第11話 hobby(3)

様々な視覚的効果を考慮して陳列された美術品。


それは絵画であり、彫刻であり、奇妙な形状の何かである。


「…」


むやみに荘厳な柱が支える白い天井は、どこまでも広い。


「…なぁ、帰ろうぜ」


「もうですか?」


『やっぱ年頃の女の子は芸術なんかに興味ないわよ!


やっぱアレよね、お買い物とか…』


乾いた息が漏れる。


「そういうこっちゃねえよ。


というか、お前の言う『とっておきのあいであ』ってのは、結局何なんだ?」


「何だ、とは…?


普段絶対に行かないような所に行けば、案外楽しめるかな、と思っただけですが…」


「…はあ」


首を傾げる。


薄々気づいてはいたが、この男、マトモ過ぎる思考だ。


本当に殺人者なのだろうか?


「あ、あはは、ちょっとアニマさんには合わなかったみたいですね…」


アビゲイルの『分かってましたけど』とでも言いたげな言葉。


(でもよく考えると、こいつらって異様なほどマトモだよな…)


アビゲイルの異常性は言うまでもないし、この侍青年にもそれなりの狂った所はあるのだろう。


おかしくなければ人なんか殺さないからだ。


だが、どういうわけか…隠している訳でもなかろうに、普段の生活からはその狂気が感じ取れぬ。


この中で一番奇妙な姿をしているのは、脂ぎったボサボサの白い髪に、淀んだ赤い眼を持ち、薄汚れたタンクトップ姿のアニマ自身である。


「もう、出よう。ここの空気はオレには合わんわ。


ちょっと、これ以上ここにいたら溶けるかもしれない」


「と、溶けちゃうんですか!


それは大変ですね、すぐに出ないと!」


「む。そうですか、合いませんか…」


本当に溶けたらマズいので、早々に美術館を出た。


もう日は暮れていた。


「ま、まあ、アニマさんはこういうの興味ないですよね。


ふ、普段から行かないってことは、行く意味がないってことなんでしょうね」


行ったことがない、という訳ではない。


この世界に来る前、幾度となく行った。連れ回された、というのがより正確だが。


彼女の両親はそういう類のものに関心があり、息子を連れ回して足繁く通った。


だが子供が行って楽しい場所でもない。


そもそも、芸術などという高尚なものは、彼女にとっては、バンパイヤに対するニンニク、狼男に対する銀の弾丸のように、苦手とするものだった。


「そういうことさ。


…さて、お侍さんよ、わざわざ連れ回してもらって申し訳ないが、ここでお開きといこうや」


青年、諫早甚兵衛もさすがに眉の端を下げて、


「そのようですな。


いや、申し訳ない!とっておきなどと偉そうなことを言ったが、あなたを満足させることはできなかったようだ」


これまた丁重に謝罪した。


(マトモだ…)


内心、少し圧されつつも、それを悟らせぬ傲慢な語調で返す。


「いやいや、意気は買うぜ。


オレのためにわざわざ行動に出たその気持ちはな」


「そう言っていただけると助かりますが…いやッ!」


その大音声に、思わず肩を竦める。


「な、何だよ…」


「このままでは武士の沽券に関わるッ!


某では無理でしたが、まだ他にあてがあります!」


『あの子で大丈夫かしらァ?』


あの子?彼らは一体何の話をしているのか。


「まあ、人間何にハマるか分からんからな。


おい、つづりよ!ちょっと来い!」


その呼びかけに答え、街路樹の上から黒い何かが落下してくる。


「おわッ」


「若、綴ならばここに」


それは、人間である。


主と同じ黒髪を、ホーステールに纏めており、装束は黒ずくめであった。


顔と声で一瞬女かと思ったが、体格を見れば男と分かる。


(…まさか、ずっといたのか?)


アニマは、その忍者を恐ろしく感じるより、むしろ哀れに思った。


というか、1日中木の上は普通にキツそうだ。


「話は聞いておったな。


こちらのアニマ殿に、ご満足していただくのだ。手段は問わん」


綴と呼ばれた少年は頷き、


「OKOK!満足させりゃいいんでござるな、楽勝でござるよ!」


と恭しく答えた。


「それより若、予定があったのでは?」


「予定とな」


綴はじろりと主を睨む。


「浮上院派の刺客との決闘があるので忘れぬように、って若ご自身が…」


「あ、ああ~!!そうであった!


あの、お2人!後は綴に任せますので!


某はこれにて!」


『じゃあねェ』


アビゲイルは、慌ただしく去っていく甚兵衛の背から、アニマの顔に視線を移す。


「…オレを見てどうする」


「や、どうって…どうにもならないと、思います…」


一応アビゲイルは、自分に諫早青年を呼んだ責任があると思っている。


なので、申し訳なさそうに口ごもるしかない。


「…まあいいさ。アンタがオレを楽しませてくれるって?」


「左様、お任せあれ!」


随分と自信ありげだ。


「拙者、女の子とお喋りするの大好きでござる故」


「それ、楽しんでんのお前じゃね?」


返答を求めない指摘だったが、綴は嬉しそうに頷いた。


「左様。人を楽しませるには、まず自分が楽しまねば!」


「それは…確かにそうだな」


「何か騙されてませんか?」


釈然としないが、ここで引っかかっても仕方あるまい。


「それにしても、侍に街を連れ回されたと思ったら、今度は忍者とお喋りとは!


まさかこの道端でお喋りするんじゃないだろうな、主婦じゃあるまいし?」


「いや、どこかの『かふぇ』などに入って話しましょうぞ。


色々お教えするでござるよ~、あなたを付け狙う刺客についてとか」


「!」


アニマの赤い眼が、どろりとした殺気を帯びる。


「…なるほど、楽しませてくれるらしい。


早く行こうぜ、ほら走る!」


「まあまあ、落ち着かれよ!」


2人は早く話を聞きたかったので、綴を急かしつつ移動した。


それから2時間後。


「…あ~、やっと見つけた…」


「わざわざカフェを探し回らず、妥協しておけばよかったでござる…」


「あ、あはは…何かムキになっちゃいましたね…。


あ、店員さん、コーヒーを3つ」


メニュー決めでまた時間がかかりそうだったので、先手を打って注文する。


「お前が決めるのかよ!」


「ご、ごめんなさい!取り消しますか?」


「いや、いいけど…」


そう答えるのも折りこみ済みの判断である。


一度行った注文を取り消すなどという面倒は誰でも好まない。


(ちょっと慣れてきたかも、アニマさんとの付き合い方…。


やってる事は支離滅裂だけど、根は意外と普通の人なんだよね)


それは奥底の凡庸さを見抜かれ始めている、という事でもあるが。


「まァいいわ、早速話をしようぜ」


「よろしいですとも。


と言っても、拙者個人の調査力は決して大それたものではござらぬが」


そこにまず、アニマは疑問を投げかける。


「そもそもさ、オレが今日お侍さんと会ったのは全くの偶然だぜ?


何でお前がオレの事について色々探ってるわけ?」


「尤もな疑問でござるな。


ですが、先ほど『拙者個人の』と言った通り、主には内緒なのでござるよ」


口の前に人差し指を立て、『ヒミツ』のジェスチャーをした。


アニマは、胡散臭げにそれを見る。


「ほれ、学園侵入の手引きをしていた生徒が捕まったでござろう?


アレで脱出できなくなった連中が、まだこの島にわんさかいるのです」


アニマは思わず顔をしかめる。


彼女は参加し損ねた事件である。


「拙者も、その…好奇心が疼きまして、ついつい勝手に調べてしまったのですな!


するとどうでしょう、連中の多くが、あなたをつけ狙っているではありませぬか!」


心当たりは?とでも言うようにアニマを見る。


「まあ、功績の1つでも挙げて、迎えを寄越してもらおうという…。


言ってしまえば『か細い希望』でござるな」


だが、それに縋らねばならぬ程、事態は逼迫しているということだ。


「よォ待て待て、オレはこれから殺す奴に興味なんぞ無ェよ。


オレが知りてーのは、誰が何のために送り込んできたのか、って事」


その身も蓋もない台詞に、綴は思わず目を見張る。


皆さんは慣れただろうが、彼女は今おかしな事を言っているのだ。


「ほぉ、さすがに豪胆でござるなぁ。


何のために、というのは分からぬでござるが、相手の正体の方なら」


アニマが片眉を上げるのと同時に、綴は封筒を差し出す。


「ここに、全て載っております故、ご確認を」


「おいおい、準備良すぎだろ…。


まあこっちとしちゃ楽で助かるがよ」


アニマは受け取り、封を切ろうとする。


が、思い出したように、


「そういやあの侍、自分のこと留学生って言ってたよな?


この多国籍な学園で、留学もクソもあるのか?」


ふと湧いた疑問を投げかける。


「…」


だが綴の視線は、窓の外に向いていた。


「おい!」


「え?あ、すみませぬ、何でござろうか?」


アニマには分かる。


こういう反応は、別の重要な何かを発見したときのヤツだ。


(手回しの良さといい、なぁんか妙だなァ?)


一瞬、大量の思考が奔流を形成したが、諦めに遮られる。


(まあいいか。敵ならあとで殺せばいいし)


「あ、あの…アニマ殿」


おずおずと言い出す。


「…」


「少々、急用を思い出しまして…。


その…よろしいでしょうか?」


明らかに『何かあった』表情だ。


「…いいぜ、行けよ」


「そ、そうでござるか?それでは、拙者はこれにて!」


主と同じ事を言って、席を立った。


「あはは…今日はやたらと急用のある日ですね」


「どうでもいいさ。


少なくとも今日の分の暇つぶしにはなったし…」


封筒を懐にしまい、伝票を取る。


「しばらくは退屈しなさそうだ。この情報があればな」


アニマとしても、今日1日過ごしてみて、もう普通の生き方が出来ぬことに気づいた所であった。


とっくに、分かり切ったことではあったが。


「で、でも、刺客がいたなんて驚きですね。


ひ、ひょっとしてアニマさんは気づいてらっしゃったんですか?」


「ん?ああ、何度か狙われたしな…」


いつ襲われるか分からないという事実は、胸躍りこそすれ、恐怖するべきものではなかった。


(そういう意味じゃ、この情報は余計だったかもな…。


ワクワクが減るし)


とは言え仕事中に邪魔されては厄介だ、早々に片付けるべきだろう。


「じゃあ、帰ろうぜ」


「あ、私まだいるので、伝票は置いて行っていただけると…」


言いきらぬ内に放りつける。


「え?あ、そう?悪いねぇ。じゃ」


今月も、金欠であった。


いそいそと素早くその場を去る。


「…不思議な人だなぁ」


残った席で、アビゲイルは独り言ちる。


(ただ妄執に憑りつかれた人間なら、あそこまでお金の事は気にしないはず…。


けれど、神の遣いを名乗って、見ず知らずの人を襲うのは、正気の沙汰じゃない)


異常な行動をしながらも、本人はあくまで『普通』の人格。


そもそも、アビゲイルら殺人嗜好者にとって、『殺すことしか出来なくて暇だ』などという発想は、無い。


明らかに、常人の発想である。


(あんなに『普通』で可愛い女性なのに…。


どうしておかしい人のふりをするんだろう)


内心で首を傾げつつ、コーヒーを一口啜った。


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.45【綴】

かつて封魔忍軍に所属し、今は諫早家に仕える忍び。

極めて強力な魔法を生まれ持っているが、その魔法は

使い所が難しいためほぼ使用しない。

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