本当は一緒に帰りたかったんですけど、今日はお父さんと約束してたんです。深山くんと付き合う前からの約束だったので、断るとめんどくさくなるので……。その代わり……えっと……」
千衣子は顔を赤くしながら俺の耳元に顔を寄せるとこう呟いた。
「(今度、お泊まりに来ませんか?)」
「そ、それって……」
俺が聞き返すと、小さくコクッと頷いてすぐに教室の入り口まで行って扉に手をかけた。そして、
「バ、バイバイ。また……ね」
そう言って廊下へと消えていく。
──頭が沸騰するかと思った……。
◇◇◇
そして、ボーッとした頭のままで家に着き、自室で千衣子から貰ったチョコの箱を開ける。
中に入っていたのは、色んな形のチョコと長方形の枠。いわゆるパズルのチョコ。
組み立てていくと文字や言葉が出てくる物。
そして千衣子の書いたメッセージは、【好き】とか【ずっと一緒】みたいなありきたりな言葉ではなかった。
【いっぱい好きになって欲しいです】
という、俺への甘える言葉だった。
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