第15話 catastrophe(5)

幹部・頼灰を倒し切り、残るは親玉のツォン1人のみ。


加えてアニマ側は2人。対拳法においては無類の強さを誇るアニムスがいる。


後は流れ作業の蹂躙でおしまいかと思いきや、何とツォンは魔法らしきものの使い手であった。


残像を生み出したり、気配も感じ取れないほどの透明化を行える、強力無比な幻術である。


この能力によってアニムスが脱落、アニマは1人、奮闘を強いられる。


(このままじゃ、状況は悪くなるばかり…)


この絶対絶命の窮地に、アニマは何を想う。


(…いいねいいねえ!こうでなくちゃいかん!)


無上の歓喜である。


もはや運の要素が介在する余地はない。


偶然にも助かってしまう要素は、どこにもないわけだ。


(しかし、ヤツはどんな手で来るつもりだ?


オレの再生力を知った今、一撃で決めに来るはず。


狙ってくるのは当然…頭部!)


虚空のあちこちを睨みつけ、死角からの攻撃に備える。


この臆病とも見える所作を一番嘲笑っているのは、彼女自身だ。


(どうしたオレ、ビビッてんのか?


そりゃそうさ、全く姿の見えない敵が怖くないわけない。


いいぜ、もっと震えたいッ!)


だが空間は、以前として静寂を保ち続けている。


「…どうしたァ、どこにいやがんだァ!


早く来いよォ!ホラァ、弱点はここだぞォ!」


自身のこめかみを叩きながら挑発するも、反応はない。


(…まさかッ、ここでオレがバテるまで待ってるつもりか!?)


消極的な戦法だが、一番堅実で安全な策かもしれない。


(でもアイツがそんな事するかなぁ…。


常に攻めって感じの積極バカのイメージがあるけど…)


そもそも、ツォンがそんな手を使えるほど賢かったら、こんな大ごとにはなっていない。


(だったらなぜ攻めてこない。


探っているのか、一番の隙を…?


ならこちらから動いてみるか…)


殺風景な部屋とはいえ、ツォン用の机や椅子はある。


アニマはこれを持ち上げて、地面に叩きつけた。


「そらァ!どうした、今のオレは隙だらけだぞォ!」


実際、持ち上げる瞬間は完全なる無防備だった。


この絶好の機会を、なぜ狙わなかったのだろうか。


ここで慎重になるようなツォンではないはずだが…。


「どこに居やがる…!隠れたって、無駄だぞおおおおおおおッ!!」


そんな技術持ってないくせに、大声を出して音の反射で位置を探ってみたりする。


だが聞こえるのは、大声の残響と、風の音くらいなものだ。


(ま、イルカじゃあるまいしな…ん?)


風の音がする。それは変ではなかろうか?


窓は開いていないのに、どこから風が入ってくるというのだ。


「あれ?窓は…」


確認しようと窓の方を見て、絶句する。


窓が割れていた。


(…さっき机をひっくり返した時、割っちまったのか?


いや、んなわけねえ。てことは…)


「ああんっ、痛たた…」


アニムスが急に声を上げたので、驚く。


「なっ、何だよ!どうした!?」


「傷口に、これが刺さっていたの。


このお腹の傷は、これで付いたみたい」


アニムスが差し出したのは、血塗られたガラス片。


「まさか、窓の…?」


では、アニムスが攻撃を受けた時点で、既に窓は割れていたというのか?


「ちょっと窓の外を覗いてみて…」


「は?ま、窓の外を…?」


割れた窓から首を出して、外を見る。


髪が風になびき、数本、口に張り付く。


「ぺっ、ぺっ…特に、目新しいモンはねえよ。


右見ても左見ても、何もありゃしねえ…ん?」


視界左端に違和感を感じ、そちらをしかと見てみると…。


この建物の壁面に、男が貼り付いて逃げているのが見えた。


その男はゴキブリのように壁を移動していくと、窓の1つを蹴破って別の部屋に入っていった。


この部屋の、ちょうど隣の部屋に。


「…どう、何かいたかしら?」


「……」


アニマはキレた。








(ちょっとマズいですねえ、どうしよっかなぁ)


ツォンは、絶対絶命のピンチであった。


得体の知れない能力を持った目の前の姉妹に、勝つ術を見出せなかった。


己がこれまで修得してきた、様々な拳法を構えるが、たちまち看破される。


(しかたない、魔法を使いましょうか)


魔法を使うと気の流れが弱まり、しばらく拳法の威力が半分以下になるが、この際仕方あるまい。


「きぃいいい!神羅金剛拳奥義、『夜叉の獄』!」


自棄になった振りをして突撃しつつ、魔法を起動する。


その魔法は、『3分間の完全なる幻影』。


2人は早速、残像の幻を見て暴れている。


(よしよし、少なくとも3分の間は大丈夫なはず…)


考えつつ、窓ガラスを蹴破った。


甲高い音が鳴るが、気付いた様子もない。


(効いてる効いてる!さっさと逃げちゃお…)


だがその瞬間、外から突風が吹き込み、ガラスを散弾めいて飛ばした。


「おおおお!?」


ツォンはとっさに躱すが、アニムスの無防備な腹に突き刺さる!


「ゲホッ!」


(あ、やっべー!)


完全な幻とはいえ、痛みがきっかけで目を覚ますかもしれない。


慌てて窓から外壁にへばりつく。


(風が強いですねえ…怖い怖い。


このまま壁を伝って別の建物に逃げるつもりでしたが、とりあえず隣の部屋に入りましょうかねえ)


ここは精々2階分の高さしかないが、地面は石畳なので、注意するに越したことはないだろう。


更に、部屋の中で、何かがひっくり返る音がした。


(派手にやってますねえ)


急いで隣の窓に飛び移る。


「ちょっと窓の外を覗いてみて…」


アニムスの声。


(まずいまずいまずい!


もう気が付いたんですか、全く、図太い神経してますね!)


慌てて窓を蹴破り、部屋に逃げ込む。


「ぎゃああああああ!?」


驚いたのはその部屋に元々いた人。


「驚かせてしまって申し訳ない、『天眼通』さん。


あなたもさっさと逃げた方がいいですよ!」


「え?ぼ、ボス!?


あ、そうだ、ボスが調べてほしいって言ってた言葉…」


「それはもういいですから!ほら、早く!」


「えええ!?そんなぁ、せっかく調べたのにぃ!」


ごちゃごちゃと押し問答をしていると、隣の部屋から近づく足音が聞こえた。


「さすがに気づきましたか、こりゃマズい!」


慌てて部屋を飛び出す!


「…テメェ」


ちょうど同じタイミングで出てきたのは、怨霊の如く乱れ髪を垂らしたアニマ。


「げっ!」


白い毛と赤い眼の、獣がそこにいた。


「ちょ、ちょっとタンマ!」


『気』を消費することは、体力を直接消費することと同義である。


(幻術はあと1回使えそうですね。でもそれを使うと、拳法が…)


拳法は、体の動かし方だけでは、その力の半分も引き出せない。


気があってこそ、本来の殺傷力を発揮できるのだ。


(幻術は、1度かけましたね。2度目はもっと早く解けちゃうかも…。


と、考えるとやっぱり温存を…)


その小癪な打算は、アニマの眼を見て、消え去った。


「…摩利支天流、奥義!」


摩利支天流は、幻影を操る魔法使いのみが使用できる特殊な格闘術だ。


その力は強大だが、幻影魔法と気力の操作を同時に行うため、体力の消費も並大抵ではない。


(まあ、これくらいは、逃げた罰として受けましょう!)


血走ったアニマの眼に向かって、気を送り込むかのように睨み返す。


(ただし、殺されてはあげませんよ!)


両手を開き、右を前にして突き出す。


掌から気が噴出し、アニマの視界を覆う。


「しゃあらくせえええええッ!!」


すっと一息吸ってから、強引に気の壁を突破する。


「くたばれザコカスがァァァ!!」


「暁紅無影拳…!!」


そう呟いたツォンの姿が、かき消えた…。


「またかァ!逃げるのだけは上手だなァ!」


そう言って虚空に拳を振りかざす。


「クソみてえな幻でお茶濁しやがって老いぼれがァ!


いいぜ、逃げろや!逃げて一生オレに怯えながら過ごせ…」


言いながら振り向いたアニマの顔、その眼・鼻・耳から血が噴き出る。


「あぼっ」


そして、倒れ込んだ。


一瞬の静寂の後、空気が揺らいでツォンの姿が現れる。


(自らの姿を消失させつつ、気を流し込んで脳神経を破壊し尽くす奥義…。


気力を最後の一滴まで絞り切っちゃいましたけど、その甲斐はありましたかね…)


膝をつき、呼吸を整える。


「さて、天眼通さん、さっさと逃げますよ!」


部屋の中で震えて膝を抱えていたキョンシー風の女に言う。


「で、でも…ボス…」


「おっと、私の部屋でまだアニムス嬢が倒れておいででしたね。


そちらの始末を先に…」


「いや、あの、ボス…!」


「彼女の方も再生力があるとしたら厄介ですが…」


「じゃなくてボスゥ!後ろぉ!」


「はい?」


立ち上がる、気配。


「!!?」


「うう、うおおおおァ…!」


アニマが、顔中についた血を拭う。


「おやおや…まさか本当の不死身って事は無いですよね…?」


「うううううぐるるるるァ…」


獣と化したアニマに代わり、ご説明しよう。


アニマはこの部屋に来る前、アニムスから1つの『技』を教えられたのだ。


気を受け流す呼吸法である。


「はァーッ、はァーッ…」


そもそも相手の身体に気を流す行為は、術者側に高度な技術が求められる。


そのため、付け焼刃の呼吸法でも、4割程度は無効化できた。


「まさか、姉妹揃ってその技を習得してらっしゃるとは。


いやはや、恐れいりました…」


観念した、と両手を上げた。


そのツォンを、全力の蹴りが襲った。


吹き飛び、壁に叩きつけられて落ちる。


「ぐぼッ…ぐう、ううう…」


全身の骨が折れ、とめどなく血があふれ出ているが、なおもアニマに向き合った。


それが自身を死に追いやる者に対しての、最期の礼儀であった。


「さぁ、思い切りやりなさい…」


「ぐおおおおおォ…おおおおォ」


アニマは獣のように唸り、ツォンに迫った。


そして1歩だけ踏み込み、倒れた。


「……」


「……」


ツォンは振り向いて、這いつくばって逃げ始めた。


(今の無し!逃げちゃおっと!)


「あ、あの、ボス?」


天眼通が、呼び止める。


ツォンは振り向き、『もう喋れない』とばかりに首を振った。


「ああ…じゃあ、私も逃げていいんですか?」


『どうぞ』と頷く。


「じゃ、し、失礼しましたぁ!」


2人はお互い、別々の方に逃げた。


ツォンはそのままどうにか入口近くまで這い逃げると、大量の部下の死体を乗り越え始める。


(全く、えらい殺しようですねえ!


…でも、報告映像だと、こんなに死んでましたっけ?)


僅かに違和感を感じ、念のため、周囲を見回す。


(ああ、こっちの窓も割れてますね。この寺もう使えないなあ)


入口を抜け、庭に出る。


石畳が腹や腕に擦れて、痛い。


庭にも多くの死体が倒れていた。


(…あれ?)


ツォンは、その死体の倒れ方に、またも違和感を覚えた。


まるで、何かに追い立てられ、逃げるように死んでいる。


(侵入者である彼女たちが、逃げる者を追う必要があるのでしょうか?


いや、彼女たちならやりかねないか…)


だがその納得は、とある事実によって吹き飛ばされた。


(これは…!)


血塗れの紙飛行機が落ちている。


その両翼には、五芒星が刻まれていた。


(ああ…もう来てしまいましたか。


さっき窓が割れていたのも、『彼』の仕業だったのですね)


静かに頷くツォンの頭部を、どこからか高速で飛来した『紙飛行機』が切断した。




「…ツォン・ウーライを仕留めた。


残りの金はセウェール銀行に振り込んでおけ」


紙飛行機を投げた男は、羅刹寺の向かいの建物の屋上にいた。


足元に広げた『折り紙』を片付けつつ、インコムで通話を続ける。


「死体の写真だと?ずいぶん慎重じゃないか!


…分かった分かった、撮りゃあいいんだろ!」


男はため息をついて、懐からスマホを取り出した。


そして折り紙で『やっこさん』を2つ折ると、印を結んだ。


すると2体の『やっこさん』は生き物のようにぴょこぴょこ飛び跳ね始める。


「死体の写真を撮影してこい。あと送信もしとけ」


『やっこさん』がスマホを運んでいくのを見届けると、男がまた話し出す。


「…今写真を送った。届いたのを確認したらすぐ金を寄越せよ、いいな」


通話を切る。


「大した金も払わんくせに、一丁前に要求だけはしてきやがる…。


…遅いぞ!」


2体の『やっこさん』が、スマホを運んで足元に戻ってきた。


スマホをポケットにしまうと、男はその場を去る。


その後を、『やっこさん』がぴょこぴょこと追いすがっていった。





「ツォンの処理、どうなった」


「はい、『悪屋あしや道鵠どうこく』を向かわせました」


「…よし、ヤツなら問題ないだろう。


仮にも悪屋家の当主だ、符術では右に出る者はおるまい」


ベンチに座る2人の男。特徴の無い会社員姿である。


「『同盟』の秘密を守るためとはいえ、当のツォンまで殺す事になるとは…」


「仕方あるまい、また例の『アルビノの女』とやらの仕業だ。


だが情報部は特定を完了した」


「もうですか?相変わらず恐ろしい…」


「どちらにせよ、時間の問題だろうな」


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.61【藂无赖】

ツォン・ウーライ。霊拳会の創始者にして、お飾り会長。

若かりし頃、紅蛇の暗黒街で闘争に明け暮れ、その末に200人を

超える達人を部下にした。

その後、当時ボロボロだった紅蛇武術連盟を乗っ取り、今の『霊

拳会』を作った。

高い知能を持つが、興味がある物だと夢中になりすぎて発揮できず、

興味が無い物はどうでもいいので発揮できない。

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