第10話 whiff(2)
油が弾ける音がする。
肉の香りを孕んだ煙が、鼻腔を刺激し食欲を衝き動かす。
腹が減った。
「…話は、何か頼んでからにしましょうか」
「へっ!?…あ、ああ」
顔に出ていたらしい。
「すいませ~ん!」
目の前の女が店員を呼び、注文していくのを、アニマはただ見つめていた。
学園内の市街地にある焼肉店。
ここにアニマを呼んだのは、目の前の女、アビゲイルであった。
「それより、最近どうです?ち、ちゃんとお風呂、入ってますか?」
「ん?まあな」
風呂場での邂逅から数週間、アニマは、とりあえず清潔と言える程度には風呂に入るようになった。
「ご飯も食べてなかったみたいですけど、今は食べてます?」
「ああ、それこそこの店でも、何回か食ってる」
「おお、それは何よりです!」
まるで母親である。
「あ、勝手に注文しちゃいましたね、すいません。
普段は何食べるんですか?」
「いや、別に…。
おかわり自由のライスとナムルで、疑似ビビンバ作って食ってるよ」
「び、微妙に侘しいですね。そんなに、お金無いんですか?」
世界を救った所で、給料が出る訳でもない。
彼女が退屈のあまり人としての生活を捨てたのには、金欠という事情もあった。
「そ、そういえば、初めて聞いた時は、驚きましたけど…。
確か、世界を救うお仕事なんですって?」
「ああ、神の遣いだからな」
現実離れした会話である。
「…へへ、疑ってんだろ?」
「いえいえ。殺す理由は、人それぞれですからね」
さすが、愛ゆえに人を殺す女は、言う事が違う。
「というか!オレの話はどうでもいいんだよ!
…何の用なんだ!」
「お、その話ですね。
実は、とある国の王族に狙われてまして。
彼が雇った魔導ハッカーがアクセスしたトラペゾヘドロンのプログラムが…」
「待て待て待て!」
とめどなく流れてくる情報の波を、遮る。
「1個も入ってこねぇよ!ひとつずつ頼むわ!」
「あ、は、はい」
「まず何で王族に狙われてんの?」
「あ、そ、それは…」
アビゲイルの語る所によると、以前、生徒会の指令で殺した人間が、その王族の遠縁の者だったらしい。
そしてその王族が雇ったのが、魔導ハッカーだという。
「へえ?わざわざ遠い親戚の敵討ちたぁ、暇な奴だねぇ。
で、次に魔導ハッカー、ってのは何?」
「おや、ご存じないんですね。え、ええと…」
1970年にとある祈祷師によって開発されて以来、インターネットと魔法は切り離しがたい関係にある。
事実、インターネットの分布と龍脈の配置には奇妙な一致があり、電脳世界の神秘は、多くの研究者の頭を悩ませている。
そんな中で、インターネットに様々な伝説が生まれ、それを信仰し、探求する者たちが現れた。
「へ、へぇ~…。それはまた、何というか…極めて胡散臭いな」
「そ、そうですかね?結構有名だと思いますけど…。
あ、つ、続けますね」
彼らは、黒魔術やブードゥー呪術めいた手段でインターネットと接続し、WiFiを通じて他者を呪う。
文明が進歩すればするほど、その力を増していくのだ。
「ちょっと私の手に負えない状況で…」
「そんなに強いのか?」
「え、ええ。なので、手伝ってほしい、というのが今回お呼びした理由です」
それを聞いて、アニマはしばらく押し黙った。
そして不意に、
「予定は?」
と訊ねた。
「え…ま、まあなるべく早めに片付けたいので、1週間後くらいまでには返事を頂きたいですね」
「なるほど、1週間ね。
…面白そうだし、行ってもいいが…今やってる仕事が終わったら、でもいいか?」
その返答を脈ありと見たか、アビゲイルの表情は明るくなった。
「ええ、構いませんよ!て、手伝って頂けるなら!」
「ん、決まりだな」
あっさりとOKを出したアニマだったが、内心は『行けたら行く』の心境であった。
なぜなら、今彼女が殺そうとしているのは、魔神の王であったからだ。
(全く…面白そうな話ってのは、何でこう立て続けに来るのかねぇ)
もっとも、殺戮でしか無聊を慰める術を知らぬ彼女にとって、それは望む所でもあった。
もっと。もっとだ。
まだ足りぬ。
「…」
ある領域まで達したハッカーは、物理によるタイピングを捨てる。
そうして、意識のみで電脳の世界を漂うようになった者も、すぐに満足できなくなる。
もっと速くなれるはずだ。
「…!」
仄暗い石室の中、一人五芒星の上で座禅を組んでいた男は、大きく息を吐いた。
暗闇の中では、四隅の燭台とディスプレイのみが光を放っている。
「…クソッ!この程度ではだめだ!この程度では、まだ…!」
ディープウェブなど所詮上澄みに過ぎない。
ダークウェブでもまだ足りぬ。
その奥の奥、情報の海の最深部にこそ、我らが神のおわする都市、ルルイエが存在するのだ。
偉大なる神性はその思念を、選ばれし魔導ハッカーにのみ、宣託として与える。
「お応えください…どうか、どうか…」
切なる祈りの最中、石室の扉が開く。
「!」
「…気味の悪い男だな、相も変わらず礼拝かね」
ランプを手にし、室内を無造作に照らす男。
肥えた肉体を上品な仕立ての服に包んだその男は、かび臭い石室には似つかわしくない気品を備えていた。
「…部屋には入るなと、申し上げておりましたね」
「そうだったか?ワシも来たくて来た訳ではない。
…それより、この間のアレはどういう事だ!?」
先日、男と敵対する、とある少女を取り逃がした件だ。
「ああ…思ったより、精神の強い女子でしてね。
本来ならたちまちに狂い死ぬ呪いを、3分も耐えて逃げ切りました。
ただいま捜索中です、お待ちを」
「…貴様にはそれなりの額を払っている。その分は働け」
男がそう言い捨てて部屋を出ると、石の扉は再びぴったりと閉じた。
「…俗物め。
金だけ出していれば良いものを」
大義も使命もなく、日々惰眠を貪る王族など、彼にとっては軽蔑の対象でしかない。
「仕方ない。今日の所は切り上げるか」
それにしても、気になるのは『あの女』である。
(今時の女子にしては、なかなか骨があったな。
精神時間にして2年にも渡る激痛を、よくも耐えきったものよ)
次は容赦するまい。
そう決意しつつディスプレイを一瞥すると、たちまち表示されていたブルースクリーンは消えた。
少年の身体に憑りつきし魔神王とスキンヘッドの男。
両者の実力は、意外にも拮抗していた。
「んぎぎ…」
「ふぐぐ…」
部屋の中央で、互い両頬をつねりあったまま動かない。
激戦である。
そして、それを入口からこっそり見つめる少女。
(どんな裏があるのかと調べにきてみたら…!)
男の後をつけていたゾーイ・ゼパルは、衝撃の光景を目の当たりにしていた。
(な、何が起こっているの?)
黒崎少年の父親を名乗る男が、少年の寮に入っていく姿を見て、その後をつけ、勝手に部屋に侵入した所までは良かった。
だがそこで見たのは、大の男と高校1年生が顔をつねり合う姿。
(なん…何だこれ?出ていった方がいいの?親子の触れ合い?
…んな訳ないよね!)
物陰から飛び出し、部屋に入る!
「待ちなさいッ!」
びくんと震える両者!
そして安堵したようにお互い手を離した。
2人とも、やめるタイミングが掴めなかったようだ。
「な、何をやっているんですか!」
「それはこちらの台詞でもある!
てかどうやって部屋に入ってきたんだ!」
スキンヘッドの男が言う。
「おお!貴様、こんな所に!」
魔神王は会話の流れなど一切気にせずに声を上げた。
「ワシだ、覚えておるか?ほれ、この首飾り…。
お前に殺された者だが」
「黒崎くん、今お父様と、大切なお話をしてるんです!
少し静かにしていてください」
乗っ取られているとは露ほども思わぬ彼女は、魔神王を歯牙にもかけない。
「いや、そうでなくてだな…」
「だいたい全身に入れ墨なんて入れて、何を考えて…」
その瞬間、絶句する。
少年の全身を覆う紋様は古代魔神呪術のそれであり、仮にも大賢者の孫娘たる彼女に見抜けぬハズもない。
「…ああ、あの時の!その節はどうも!」
握手を求める。
「それにしても、なんでこちらの方とじゃれ合っていたんですか?」
「…この身体を手に入れるためとはいえ、弱らせ過ぎたのだ。
お前の眼には、じゃれ合っていたように見えたことだろうな。
そうだよ、どうせワシなんか…」
俯いてブツブツ言い始める。
ゾーイの訝しげな視線を受けて、スキンヘッドは処置なしとばかりに肩を竦めた。
「…で、あなたは?
黒崎くんのお父様じゃないですよね?」
「おっと。バレていたか!
まあこうなると、隠し立てする訳にもいかんな」
言い逃れることもできただろうに、面倒くさくなったのか、全部白状した。
カルテルについて、自らの身分について。そして、『アルビノの女』について。
何もかも洗いざらいだ。
「…な~るほど。記事にするにはちょっと弱いですね」
「よ、弱いのか…?」
「調査だけとか、つまんないじゃないですか!
もっとほら…2、3人は殺してくれないと。
何だかんだで、人の死が一番ウケるので」
「学生が腐ったミカンどころじゃないぞ、この学園!」
学生の素行不良を嘆く、反社会的勢力の構成員というのも、変な話ではあるが。
「ま、いいです。まだ泳がせておいてあげます。あなたの部下もね。
ただし、この子は私の後輩でもあるので、預からせてもらいます」
ゾーイが少年の肩に手を置くと、びくんと震えた。
「な、なんだ!元はと言えば、貴様らがワシの肉体を破壊したのが悪いのではないか!
そのせいで、こんな弱っちい肉体に憑りつくハメに…」
「人の身体を奪うなんて無茶苦茶ができるなら、大して弱ってもいないでしょう?
ともかく、お爺様に診てもらいます!」
「オレとしてはその方がありがたい。
こうなった以上、調査もクソも無い」
スキンヘッドは諦めたように頷き、背を向けた。
ゾーイは魔神王に、じりじりと近づく。
「な、何だ?ワシをどうするつもりだ!?
や、やめろ!ワシに近づく…」
ゾーイは一切の容赦無く首飾りをもぎ取った。
「あふっ」
少年の全身から紋様が消え、脱力する。
倒れかかる少年の身体を足で支え、サッカーボールのように軽々蹴り上げて肩でキャッチした。
「じゃ、連れて行きまーす」
「おうおう。
オレも女子高生を見られたし、帰るわ」
そうしてゾーイはその場を去り、少年を医務室に送り、祖父の下へと向かった。
その道行きの最中、魔神がこの学園の中に存在しているという事実を、どう受け止めるべきか思い悩んでいた。
(魔神…死んだはずの生命体が、物品の中に魂を移して生き延びているなんて)
表向き平然と流したゾーイではあったが、内心慄いていた。
取材で訪れたエイドスで魔神王に遭遇した時、彼女は恐怖したのだ。
現在提唱されている魔法の理論を丸ごと覆すような奇跡を、呼吸のように乱打する上位存在。
倒すことができたのは本当の偶然というものだ。
それなのに…。
(どうしようかしら…。
そもそも、魔神って殺せるものなの?)
だが、そういった逡巡は、学園長の部屋に辿り着くまでであった。
その部屋には、先客がいたからだ。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.38【Mr.アルハザード】
魔法サイバネティクスや非実在キーボードを使わず、精神力による
タイピングを行えるスーパーハッカー。
相手の脳内に映像を強制ダウンロード&無限リピートする呪いを得
意とし、ウェブの深海に眠る邪神を信奉している。
邪神復活のため、電脳空間と現実を接続する手段を探している。
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