第2話 傷心

「な、何で分かったの……?」


 生肉を掴んだトングを片手に、私は恐る恐る尋ねてみた。

 数瞬の間、周囲よりも鋭利な空気が漂う。

 相手の顔は下を向いているので、表情が上手く確認できない。

 私は口内に溜まっていた唾をゴクリと飲み干す。

 が、しかし。次の瞬間にはそんな思い、軽々と吹き飛ばされていた。


「…………ぷぷっ」


 ハルちゃんは堪えるように口元を手で押さえていたのだ。

 肩が未だ小刻みに震えている。

 ……え、……え?

 気づけば、体に入っていた力は抜けていた。


「ちょっ、ちょっと、カエデっ、……緊張しすぎ」


 笑いを必死に抑えながら言うも、言い終わった後には腹を抱えて笑い始めてしまった。

 徐々に我に返った私は顔が熱くなるのを感じながら、


「し、真剣な話なんだからね!」


 勢いよく身を前に乗り出していた。

 それを宥めるように「分かってる分かってる」と彼女は言い、また笑う。

 なんか、変に緊張してた私がバカみたい。

 無意識のうちに微笑みを浮かべ、鼻をスンと鳴らしていた。


「それで……私が気づいた理由だっけ?」


 座りながら、私はコクコクと首を縦に振る。

 すると、彼女は答えに悩む素振りを一切見せずに、

「経験と勘だって。カエデと私、もう何年の付き合いだと思ってるの?」

 フフッと嬉しそうな笑みを浮かべ、自分の取り皿に焼けた肉を運んでいった。

 何年、かあ。そういえば、あまり考えたこと無かったなあ……。

 私は手にある指だけで数え始めたのだが、


「足も使わないと足りない⁈」


 驚いた表情を向けるなり、ハルちゃんは、当たり前でしょとケラケラ笑う。


「もー! そんなに笑わなくても」


「だってさあ、幼稚園から高校まで一緒なんだよ? それに家も隣同士だし」


「ほー、確かに長い」


「そこは『もー』でいいんじゃない?」


 言われて、今度は二人でフフッと笑った。

 やっぱり幼馴染は流石だ。さっきの件といい、今回も。きっと私の事は私以上に知っているのだろう。

 そう考えている最中、彼女は持っていたトングを置いてニヤリと笑う。


「じゃあ早速、本題に入るとしますか」


「は、はい!」


 私はコップ一杯の水を飲み干し、猫背ぎみだった背筋をピンと伸ばした。

 ハルちゃんは軽く笑った後、顎に手を当て何かを考え始める。さながら、名探偵の推理場面みたく。


「聞きたいことは沢山あるけど、まずは、さ。……何で別れた?」


 ド直球すぎる質問に、一直線な視線。

 自然と、あの日の彼が頭によぎってしまった。


「……なんか合わないと思われたから、らしい」


 視線なんて合わせられない。私は頬を指で掻きながら、細々と伝えた。

 でも、ハルちゃんは変わらず聞いてくる。


「その『なんか』って、具体的に何なの?」


「なんかは……なんかだよ」


 私も変えなかった。というよりも、これが今できる最善だったから。

 しかし、その度にハルちゃんの顔は曇る。

 腑に落ちないと、そう主張しているのが痛いくらい伝わる。

 そんなにジーッと見つめないで!

 すると、彼女は一度、大きな息を吐いた。


「例えばさ、価値観が合わないとか、話題が合わないとか。色々あるじゃん? そういうのでもないの?」


「そう、かもね……」


「かも?」


 疑問に満ちた表情を向けられるが、それでもこの態度を突き通すしかない。

 そう、なにせ私は――


「まさかカエデ、聞いてないの⁈」


 勢いよく、それも大声を出しながら身を乗り出してくるので、客の目が自然と集まる。

 すぐにハルちゃんも気づき、咳払いしてから席に着いた。


「で、どうなの?」


「……き、聞けてない、です……」


 そ、そんなに溜息つかないでよ!


「まじか」


「まじです」


 そしてまた溜息⁈ 幸せ逃げちゃうよ!


「いやね、それはカエデが九割悪い」


「で、でもね! 私は話そうって、ちゃんと彼に相談したんだよ?」


「それで?」


「そんな面倒なことしたくないって……」


「うん。あの男が十割悪い」


 すると、絶対悪反対! 死刑に処せえ! と騒ぎ出すので、ハラハラしながらも彼女を落ち着かせるのに全力を注いだ。

 全く。これだから自由人は……。


「でもさ。それなら何も出来ないじゃん」


「だからハルちゃんに相談してるの!」


「な、なるほど……」


 そう言って、ハルちゃんは逃げるように水を飲んだ。


「ハルちゃんならどうする? やっぱり経験豊富そうだし、何か良い方法とかあったりするの?」


 けれども、私の期待に満ちた瞳は、彼女をむせさせてしまうだけだった。


「カエデから見て、私ってそんな風に見えてたの?」


「その……恋愛相談とか沢山のってくれてたし、その数だけアドバイスも言ってくれてたから……。もしかして、違う?」


 すると何故か、ハルちゃんは腕を組んで胸を張り、照れるような表情を見せる。


「ま、まあ当然、私だって恋くらいしたことあるし。でも……でもね! 一回の、それも長い恋しかしたことないの。今も、続いて……」


 話すにつれて、モジモジし始めるハルちゃんを余所に、私は驚きに浸っていた。

 そんな話、初耳だった。

 もっと世界を股にかけるみたく、男を股にかけていると思ってたんだけど……。

 いや、でも。という事は――


「この前ハルちゃん、彼氏いないって言ってたよね⁇」


「っな⁈ それは――」


「ということは、私の方が男性経験ありってことだね~~」


 ニヤニヤが止まらない。

 滅多に上を歩かせてくれないハルちゃんの上を今、私は歩いているんだから。

 こんなに羞恥で染まった顔、今すぐスマホを取り出して写真に収めたいくらい。

 でも、そんなことしたら数日間は口聞いてくれなさそうだしなあ。

 今はこの状態で我慢しよう。


「もー! ニヤニヤ止めてって!」


「ハルちゃんも焼き肉ギャグ?」


「違うわ‼」


 そんな姿にまた、笑ってしまう。

 これじゃあ、いつ表情筋がつってもおかしくないや。



 こんな時間がずっと続けばいいのに――

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