第10話 whiff(5)
突然仕事が中止になったので、知り合いとの約束を果たすアニマ。
その約束とは『自分を付け狙う敵を一緒にやっつけてほしい』というものだった。
さて、これからどうなるか…という所で、舞台はガラッと変わる。
小さい国の小さい村。そう考えてほしい。
村といっても現代社会、テレビもラジオもあるし、なんならスマホもある。
とはいえ人里離れた田舎には、これといった観光スポットも無く、高い建物も無く、道路はやたらと広いくせに交通量は全く見合ってない。
閑散、というのがしっくりくる形容であった。
今日はそんな村の…一少年の夢から話を始めよう。
「姉さん…ホントに行くの?どうしても?」
「じゃあアンタが行く?アンタみたいなガキは雇ってくれないけど」
「…それは、分かってるよ。そもそも行く必要があるのかってこと!」
「私たちはこの村から離れる訳にはいかないの。
って事は?この村の中で安定した職を見つけるっきゃないでしょ」
「そう、だけど…。
ごめん、ボクが仕事できないせいで、いつも姉さんばかり…」
「なぁに泣いてんの!?バッカじゃないの?
子供を養うのは大人の義務でしょうが!」
(姉さんはいつもそうだ。
自分ばかりが重荷を背負って、ボクには何でも無いって顔をする)
そこまで考えて、気付いた。
これは、一週間前にしたやり取りだ。
時間が巻き戻ったのでなければ、これは――
「夢だ…」
起きた。
(今更どうしてこんな夢を…)
窓の外を覗くと、真昼だというのに誰一人道を歩いていなかった。
どうしようも無いド田舎だ。
だとしても、自分たちがこの村を去れば、父母の墓を守る者はいない。
この観光名所も名産も無い村に、留まるほかないのだ。
…いや、観光スポットになりかけたものならある。
要塞だ。
村はずれの断崖の上には人竜戦争以来の要塞があり、村はこれを観光スポットにしようとした。
だが、土と石でできた壁以外にはこれといった見どころがなく、観光地化計画はぱったりと立ち消えになった。
そこに突然現れた謎の男が要塞を買い取り、自分の住処にしてしまった。
少年の姉は、その男の下に、働きに行っているのだ。
(何もない訳ないじゃないか。
あの砦に住んでる人、どこかの王族って噂もあるし…。
変なことに、巻き込まれなきゃいいけど…)
やたらと給料が良いのも、かなり怪しい。
(まさか、いかがわしい事されてたり…?
キスとか、あと、その次は…)
ここまでが少年の想像の限界だ。
(そうだ、砦と言えば、あの人たち、何だったんだろう…)
ふと思い出したのは、つい昨日この村を訪れ、砦の場所を聞いてまたどこかへと消えた3人の旅人の事であった。
まだ学生であろう2人は、身なりからそれなりの身分である事が察せられたが、残る1人は汚れた服を着ており、歳の程20代前半といった所で、不自然な取り合わせであった。
(何か変だ。変だけど…ううん、考えすぎだ!)
もう下らない妄想はすまい、姉が帰ってきたら直接聞こう。
そう決めて気持ちを切り換える。
そこに。
「おう!坊主、開けろ!」
切羽詰まった声音と共に、荒々しくドアを叩く音。
この声は、オークのアルガンさんだ。
「は、はい!
…どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもよ、マライアちゃんあの砦で働いてんだよな!?」
マライアは少年の姉であった。
「あのっ、ボクッ、ボクの姉さんが何か…」
「ほれ、あれ、見てみろッ!」
アルガンの指さす方を見れば、森の向こう、崖の上の砦。
崩落している。壮絶な土煙をあげて。
「な…」
「ど、ど、どうすんだ!?」
「どどどどうするって…」
彼らに、今何が起こっているのか知る術は無い。
だが皆さんにはあるはずだ。
見てみよう。
壁が、床が、天井が、轟音を上げて崩れ去る。
降り注ぐ瓦礫は、地面につく前に、電子的ノイズになって消滅した。
「現実と電脳世界の境界が曖昧になっているのだな。
ここまでのことができるハッカーはそうそうおらん。
お前もとんだ奴に狙われたものだの!」
「の、呑気に言ってる場合じゃないですよお!
は、早く逃げないと!」
複数名の男女が、崩壊の雨の中を走り抜けてゆく。
「雇い主は死んだし、一件落着だな!」
「まあ、無関係の人間がいたのは驚いたがな」
アニマの肩に負われた女を一瞥する。
「アンタたち何者なのよぉ!離しなさいよ!」
女が喚く。
この異常事態に対する恐怖をかき消し、理性を保つためにだ。
「そうか、じゃあここに置いとくぞ」
「ま、待った待った!置いていかないで!
村で弟が待ってるの!」
「だったら黙ってジッとしてろッ!」
一瞬の油断もならぬ状況であったが、正直な所アニマは、
(つまらねえ)
と思っていた。
相手が弱かったであるとか、期待外れであったという事ではない。
期待通り過ぎた、とでも形容しようか。
期待通り遠くから呪いをかけてきて、
期待通り苦しめられて、
期待通りなんとか居所を見つけ、
期待通り激しい戦いを繰り広げ、
期待通り追い詰められたハッカーはシステムを暴走させ、
期待通りスタコラサッサと逃げている。
これでは何の面白みもない。
(こういうんじゃないんだよ…もっと、こう…)
想像を絶する過酷な戦い!
その末に明かされる真実!
勝利しつつも、怪物と化してゆく苦悩!
(いや、最後のは既にやったか…。
だいたい、明かされて驚くほどこの世界に興味無いしな。
いや、でも、過酷な戦いくらいなら、どっかにあるだろ?)
彼女の心の中には、未だ幻想がしぶとく棲み着いていた。
それ即ち、
(この世界はそんなに甘くないはずだ…!)
このことである。
今となっては落下してくる瓦礫など走りながら躱せるアニマだが、それでもいつか手も足も出ない敵が現れると信じていた。
そして成長しないまま力だけを手に入れてしまった自分に、痛い目を見せてくれるだろうと。
(やっぱ他力本願で魔王倒しちゃったのがマズかったかな…。
あそこは自力で…でも死んでただろうしなぁ)
「…偽教師、おい、聞いておるのか偽教師!」
「あァ?何だよ!」
レルムは落下してくる天井の一部を片手間に砕きつつ、鼻で笑った。
「こんな時に考え事とは大したものだな!
ボケーッと大口を開けたバカ面を晒しよって!」
「…ンな下らねえことを言うために話しかけてきたのか?」
「いや、そうではない」
「なら本題だけ話してから舌噛み切って死ね!」
落ちてきた瓦礫を拳で弾き、腹立たしい顔に向かって飛ばした。
レルムはそれを難なく受け止め、
「そこ穴あるぞ」
「あ?」
視界が揺れる。
足場がない。
「クソッ…」
「きゃあッ!?」
担いだ女を上に投げ飛ばす。
そして自分が体勢を整えようとした時には、既に地面に激突していた。
「いでぇッ!?」
側頭部と二の腕を同時に打ち付ける。
「ア、アニマさん!大丈夫ですか!?」
「よいよい、余計な心配というものよ!
ははは、先に行っているぞ!」
「…」
無慈悲な声を頭上に聞きつつ、仰向けのまま天を仰ぎ見た。
どうやら下の階に落ちたらしい。
レルムによって尻から抱え上げられる女の姿が見えた。
女と一瞬、目が合う。
女は怯えたように目を逸らした。
「…」
崩れ始める床を背中に感じつつ、立ち上がろうとはしない。
瓦礫が電子の塵に変わる現象は、既に止まっていた。
「死んだか…」
実際の所、魔導ハッカーというものに関する知識が無いのでよく分からないが、どの程度の実力者であったのだろうか。
本人が死んだ今となっては、もはやどうでもいい事だが。
「ちょっと寝よう…」
急に虚しくなった。
どうせこのまま寝ても、せいぜい瓦礫に埋没する程度だろう。
生き埋めになったぐらいでは死なないというのも、よくよく考えると恐ろしい話ではあるが…
「おやすみ…」
人竜戦争以来の砦は、一般的にはあまり有名な史跡ではなかったが、考古学者にとってはそれなりに価値あるものであった。
なので、民間が買い取って住居にした時、業界はちょっとザワついた。
そして今日、崩落したという報せが届いた時、また少しザワついた。
地方紙数社が取り上げ、ニュースにもなった。
居住者の死体が見つからなかったことや、残骸の数が不自然に少なかったことが報道されたが、さしたる関心を引くことはなかった。
村でもしばらくは騒ぎになったが、犠牲者がいないということもあり、すぐに収まった。
「でも、姉さんが無事で良かったよ」
「ほへ?…え、ええ。ホント、命拾いしたわ」
虚ろな目を宙に向けていた女は、ハッとしたように答えた。
姉の、このように気が抜けた表情は、ついぞ見たことのなかった少年である。
「どうしたの?
…まさか、どこか怪我してるんじゃ…!」
「いやいや、そうじゃないのよ、ただね…」
押し黙る。
不吉な静寂に、心臓を撫でられるような不安を感じた。
「…あんた、街に出なさい」
「!!」
その言葉を、少年は予想していたのかもしれない。
それを『不安』で包み、自意識から遠ざけていたのやも…。
「で、でも、父さんと母さんのお墓は…」
「そりゃアタシが守りゃいいでしょ。
あんたも、そろそろ社会経験を積んでも良い頃よ」
反論しようとしたが、何と言うべきだったか忘れた。
というより、初めから持ちあわせていなかったのかもしれないが。
「何ィ?普段は『ボクが頑張らなきゃいけないのに』とか言うくせに、いざ仕事しろってなると日和っちゃうの?」
憎まれ口を叩いてはいるが、町に出た方が良い生活が出来るだろう、という姉の心に気づかぬ少年ではない。
「まぁ、そう…そうだね。
うん。行くよ、ボク」
少年の言葉に女は頷き、立ち上がった。
「そういう事なら、村長に掛け合ってみるわ。
多分、働き口とか下宿先くらいは世話できると思うけど」
「ごめん姉さん、迷惑ばっかりかけて」
女は答えずに、手を振って部屋を出た。
「…」
そして暗い廊下で1人、俯いた。
この表情だけは、弟に見せる訳にはいかなかった。
恐怖の表情である。
あの凄まじい崩壊の中を、小雨でも凌ぐかのように走り抜けていった連中は、自分より若い少年少女であった。
仲間の1人が落下したにも関わらず、一瞥もせず去った2人。
そして振り向きざま、穴に落ちた女と目があった、あの一瞬。
その虚無が、脳裏に焼き付いていた。
あの女は、まだ生きて、どこかにいるのだろう。
その恐怖が、弟を街へ行かせる最後の一押しとなったのだ。
助けられた恩を圧倒的に上回る、底知れぬ『何か』への、恐怖がだ。
(…もう忘れよう。
村長に話を通したら、寝よう)
だが結局、女は後年、死を迎えるまで忘れることは出来なかった。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.41【マライアとゼルグヴィッケ】
寒村に住む、モータル(ただの人間)の姉弟。
両親の死後、その墓を守るため村から出ずに生活していた。
何の罪もないこの姉弟が、アニマたちと関わったことで人生に
受けた影響は、残酷なまでに大きかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます