第8話 出会い【ダイチ】


「――だからこそ俺は、前に進もうと思ったんです」


 ひとしきり話すと、彼女は落ち込むように下を向いた。


「すみません。何も知らずに私、あんな酷いことを……」


「いいんですよ。俺が言ってなかっただけですから」


「でも……!」


 ごめんなさい、と彼女は再び下を向いた。

 断じて、こんな空気にしたかったわけではないんだけど……。

 俺は視線を逸らし、頬を掻き、また向き直る。


「確かに、欠点が災いを呼ぶのは事実です。でも……結局。多くの人は欠点に全ての責任を押し付けて、欠点を補おうと努力しない。その怠慢が、新しい災いに繋がるんだと俺は思います」


 すると彼女は、瞬時に顔を上げ、


「でも……でも! 私には、意思があっても意志がないから……」


 迫る不安を露わにし、また俯いた。

 手に入らない何かを切望するような儚い表情。声も手も、震えている。

 まるで、群れからはぐれた小魚のように。

 俺はすかさず、口を開いた。


「カエデさんにもありますよ。ただ、強弱の問題だと思います」


「……強弱?」


「はい。カエデさんの意志はただ、弱いだけじゃないかと思うんです。でも、存在はしている。今はまだ見えてないだけだと、俺は確信してます」


「なら……なおさら私、どうすればいいのか」


 そんなすぐに肩を落とさないで欲しい。

 世の中には人を殺すほどの、単体の不幸なんて滅多にないのだから。

 ……だから、と。俺はテーブル上にある彼女の両手を包み込んだ。


「――自分を肯定しましょう」


「…………え?」


「カエデさんには、きっと……自己肯定が足りてないんです。だから」


「む、無理……です。こんな私を、私自身で肯定するなんて、絶対に無理です‼」


 首を横にブンブンと振り、俺の手を振り解く。

 そして瞬時に、荷物を持ち、椅子を引き、立ち上がったのだ。

 その動きの速さ、まるで風のごとく。

 店内では無論、悪い意味で注目の的だった。

 けれど、そんなものを気にしている暇はない。

 考えるよりも先に、俺は背を向けた彼女の手首をつかんでいた。


「ま、待って!」


「離してください! 私、帰りますから!」


 なんで恋人の別れ話みたくなってんだ。

 ……いや、この際、別れ話でもなんでもいい。

 俺はもう、あの時の自分じゃない。変わったんだ……!

 だから絶対、この手を離すものか。何があっても、絶対に。


「なら――」

 

 俺は、気づけば口にしていた。

 これほどまでに苦しくても、ちゃんと考えようとしていた彼女に、最大限の敬意として。伝えられる限り最大限の想いを。


「――俺がカエデさんを肯定します」


 彼女の口は小さく開き、半身がこちらを向く。

 小さく「え」と聞こえたのは気のせいじゃないだろう。 

 上がった心拍や、多少乱れた呼吸など気にせず、俺は言葉を重ねた。


「カエデさんがいくら自分を否定しようとも、俺が肯定する。何度だって肯定する。肯定して、肯定して、肯定して! それを止めることは絶対に――」


 刹那、俺は口を開けたまま、続く言葉を中断してしまった。

 徐々に声量が大きくなって、店員に止められたから?

 そんなもの、違うに決まっている。

 理由は一つだ。見れば誰もが理解する理由が一つ。


 彼女が――涙を溢していたのだ。

 

 ……ポツリ、……ポツリ、……ポツリ。

 目尻は涙のダムと化し、床タイルには大粒の雫が垂れ落ちる。

 俺は無意識のうちに手を離していた。

 それは決して罪悪感でなければ、後悔の念でもない。


 窓から差す西日を背に受ける――彼女の姿が。

 光を吸収して澄んだ夕色に輝く――彼女の涙が。

 粋な笑顔を浮かべる――彼女の表情が。

 

 とても――美しかったんだ。


「私と、付き合ってください」


 突然……だった。突然すぎて、頭が追いつかない。

 開いてしまったこの口は、どうやれば塞がるのだろう。

 告白というものは、基本的に嬉しいものだ。今の俺だって同じで。

 けれど、俺の脳裏には過去の記憶がよぎっていた。

 彼女に振られた日の事。彼女とその彼氏に会った日の事。

 また同じ体験を繰り返すかもしれないという恐怖が、俺の思考を鈍らせる。

 が、しかし。再び彼女を見た時、一つの核心に辿り着いたんだ。

 

 俺は――

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