第10話 whiff(3)

魔神王の卑劣な術によって後輩の肉体を乗っ取られてしまうゾーイ!


激戦の末、本体である首飾りを身体から引きはがし、後輩を救うことに成功する!


彼女はその後、祖父であり学園長であるアラナンの下へ向かった。


アラナンは当世最高の魔法使いの1人であり、魔神の呪いに対しても、有効な対処法を提示してくれるのではないかと踏んだのだ。


が、学園長室に入ったゾーイは表情を歪めた。


「…アンタの孫が来たぜ」


「おお、ゾーイや。


どうした、調べはついたのか?」


白髪の女が、濁った赤い瞳をこちらに向けた。


アニマだ。


「あ、これはこれは。


こうやってお話しするのは初めてでしょうか?」


「ああ、そうだな。何か用があんだろ?


オレの話はもう終わったから、話していいぜ」


アニマは少女の脇を通っていった。


(助かった…)


思いの外、何事も無く済んだので安心して振り返ると、アニマは入口に突っ立っていた。


(部屋からは出ないんかい!!)


腕を組み、ただジッとこちらを見つめる、その威圧感。


「…あー、えっと、話、なんですけど…」


「おお、なんじゃ、その手に持った…ネックレスは」


ゾーイは頷いて差し出す。


「これ、あの、先日の取材で手に入ったんですけど…」


「ふむ?」


老眼鏡を取り出して赤い宝石を覗き込む。


「…これは」


「分かっちゃう?」


沈黙して、首飾りを置く。


1分程して、大きく息を吸い、答える。


「…魔神の依り代とはな。


お前さんにとってはちょうどいいタイミングの話題だの」


「…?」


ゾーイは初め、何の話をしているのか全く理解できなかった。


そのため、『ボケてんのかジジイ』と詰ろうとした。


が、祖父の目線が自らの肩越しに注がれていることに気づき、黙った。


「魔神?その首飾りに何か関係があんのか?」


「左様。魔神の力だ、見覚えがある。


…と言っても、博物館で、だが」


祖父とアニマがどんな話をしていたか、推し量ることもできず、聞くしかない。


「オレがしてんのは魔神王の話だぜ?


その…よく分かんねぇけどよ、魔神王ってのは何なんだよ」


老人は首肯して、


「…そもそも、お前さんは魔神を知らんのだったな。珍しい事だが…。


ならば、魔神の事から説明しよう」


曰く、この世界にはかつて魔法によって栄えた『旧き文明』があった。


現在発見・開発されている魔法のほとんどは、失われたそれを辿ったものに過ぎないという。


その文明を作り出したのが、魔神の祖先である、というのが現在の定説だ。


では魔神とは何か?それは…


「…あ、あの、聞いとるかの?」


アニマの表情が泥人形めいた色に変わりつつあるのを不穏に感じたアラナンは、思わず問うた。


「…いらん」


「は?」


「そんなん…いらねぇんだわ。その、設定とか背景とかさ。


オレは魔神王が誰で、どこにいきゃ殺せんのか、それだけ知れりゃ充分なんだよ」


異世界に来た時、問題になるのは『常識』だ。


まるで違う世界のルールに、適応しなければならない。


このあまりに高すぎる壁を、彼女は『無視』という形で乗り越えた。


「その話だがな…思いとどまってはくれんか?」


機嫌を損ねないよう、その口調は過度に慎重だった。


「あ?オレが魔神を殺せねぇとでも思ってんのか?」


「殺せる事が問題なんじゃ!」


「…あァ?」


話の流れが変わってきた。


だがそれ以前に、この話を黙って聞いていたゾーイが驚いたのは、


(この人なら魔神を殺せると思ってるんだ…お爺様は)


そのことであった。


(魔神の恐ろしさは、お爺様の方が知ってるはず。


…あんな、災害みたいな生き物を、本気で殺せるって、思ってるの?)


魔神は、北の大陸に生息しているとされているものの、その生態は謎であり、そもそも実在するのかどうかさえ一般人は半信半疑である。


それでいて、だれも知ろうとはしない。


皆、怖いのだ。


自らの生活を一瞬のうちに破壊できるような存在が、何の対策もなく、いつ現れるかさえ分からないという事実を、認めたくないのだ。


(やっぱお爺様、ボケてきたんじゃないの?)


その魔神を、アニマなら倒せるという。


ゾーイが、永らく封印されて酷く弱った魔神王を、半ば騙し討ちの形で、奇跡が重なり続けた上で、死ぬ思いで倒したというのにも関わらずだ。


「もし人間が魔神王を殺したと知られれば、他の魔神が報復を行うかもしれん。


それは避けたいのだ」


「と、言われてもねぇ。


魔神王を殺さないと、どっちみち滅びるよ?おたくら」


またその妄言を、とばかりに顔をしかめる。


「いや、それはな…。


そもそも、魔神王は複数おるらしいが、お前さんはどいつの事を言っとる?」


「え、いっぱいいんの?」


まず、その事さえ知らされていないアニマである。


「それも知らんのか!?」


「いや、ちょっと…わっかんないっすね。


上司との…コミュニケーション不足でちょっと」


もごもごと言う。


「…お前さんの意図が分からん!


知りもしない奴を、どうして殺す気になる!?


上司って誰じゃ!!そいつは何のためにお前さんを寄越した!?」


「だからさぁ、何度も言うようにオレは…」


プルルルル。


何の面白みもない初期設定の着信音。


画面には『神』。


「あッ、その上司から着信だわ。出るから待っとけ。


…うぃ、オレです~。あのさ、魔神王っていっぱいいるらしいじゃん!


なんっでそういう重要な事を先に言わない訳!?


標的によって情報がまちまちだったりするしさぁ、ホントそういうとこ…え?


は?何それ?いや、あのさ…うん。それは知って…うん。だから…うん」


(全然喋らせてもらえないな…アニマさん)


傍若無人かつ支離滅裂なアニマを、ここまで押せる人間がいることに、ゾーイは驚きを隠せない。


「あ、そう。じゃもういいのね!?


はいはい、じゃそういう事で。は~い」


通話を切ると、ばつ悪そうにこちらを向くアニマ。


「…え~、今の話、全部無かった事で!」


「え?」


今の話とは、どこからどこまでを言っているのか?


「あの、じゃ、もう帰るんで」


「お、おい!どこへ行く!?」


半笑いを浮かべたままそそくさと退室する。


「…」


「…」


静寂なる空間。残された祖父と孫は、顔を見合わせるほかない。


「まぁ、あれじゃな!あやつは頭がアレな所があるしな!」


「…そんな事より、です」


間の抜けた雰囲気を再び締めるようなシリアスな口調。


「お、おう…なんじゃ」


「お爺様は、あの人が本当に勝てると?その…魔神に」


「勝てるんじゃないか?知らんけど」


あまりにいい加減な返答。


「いや、『知らんけど』って…。


私はその首飾りを手に入れるのに、死にかけたんですからね!」


「でも手に入った訳じゃろ?」


それは結果論というものだ。


「お爺様は…というかほとんどの人間がそうでしょうけど、魔神というものを知らなさすぎます!」


「そうじゃの…以前のワシなら、魔神には勝てんと言うたかもしれん」


「…と、おっしゃいますと?」


老人はそこで老眼鏡を外し、息を吐きかけ袖で拭った。


「ほれ、魔王が死んだじゃろ。


かつての人類が100年かけて倒した連中が。


どこの馬の骨とも知れんチンピラ共にじゃ」


「いや、まあ、でも…相当強い人たちだったんでしょう?」


「強いよ。そりゃあ強い。


でも奴らより強いのがいるのもワシは知っとる。


正直な話、魔王は脅威ではあったが、『こんなモンか』とも思った」


一体この老人は何を言い出すのか?


「世代が下るごとに、強力で複雑な魔力を持って生まれる者が多い、という傾向にあるのは知っとるか?」


「さあ、詳しいデータまでは。


でも感覚として、確かにそんな感じはあります」


「まあ、今の研究者も、それくらいは知っとる。


一種の進化と捉える学説が主流じゃ。


…これからワシがする話は、学者としての、一見解に過ぎん。


根拠にも乏しいし、だいぶワシの主観が入っとる。


老いぼれの世迷言と思って聞いてくれ」


祖父の言葉に孫は頷く。


「いつもの事でしょ。…それで?」


「人類は…あるとき『壁』を破ったように思える」


『壁』?いったい何の比喩か?


ゾーイは眉をひそめつつも、次の発言を待った。


が、なかなか言葉を継がぬ。


「お爺様?」


呼びかけに応じるようにぽつりと言う。


「…所で『いつもの事』ってどういうこと?」


「今更どこに引っかかってんだ!いいから続けなさいッ!」


老人は軽く咳払いして、


「あー、つまり…『進化の壁』を破ったってことじゃ!


強力な魔法の素質を生まれ持つ人間の増加傾向…


データを比較してみると、『ある時』、突然爆発的に増えたように思える」


「主旨が分かりませんが。


…結局何が言いたいんですか?」


彼女が興味を持つのは、目先のスクープのみだ。


「この傾向に気づいたのは、多分、今ワシだけだと思う。


じゃが、もうそろそろ世界中で気づき始めるはずじゃ」


まるで話を掴めず、苛立って言葉を挟む。


「…だから?」


「今まで微妙な均衡の上に成り立っていた秩序が、崩れつつある。


これまで以上に、大規模な犯罪が増えるじゃろう。


爆発的な進化の、第1世代が今ちょうど30~40代だからじゃ」


「はぁ、魔法使いの成熟期ですね。


強大な犯罪者が、もっと増えるだろうと?」


「そういうことじゃ」


ゾーイは首を振った。


「あの、最初に質問覚えてます?


『アニマさんなら魔神を殺せる』と思った根拠ですよ?」


「じゃから、ワシの言葉を覚えておけ。


そうすれば、自ずと分かってくるはずじゃ」


「…」


ゾーイは確信した。


(コイツいよいよボケだしたわ…)


本格的に痴呆が始まったら、施設にぶち込んでやろう、と決意したゾーイであった。








その頃。


廊下を歩きつつ、唖然とスマホを見つめるアニマ。


その思考は、たった今の通話の内容に囚われていた。


(…今まで無かった事だ。どうなってんだ?


『標的が死んだ』って…)


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.39【太陽の悪魔】

テスカトリポカが、自身の魂を移し替えた首飾りの名前。

中央に埋め込まれた赤い宝石は、他の魔神の血液を凝固させたものであり、

太陽を象った意匠と併せて、強力な魔術的作用を発揮する。

宝石の表面を舐めると、爽やかな柑橘系のフレーバーがするらしい。

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