キライ

淵上 羌

キライ

「予約していたKです」


 目の前の女性はそう言うと、小さな袋をカウンターに置いた。女性はとても美しく、はらりと靡く髪に思わず見惚れてしまった。


「K様ですね。お待ちしておりました」


 袋を受け取り、女性を待合室へと案内すると裏の作業場へと向かった。


「さてと……やりますか」


 早速いつもの作業に取り掛かる。まあ、作業と言っても機械を操作するだけなのだが。


 目の前には、人間が3人ほど入れるであろう大きさの水槽。その手前には機械を操作するためのコントロールパネルがある。


 女性から受けとった袋を開くと、そこには一本の髪の毛。


 ピンセットで慎重に袋から取り出すと、コントロールパネルのすぐ横にある解析機の中へと入れる。後は解析が完了するまで待つだけだ。


 私はこの時間が恐ろしい。何かこの世の理に反する事をしているのでは、という気がしてならない。


 しばしの間考え事をしていると突然部屋中にアラート音が鳴り響いた。思わず思考から覚醒する。このアラート音は何度聞いても馴れないものだ。


 コントロールパネルのすぐ上にはディスプレイか置かれており、そこには【解析完了】の文字が鈍く光っていた。まるで今か今かと待ちかねているようだ。


 【開始】のボタンを押すと同時に、鈍い駆動音が部屋に響き渡る。


 水槽の上部にあるチューブから赤い球体が水槽内に打ち出される。その赤い球体が水槽の中を落ちていくのを眺める。これも毎度見慣れた光景だ。


 正直、この段階まで来てしまうとやるべきことはほとんど残されていない。あとは、目の前の機械の仕事を眺めるのみだ。


 先程上部より打ち出された赤い球体は、少し目を離した隙に水槽の中で大きくなり、バスケットボールほどの肉塊となった。


 その肉塊は水槽の中で滑稽に浮かんでいる。


 そこから数十分ほど水槽を眺めていた。水槽の中の肉塊はみるみるうちに大きくなっていった。


 この光景は、常人の目には異常と映るだろう。自分も初めて見た時は、目の前で起きている事を理解するのに時間がかかった。


 なぜならその水槽には先程の肉塊とは似ても似つかぬ、一糸まとわぬ姿の【人間】が浮かんでいる。いや、正確には【人の形をした人形】といったほうが正しいだろう。


 馴れた手付きでコントロールパネルを操作する。水槽内の水はあっという間に抜け、人の形をしたそれだけが残っている。


 ここからは私の仕事だ。水槽の前方のガラスが、車の窓のように下へ収納されていく。


 ガラスが完全に降りきると、椅子にキャスターをつけたような台車を水槽の前へ止めると、水槽内の人形を抱きかかえる。


 そうすると、否が応にも人形の顔が目に入ってしまう。どうやら受け取った髪の毛の持ち主は女性のようだった。顔は……お世辞にも美人とは言えない。


 正直気乗りはしないが、仕事だと割り切るしかない。


 重い体を脇から抱きかかえると、そばにある台車に座らせる。


 しかし、何度見ても不思議だ。この人形は人間との区別がつかぬほど精巧に作られている。万が一にも無いが、突然動き出したとしてもなんの不思議もないだろう。


 台車を押しながら関係者用の薄暗い専用通路を通って、いつもの部屋へと向かう。


 その部屋は、スタジオとなっていてバックヤードには大量の家具や小道具がある。そのせいで台車がギリギリ通れる程度の通路しかなく、そこを通り抜けてスタジオに行くのにはいつも苦労している。


 家具の山を抜け、スタジオに入るとそこには【教室】があった。正確には教室という設定のスタジオであって本物の教室ではないのだが。


 この部屋は客の要望に合わせたスタジオのセッティングを行っている。


 それにしても教室とはまた王道なセッティングだ。実際に教室のセッティングは人気で週に一度は必ずと言っていいほど希望者がいる。


 台座に座る人形を教室に残し、私はバックヤードへと戻る。そして、この小道具の山から下着と制服を見つけ出すと、また教室へ戻った。


 そして人形に制服を着せる。当然、人形は人間と同じ重さなので服を着せるだけでも一苦労だ。人形の介護をしている気分になる。この作業がこの店の業務で一番の重労働なのは間違いないだろ。


 服を着せた人形を適当な椅子に座らせる。これで一通りの業務は完了だ。あとは、先程の女性を呼びに行くだけだ。


     §


 待合室の扉をノックする。


「K様、スタジオの準備が整いました」


 しばしの静寂の後、女性は何も言わずに部屋から出てきた。


「こちらへどうぞ」


 スタジオまでの暗い廊下を歩く。その間、特に会話を交わすわけでもなく、女性はただただ私の後をついてくるだけだった。


「こちらが本日のスタジオとなります。ごゆっくりどうぞ」


 そう言って一礼し、女性を尻目にスタジオを後にした。


 その後、私は業務に戻った。これから一時間後に新たに客が来る。その準備をしなければならない。休んでいる暇など無いのだ。


 私はまた、小一時間ほど前と同じ業務を繰り返した。今回は事前に受け取っていた髪の毛をまたあの解析装置へ入れ、不気味な肉塊を眺めることとなった。


 前面のガラスがすべて降りきると同時に、私は水槽内へ踏み入り、男性であろう人形を抱きかかえる。男性型のほうが体つきが良い事が殆どで、重量もあるので非常に大変だ。


 関係者用通路を通り、新たなスタジオへ向かっていた。と、先程のスタジオの前を通り過ぎようとした時だった。


 すすり泣く声が聞こえた。あの教室を模したスタジオからである。


 この仕事をしていると意外にもよくあることだ。


 普段ならば、いつものことだ、と気に求めないのだがその日はなぜか、あの女性のことが気になってしまった。


 足を止め、人形を載せた台車もそのままに私は女性のいるスタジオに吸い込まれるようにして歩みを進めた。物音を立てないように息を潜めながら、そろりそろりと大量の小道具や家具の間を抜けていく。


 そして、ドアの前まで来た。この扉には小窓がついており、店員が客の様子を確認できるようになっている。それに一方向からしか見ることのできない仕様になっているので客側からこちら側を見ることは出来ない。


 ドアには小窓がついており、そこから覗くことができる。


 ドアに一歩近づくたびに心臓の音が大きくなっていく。ごくり、とつばを飲む。その音があまりにも大きく聞こえて、女性に聞こえないか不安だった。


 知らず知らずのうちに見開いていた目で小窓を覗いた。


 まず視界に飛び込んできたのは強烈な【あか】だった。その衝撃に思わず目を閉じた。そしてまたゆっくりと目を開ける。


 そこには、教室の後方で横たわる血まみれの人形と、そのそばで寄り添うようにして床に座り、泣きながら人形の手を握っているあの女性。女性も血まみれで、服が赤く染まっている。そして、何より一番印象が強いのが人形の顔だ。原型をとどめておらず、顔面は血でぐちゃぐちゃになっている。周辺の様子からして、どうやらそばに落ちている椅子で女性が何度も打ち付けたようだ。


 何度もあのような状態になった人形は見てきた。それに後処理も何度もしてきた。だが実際に現場を見たのは初めてだった。


 恐ろしくなった。


 あの人形のもととなった人間はどれほどあの女性にひどいことをしたのだろうか。あの女性があれ程の恨みを抱いていたなんて、先程の会話では微塵も感じられなかったというのに。


 そして……女性は泣いていた。これは一体どういうことなんだ。目の前の光景に対して理解が追いつかない。


 私は見たことを後悔した。こんな店に来る人間にまともな奴などいないのだ。恐怖と緊張で激しく脈打つ心臓が先程よりも一段と騒がしく思えた。


 そして、気がつくと私はその場から逃げ出したい一心で通路に向かって駆け出していた。


 と、足に何かがぶつかった。


 何もできずに前につんのめると、勢いそのままに小道具の山に突っ込んでしまった。上段の方に積んであった小道具や家具がものすごい音を立てて崩れる。床に散らばる小道具。


 これほど大きな音を立ててしまえば、あの女性にも聞こえてしまったかもしれない。だが、そんな事はもうどうでもよかった。急激に体の芯が冷えていく感覚。


 散らばった小道具もそのままに私は重い体を起こすと、ゆっくりとうつむきながら台車のもとへ向かった。


 ふと顔を上げるとそこには台車に座る人形。薄暗い関係者用通路に包まれた人形はひどく恐ろしく見えた。私は震える手で、最後の業務に取り掛かった。


     §


 その後、底知れぬ不安に襲われながらも、私は人形に服を着せ、スタジオでのセッティングを完了させた。


 そして私は現在カウンターにいる。あの女性はそろそろ終了の時間だ。あの女性の相手をしなければならないと思うとなぜか体が震える。早く時間が過ぎてほしかった。家に帰ってシャワーを浴びて温かい布団に入りたい。


 そんな考えがが頭の中を巡っているうちにいつの間にか時間は過ぎていき、あの女性がやってきた。


 服は着替えており、血の痕は無い。だが、女性の顔を見るとあの光景がフラッシュバックしてしまい、なんとも言えぬものがこみ上げてきた。


 このことは悟らぬようにしなければならない。軽く深呼吸をして、いつものごとく決められた台詞でなるべく女性とは目を合わせないようにして会計を済ませる。


 ーーーーこのまま行けばいつものように終わるはずだった。


 突如、女性が口を開いたのだ。


「ーーさっき、見てましたよね?」


 突然の質問に思わず息が詰まる。


「私があのスタジオでしたこと見てましたよね?」


 あれ程の音を立ててバレないはずがなかったのだ。


「……見たことはすべて忘れます。口外もしません。あなたが望むのならこの仕事を辞めても構いません」


 どうせすぐに辞めるつもりだ。いつ辞めようが変わりはしない。


「その必要はありません」


「ではどうすればーー」


「このあと一緒にお茶しませんか?」


「……え」


「そして聞いてほしいんです。自分の顔がキライでキライで顔を変えた女の話を」

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キライ 淵上 羌 @omizu0427

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