第13話 Death(1)

ニューニヴルヘイム州に位置するニーズヘッグD.H.は、世界最先端の先進国イグロアの首都であり、50万人以上の人口を…。


何、一気に言われても入ってこないと?


では簡単にお伝えしよう。


世界の中心と言っても過言ではない大都市において、その規模にふさわしい数の人々が、ある『驚くべきもの』を目撃した。


である。


「それ、マジで言ってんのか?」


「ええ、10秒間に5000件の通報が入りました。


『月が落ちてくる』と」


「幻術の可能性は?それか集合無意識へのハッキングとか…」


「その可能性は低いかと」


別の部下が、スクリーンに映し出された画像を指で示す。


石の表面のように乾いた下地に、薄く発光する奇妙な紋様がびっしり刻まれている。


「月の表面を拡大したものです。


これを魔法の世界的権威に見せたところ、人間、魔族、獣人のどの種族にも伝わっていない術式であるとの解答が返ってきました。


その権威に、現在連絡を取って招聘の手筈を整えております」


「そうか…だが、カメラをも欺く幻ってこともありえる!


凄腕の魔導ハッカーなら…」


部下たちが顔を見合わせる。


そしてそのうちの1人が、


「いや、あの、そこまで都合のいい幻術はありません。


裸眼を欺く幻と、電子機器を欺く幻は全然性質が違うんですよ?


仮にそんな幻術を行使できるとしたら、どっちみち…」


「ず、随分詳しいな…」


「ええ、そっちの学校通ってたもんで」


するともう1人の部下が、耐えかねたように言った。


「というか、ご自分で窓の外をご覧になれば分かる事でしょう!」


上司らしき男が、押し黙る。


分かっている。


分かってはいるが、どうしても認めたくなかった。


ブラインドを、開ける。


「魔神の仕業だってのか…?」


風を纏い、雲を孕んで落ちてくる、月の姿がそこにあった。














その部屋は、混沌と形容する他ない有様であった。


500種類の貴金属糸で織られたタペストリーに、サファイヤの義眼、常に構造を変える秘密箱など、世界のあらゆる神秘が床に散乱していながら、打ちっ放しの壁には、誰のものとも知れぬ風景画がかけられている。


その対面、本棚で覆われた壁を背にし、机に足を乗せた姿勢で哲学書を読みふける男が1人。


死者の如く白い肌、井戸の底のように果てのない黒い眼。


流れる長髪は、シスターが付けるヴェールの如く、侵されざる雰囲気を与えている。


彼自身が、この部屋を混沌たらしめる最大の要素であった。


じりりりり、と突然電話が鳴る。


机の上のそれを、粗野な姿勢からは想像できぬほど控えめな所作で取った。


「はいもしもし。毎度お世話になっております、クラウリングです。


ええと…連邦捜査局の、カーター様。ご利用は初めてですよね?」


「んな呑気なことを言ってる場合じゃねえんだ!


緊急の依頼だ、どうしても来てもらいたい!」


その声、皆さんは知っているはずだ。


先程部下と月を見ていた、あの上司である。


「ええ、予約は取らない主義ですので、空いていますよ。


で、ご依頼の方は?」


「…ああ?」


「ですから、ご依頼の内容をお伺いしたいのですが…」


「…そういうのは、普通、会ってから話すもんなんじゃねえのか?」


男は見えるはずの無い相手に向かって、首を振った。


「報酬を払って頂けない場合、無駄足になりますので」


ため息が聞こえる。


「流石、世界最強の『何でも屋』って訳だ。お値段も世界最強ってか?


…で、いくらだ?連邦捜査局が、一世一代の大盤振る舞いをしてくれるぜ」


「……」


電話の向こうの雰囲気が変わったのを察し、唾を飲み込む上司、カーター。


「何だ、自分でも引くほど吹っ掛けようってのか?


言っとくがな、こっちは時間がねえんだ!


ぼるならぼるでさっさと言ってくれ!いくらでも出す!」


「…違うんですよ」


「あ?」


「連邦捜査局ではなく、あなたとの契約です。


電話をかけたのはあなた、なら取引もあなたとするのがルールです。


もちろん、あなたが払った後、捜査局に請求するのもいけません。


報酬とはいかに身を切るか。その傷の深さに、私は敬意を払うのです」


カーター、部下の前ながら失禁しそうになる。


取り落としかけた受話器をなんとかキャッチして答えた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!


俺ァ、これでも安月給の公務員だ、カミさんと子供を養わなくっちゃあならねえし、家もローンをまだ払ってる!」


「…それか、もしくは」


「!!」


一方の選択肢は問題外、だとすればこれから語られるもう1つの選択肢を選ばざるを得ないのだ。


どちらも出来ぬとあれば、世界が滅びる。あと数時間でだ。


聞き逃さぬよう、息を殺した。


「私に何を与えるか。いかに価値あるものを提供できるか。


その基準をもって判断するのもよいでしょう」


そして手に持った哲学書に目を付けると、


「では質問です。私は今哲学書を読んでいるのですが…。


哲学書というのは、どうしてこう、仰々しい装丁なんでしょうね?」


と問うた。


「…は?何だ、そりゃ何の大喜利だ…」


「大喜利!まさにそう、大喜利ですよ!


あなたの積み重ねてきたもの全ての凝集を、その発露を、この一瞬にお聞かせ願いたいんです!」


「……」


沈黙は、わずか数秒の内に、葛藤と覚悟とを示していた。


「…そりゃあよ、良い絵が良い額縁に入ってるのと同じこったろうよ。


良いもんは、ちゃんとしたとこにしまっとかにゃ格が落ちちまうだろう」


洒落ているのか野暮なのか分からない解答を絞り出した。


「…なるほど。言いたい事は分かります」


「って言うと…」


「ただいまそちらに向かわせていただきます」


「…!~!!」


達成感と安堵を電話の向こうから聞き取り、男は受話器を置いた。


「あなたは運がおよろしい」


クラウリングは、問いの答えがどんなものでも断るつもりでいた。


面倒だったからだ。


だがあまりにも必死な様子に、思わず笑ってしまった。


『大喜利』なら、それで充分だろう。


「久方ぶりに興が乗りました」


ラックにかかった真紅のコートを被るように着て、扉を開け、階段を上る。


3m足らずのこの階段が、5km上の地上へと繋がっているのは、想像を絶する異端の魔法によってである。


この奇跡の術もまた、本来人の手では成せぬはずのものであった。














世界の中心とはよく言ったもので、そこで暮らす人々の生命力を示すように乱立するビル群は、先進国の首都たる威容を余すところなく表している。


「うう~…ああっは、ひい、ぐすっ…」


その男は、サラリーマンに見えた。


真昼間の街中で嗚咽を漏らして泣き喚いているにも関わらず、誰一人として目を向けないのには理由があった。


1つはここがビルの屋上であること。


1つはこの街には人っ子一人いないこと。


世界の中心なのに、なぜ?


皆さんはもうお分かりだろう。


天を覆うが如く迫る月。それが全てだった。


すると次に湧いてくる疑問は、『そんな所で泣いているこの男は何者なのか?』という事になろう。


「何かお困りですか?」


そのサラリーマンに話しかけたのは、色白で血のように紅いコートをたなびかせた、これもまた奇妙な男。


「う、うるせえ!おらあ死んでやるんだぁ!」


「自棄を起こしちゃいけませんよ!


何があったのか存じあげませんが、生きてさえいれば、必ずいいことがありますって!」


サラリーマンは手足をばたつかせ、ひっくり返って死を待つセミよりなお無様に、暴れた。


「うるさいうるさいうるさい!


俺にとっちゃあな、アイダちゃんは全てだったんだ!


でも突然、結婚するって…おかしいじゃねえか!?」


男は面倒そうにサラリーマンをなだめる。


「ああ、遊ばれちゃったんですね。


でもね、だからと言って、こんなことしなくてもいいじゃないですか!」


そこで男は一瞬、間を置いた。


そして心底度し難いという風に、


「何も、月を落とさなくても!」


呆れて嘲った。


「……」


サラリーマンが、立ち上がった。


その輪郭が、次第にブレ始める。


スーツは歪み、燕尾服に。


髪を撫でると、山高帽が現れた。


そうして上げた顔は、仮面のように無機質で、髑髏のように痩せていた。


「…聞いてよお兄さん。


俺は本気だったんだよ?酷いと思わねえかい?」


「いい大人が、そんなことで駄々をこねて、みっともないったらありゃしない!


わざわざ人の住む大陸にまで来て、迷惑をかけるなんて!」


そして告げる、罪のように、合図のように。


「…魔神王、サムディ男爵!」


瞬間、それは消える。


サラリーマンだった者、魔神王と呼ばれた者、月を落とす者。


バロン・サムディがだ。


「やれやれ、大人しくご自分の家で暴れていただきたいのですが!」


コートの男、世界最強の何でも屋、クラウリングも跳ぶ!


跳躍だが、ほとんど飛翔!


その0コンマ02秒後、彼らのいたビルは直径1m大のサイコロ状にばらける。



『住民は避難を済ませたとはいえ、あくまで中心だけだろう。


まだ避難しきれてねえ奴らもいるはずだ、被害はなるべく最小限に…』


会った時無理やり渡された耳の通信端末から、声が聞こえる。


「魔神と会ったことは?」


『あ?いや…


正直俺は、実在するのかさえ疑ってたが…』


クラウリングは嘆きの声を漏らさざるを得ない。


「世界の心臓イグロアの警察がこれなのだから、市民は魔神を甘く見るのも無理はないですね…」


『うるせえな!だいたい魔神ってのは北の方にいて、出て来られねえハズだろう!?』


「それくらいはご存じでしたか。


…まあ、解せないのは、私も同じでして」


結論から言えば、人の領域で生きられる魔神も、いる。


だが生きにくいのは同じだし、わざわざこっちに来て活動するメリットが存在しないのもまた事実ではある。


「で、私が彼を倒せたとして、月が戻るとは限りませんよ?


そっちは別料金になりますけど…」


『あこぎな商売だな全く!


だが、その事なら問題はない!今、魔法の権威がそっちに向かってる。


俺らもいい加減退避しねえとな!』


「…何です?」


クラウリングとしては、面倒なことになった。


権威というのが誰だか知らないが、余計な者が手だしをしてくる前に片付けてしまねばならない。


「時間制限付きとは、意地の悪い…」


『あ?何だ?どうかしたか…』


端末を破壊する。


「さて、そろそろ着地する頃ですねッ…と!」


跳びあがったまま、着地するビルがなくなり、落下し続けていたが、ついに地面に衝突した。


アスファルトは彼を中心に1mも沈み、破滅的模様のクレーターを生み出した。


「うう、しびれますねえ」


太股を叩いてしびれを散らすと、立ちあがって空を見た。


月は既に、街中に引力を発生させている。


それほど近づいているのだ。


「ま、やることやってさっさと失礼しましょうか」


迫る月を背に立つ『それ』に向かって、不敵に手をこまねいた。


「そちらからどうぞ」


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.51【アルフレッド・カーター】

イグロア連邦捜査局の特別捜査官。

魔法や呪術などに縁の薄い土地で育ったため、その手の事件に

は未だに慣れない。

月が落ちてくるならもうなんでもアリだろ、と言いたい気持ち

をグッとこらえ、職務に邁進する。

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