第12話 Another(4)

神秘の国エイドスを去った破壊の嵐。


彼女が次に上陸したのは、大帝国・紅蛇の都市、桃宮であった。


用心棒の男から聞き出した『霊拳会』の手掛かりを追う為である。


「ん、終わったわ、そう、早めにな。


ほら、オレ仕事の他に、用事あるからさ。合間合間にこなして…うん。


はい、じゃあ、そういうことで」


神との連絡を終える。


あの殺戮から既に2週間が経過し、合間に仕事を一つこなしてから来ていた。


この追跡活動はあくまで彼女自身の意志であり、神の仕事とはまた別の話なのだ。


さて、今アニマは、教えられた本の名前を、もごもごと呟いて反芻した。


「えー…本の名前は…」


「アンタ、売るの、買うの?


どっちでもええけど、はようせい」


それを見て、目の前の老婆が言った。


ここは、あの用心棒の男が言っていた質屋なのだ。


「え~、か、かだ…『伽陀地賦録』っつー本があんだろ、これで頼むわ」


カウンターに、15芯紙幣を置く。


「…取んな」


「お、ありがとう」


それは、薄汚れた古書であった。


「……」


周りを見回す。


近づいてくる者も、話しかけてくる者もいない。


店から出ても、何の変化もない。


本を開いてみる。


内容は、古代紅蛇における一地方の、徴税について書かれたものであった。


(…何だこりゃ、こっからどうすんだよ)


合言葉というのは、手際良くこなせば合理的だが、こうして何か間違えたまま手もち無沙汰のままでいるのは、どうにもばつが悪いものだ。


(まさか、この退屈な本を最後まで読まなきゃいけないんじゃ…)


かつての彼女は本をよく読んでいた内向的な性格であったが、この世界に来てからは本性が露呈した。


実の所、彼女は何にも価値を見出せない、異形の人格の持ち主。


こうしていくつもの国を渡り歩いての『追跡』も、いつ興味を失って中止するかも分からぬ。


そしてその時は、『今』かもしれない。


(…ああ、もういいや、これ以上は―)


そうして惰性でページをめくっていた手が、止まる。


(栞だ。何だ、この…)


透明なプラスチックの栞に、七支刀の絵が描かれている。書き損じめいた、赤い点も1つ。


(もしかしてこれがヒント、か…?)


と言っても、彼女の貧困な発想ではどうにもならぬ。


(たぶん、この赤い点がヒントなんだろうなあ…)


ミスのように見えるわずかな点が、実は重大なヒントであった!…というのは、よくあるパターンだ。


まあ、考えることを放棄した彼女には意味のないことだが。


(…やっぱめんどくせーな、ばばあシメたら吐くんじゃねえか?)


今なら周囲に誰もいない。


(これもう、いっちゃうか!)


彼女は確信していた。


聞こうと思えば必ず聞き出せるであろうことを。


アビゲイルの『愛』を身近に見てきた彼女は、『拷問に耐えられるような者は現実にいない』と考えるようになった。


いくら訓練で鍛えようとも、人は痛みに耐えられない。


特に金で繋がった犯罪者共の集まりなら、どうとでもできよう。


「オバちゃん、ちょっといい?」


老婆に再び話しかけた。


「あんだい、あたしゃ今忙しいんだけどねぇ」


「そう言うな、すぐ終わるよ。…アンタ次第でな」


老婆の顔が、怪訝そうに歪む。


アニマがゆっくりと右手を差し出す…


その手が掴まれた。


(ッ!?)


驚きつつも、既に裏拳を放っている。


その拳は掴んできた者の顔を捉え、歯を折った。


「ぷぎゃっ!?」


男である。


まともに喰らった様子で、無様に転げる。


「へ、へへ…痛いね、どうも。


こんな可愛い子にひっぱたかれると、嬉しくなっちゃうよ」


軟派な男である。


「…どうやらテメェは死にてえ、オレは殺してえ。


こりゃ相思相愛って奴だよなぁ?」


「ま、ま、待って!その手の栞が、気になっただけだよ!」


アニマの顔が怪訝になるのと入れ替わって、老婆が真顔になる。


「…お前さんかい」














ここが、暗殺者訓練所であった。


窓のない廊下はただでさえ息苦しいというのに、虫が群がる薄暗い電灯の下では余計に閉塞感が高まる。


位置を知られぬためとはいえ、目隠しされて1時間移動からのこれは、流石に気が滅入る。


「ここはめったに客が来ないもんで、いやあ珍しいこともあったもんだ」


男は相も変わらずの軽い調子で言う。


「しかし良いのかね、オレみたいな部外者を入れて」


「いやあ、ただでさえ回りくどい手順なのに、暗号まで解かされた日にゃ、おちおちコンビニ行って帰ってくるのも一苦労っすよ!


手順は知ってるんだから、それでいいっしょ、ねえ?」


この男、霊拳会訓練所の構成員らしく、窓口役の老婆の談によれば、教官でも訓練生でもないようである。


「それで、テメェはどちらさん?ここの人なんだろ?」


「いやいや、下部組織から引っ張り出されて雑用してるチンピラさ。


しっかし、ここの訓練所は女っ気ねーから、姐さんが来てくれて助かったぜ」


街の猥雑ながら華やかな様子とは打って変わって、所内は極めて殺風景なので、ストレスが溜まりやすいのだろう。


「で、そっちこそどちら様なんだ?


さっきも言った通り、ここに女が来たことなんて一度も無いからさあ…」


「オレか…言う通りに所長のところへ案内してくれたら、分かるよ」


男は首を傾げて、


「もったいぶるなぁ…ま、いいよ。ここだぜ、所長室」


隣を指した。


そして扉を開け、


「お先にどうぞ」


と促した。


中は廊下からは想像できない程だだっ広く、机も椅子も何も無い。


人さえもいない、がらんどうである。


男の顔を見る。


「…入れよ」


アニマは肩をすくめ、大人しく従った。


部屋に入った途端扉は閉まり、壁が回転して5人の男たちが現れた。


「…オレは所長のところに案内しろっつったんだけど?


随分いっぱいいるのねー、所長ってのはさ?」


「へへへ、ま、悪く思うな…。


探り回られると、こっちも困るんだわ、色々」


アニマは一瞬、もううんざりだとばかりに髪を掻きしだいたが、すぐにいつも通りの、つまらなさそうな表情に戻った。


そして男に向け、指を2本立てた。


「2つ、聞きたい」


「へえ、いいんじゃないの?」


「…まず、オレをここに連れてくる前に、始末できたはずだろ。


弱いなりに、そういう工夫はするべきじゃないか?」


男たちは、仏頂面で沈黙を守っている。


「ま、そっちはいい。ツケを払うのはアンタらだからな。


大事なのはもう1つ!…あの暗号って解き方分かる?」


彼女は推理部分を流し読みして、種明かしだけしっかり読むタイプだ。


「お、気になる?アレ日替わりなんだけど…。


あの栞、透明で赤い点が付いてたろ?本の方にも、点の付いたページがあってよ。


点を基準にして栞を重ねると、七支刀の絵のちょうど切っ先の部分に文字が当たるわけ。


その7つの文字を並べると、合言葉になってるって寸法よ」


アニマは悔しげに手を打ち、


「ああ!結構いいとこまで行ってたんだ!


うっわ、すっげームカつく~!」


大いに笑って、首肯した。


「…ははっ、でもさ、でもさ!


オレにそういうこと言ってよかったのかよ~!」


「そりゃ、お前を殺せば問題ないし。


俺らが死んだら、責任取らずに済むからやっぱり問題ない」


男たちの包囲が、少し狭まった。


距離は近づいたが、馴れ馴れしさは完全に消えた。


「ひゅうっ」


背後の息遣いが聞こえる。仕掛けてきた。


アニマのしなやかな肢体は、瞬間、翻って着地した。


「ご…」


最初に仕掛けた者は、眉間が陥没して目玉をこぼれ出しながら、倒れた。


その死んだ男の両手は、炎を纏っていた。


(魔法?まさか、こいつら全員…)


思考を止める。


要は全員殺せばよく、そのために必要なのは『考えること』ではない。


少なくとも彼女は、そう思っている。


「……」


1人は両目に超自然の光を宿し、1人は両手に電光を帯び、1人は背中から蜘蛛足めいた異形の器官を生やし、1人は何もない所から小鬼めいた謎の生き物を召喚した。


「…虫けら共が!」


光る眼に無慈悲なサミング!チャージされたエネルギーが暴発して頭部ごと吹き飛ぶ!


その隙に取り付いてきた2人目が電撃を流すも、血涙を流すのみ。


「魔法が使えるからどうしたってェ!?」


圧倒的な腕力で拘束を脱し、喉を抉り取った。


そこへすかさず繰り出される異形攻撃を掴み取り、引き寄せて内臓を蹴り壊す。


「雑魚のくせに正面からくるんだもんな、救えねえカスどもだわなァ!」


使役された小鬼どもをゴキブリが如く踏み潰し、術師を縊り殺した。


「で?もう終わりかッ…!?」


そう告げようとしたアニマは、急に動けなくなる自身を知覚した。


「フゥーッ…もう動いてくれるなよ…」


アニマをここに連れてきた、軽薄な男が言う。


「ンだよ、これッ…!ふざけやがって!?」


(ふざけるなはこっちの台詞だぜ…化け物が!


これだけの使い手たちを消耗品にしてんだぜ?喋れるような元気があってもらっちゃ困るって…)


その男は内心で毒づく。


『封印術』は、呪いの中でも特に珍しく、滅多に使い手がいない。


実際、様々な条件を設けて、やっと1人を行動不能にするというのは、一般的にコスパが悪いとされても仕方がない。


が、こういう、圧倒的に強い『個』を無力化する場合には活きてくる。


(10秒の足止めに、魔法使い5人じゃ割りに合わねえよ…。


ホントなら、もう呼吸もできなくなってるハズだろ…)


だが目の前の彼女は、身をよじって暴れるだけの自由があった。


「クソ、金縛りって奴か!?足首が動かねえ!」


「あ、そう…。足首だけですか、そうですか…。


自信なくすぜ、全く…。


アルビノの女がヤバいってのは、ただの都市伝説だと思ってたぜ」


それでも油断せず、準備しておいたから今優位に立てているが、正直、彼にとっても予想外である。


だが、ともかく、捕えたのは間違いない。


(殺すか、生かして本部に送るか…。


…ダメだな、今ここで殺ろう)


それは可能な限りで最善の判断であり、その逡巡は一瞬であった。


故に、これはもう、ことなのだろう。


「すまん、死んでくれ」


拳銃を取り出し、撃鉄を起こして女に向ける。


その時既に、拘束は破られていた。


「っと、ええ?」


アニマはぐいっと距離を詰めた。


(は?動けないだろ。何で)


その突きは、疑問を置き去りにして心臓を貫いた。


(足。無い?切った?治って?)


痛みと肺を傷つけたことによる呼吸困難で、考えがまとまらぬ。


だが、多分無傷でも目の前の状況を理解するには時間がかかったろう。


動かぬ両足首を切断して、再生させるなど。


「…テメェも驚くのか。クソッ!


たまには見切って反撃してくるヤツァいねえのかよ!」


(無理に決まってんだろ…)


薄れゆく意識の中で、ツッコんで倒れた。


「…チッ、死んだのか」


アニマは敵全員の死亡を確認すると、そのまま床にドカッと座り込んだ。


(動きを止められた時は『もしかして』と思ったが…ダメか。


回復能力が世界中で数えられるほど貴重って言われてる世界だし、やっぱ再生は人智を超えてる扱いなのか…。


これでも万能じゃないんだけどな…)


実のところ、そもそもこの状態が、神にとっては本来のコンセプトであった。


華奢な女の外見で、異常な腕力を瞬時に発揮し、仕留めたと思ったら再生してまた襲ってくる。


つまり、『奇襲』と『生存』に特化した肉体として、神に生み出されたのだ。


この肉体が正常にその効果を発揮し続ける限り、彼女が死によって任務から解き放たれることはないだろう。


(まあ、どうでもいいか。本物の所長が帰ってくるまで、待とう…)


こうして、辛うじて霊拳会へ至る手掛かりを繋いだアニマ。


そしてその頃、もう1人の『遣い』もまた、紅蛇にいた。


もっとも、それぞれ全く別の地域で行動していたため、この日会うことはなかった。


だが、それは所詮、わずかな時間稼ぎに過ぎない。


2人はいずれ出会う。そしてそれは、この世界を牛耳るシステムの、大いなる破滅の始まりに過ぎない。


〈おわり〉

どうしようもない名鑑No.50【アニムス】

神によって、アニマより先に送り込まれていた『遣い』。

ありとあらゆる武器を操る戦闘技術に留まらず、薬の調合

技術や物品の修理技術など、あらゆる技に長けている。

アニマと同じように魔法の類は全く使用できない。

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