第10話 whiff(1)

今思えば、魔王の復活。あれが全ての始まりだったのかもしれない。


不思議なバランスで保たれた均衡というのは確かに在り、それはある一瞬を境として一気に崩れ去る。


そのタイミングに理由をつけるとするのなら、やはりあの事件だったのだろう。


あの日から、妙に立て続けて大事件が起きるようになった。


…いや、それもこじつけか。


「お爺様?」


始めは、裏社会の大物が死んでいった。


それは大きな出来事ではあるにせよ、一般人が知ることは無い。


「おじーさま?」


だが、エルランデル侯爵一家の殺人事件。


タレントとしても知られていた彼の死は、社会に激震を走らせた。


人々は知ってしまった。『こういう事が起こり得るのだ』と。






「おーじぃーさーまーぁ!?」


「なんっ…なんじゃ!急に大きな声を出して!」


老人の首に手を回して叫ぶこの少女は、ゾーイ・ゼパル。


孫娘であり、老人の経営する学園の生徒でもある。


「いや、お客様です」


「何?」


学園長室の扉を叩く音。


「すんませ~ん!すんませ~ん!」


男の声だ。


「さっきからずっと叩いてますよ」


「おお、いかん。物思いにふけり過ぎたか。


…どうぞ、お入りください!」


「すんませ~ん、失礼しますぅ」


入ってきた男は、酷く人相が悪かった。


スキンヘッドにサングラス。頬には傷。スーツはダブルの黒だ。


老人の目つきが鋭く冴える。


「…お帰りください。我が学園はヤクザの脅しには…」


「いや、ヤクザじゃないですけど」


男が否定する。


ゾーイが老人をひっぱたく。


「おふっ」


「バカッお爺様オメー、何てこと言うんですか!


すいません、祖父が礼儀を知らなくて…」


男は苦笑しつつ気さくに返す。


「ああ、いえ。どうかお気になさらず。この見た目ですし…」


ゾーイは耳打ちして、


「お爺様、ああいう手合いは多少の金を握らせて、穏便に帰すのが一番です」


「聞こえてますけど!?


ヤクザじゃないって言いましたよね!?」


「えっ、そうなんですか?」


ゾーイはきょとんとした。


「…私は、この間転校してきた黒崎の父です!」


「!」


黒崎という生徒は、確かにいる。


だが読者の皆さんはご存知のはずだ。


黒崎少年は、恐るべきカルテルの尖兵であり、この学園に潜入したスパイなのだ。


その父親を名乗るということは…?


そしてこの言葉に反応したのは、ゾーイだ。


「まあ、黒崎くんのお父様でしたか!


実は私、新聞部の部員でして。黒崎くんもウチの部に…」


「おお、それはそれは!ちょうどよかった。


最近、息子からの連絡がなくて、心配でついお邪魔してしまいました」


「ああ、なるほど…」


ゾーイは思わず目を逸らした。


黒崎は、ゾーイと共に僻地エイドスへと取材に向かい、密林に潜む黄金の神殿を発見し、並み居る死者の兵士を壊滅させ、蘇った古き王を倒し、呪われた秘宝を手に入れて昨日帰ってきた所なのだ。


「私たちの取材って、かなりハードなので…。


たぶん、寮で休んでいるんでしょう。


あんまり怒らないであげてくださいね?」


「いえ、学園の生活については任せていますから…。


ただ、少し心配になっただけでして。そういう事なら安心しました」


その後、男は息子の寮の場所を聞き、そのまま帰っていった。


「見かけによらず、穏やかな人じゃったのう」


「ええ、そうですね」


「それにしても、職員室で聞けば良いものを、どうしてここに来たのかのう」


「ええ、そうですね。


…ここに来たい理由があったと考えるべきでしょう」


未知の情報の気配に、ゾーイは舌なめずる。


「と、いうわけで!『取材』に行ってきま~す!」


言うなり飛び出していった。


我が孫ながら恐るべき精力だ、と老人は思う。


(取材から帰ってきたばかりなのは、お前さんも同じじゃろうが…)


とは言え、止めるつもりはさらさら無かった。


彼の孫娘は、学園の経営から遠ざけられた今の彼にとって、唯一と言っていいほど貴重な情報源であったからだ。


「…頼むぞ、ゾーイ。


なるべく無理せず、深くまで入り込んで調べてくるのじゃ…」












「…取材ねえ。


新聞部に目ぇ付けた所までは良かったが、思ってた以上にこき使われたらしいな」


黒崎の父親を名乗っていた男が、1人ごちた。


「いずれにせよ、連絡も無したぁ密偵の風上にもおけねえ。


上司として一発怒ってやらにゃ!」


上司?今上司と言ったのか?


そう、上司である。


彼こそはガルーダ・カルテルに仕える幹部が1人、その名も…まあ、名前はいい。


彼は今、黒崎の部屋の前に来ていた。


インターホンを鳴らす。


『あ、はい~!』


「はい~じゃねえ!


テメェ何やってんだァ、連絡も寄越さねえでよォ!


こっちはオメー、クソでもしてんのかと思って、トイレットペーパー持ってきちまったぞ!」


『そ、その声は…!?


しょ、少々お待ちください!』


扉の奥が騒々しくなる。


何かが倒れる音、崩れる音、ひっくり返る音。


それらが静まると、今度は床を踏み鳴らす音が近づいてきた。


「は、はい!よ、ようこそお出でで!


ほ、報告の件ですね!?」


扉を開けて出てきたのは、皆さんもご存じの黒崎少年…ではあったが。


「元から華奢なガキだとは思ってたがよ、そんなに痩せてたか?」


「え、痩せました、自分?やっぱハードな取材だったんだなぁ」


頬はこけ、鎖骨は浮き出し、眼の下にはどす黒い隈があった。


「こんなにげっそりしちまって…よっぽど大変だったらしいや。


…あ、部屋、上がらせてもらうぜ」


「ああ、はい!どうぞこちらへ!」


促されて入った部屋だが、中は生活必需品の他は何も無く、酷く殺風景だった。


「お前よくこんな部屋に住めんなぁ!


ゲームはともかく、本くらいは買ってもいいんだぞ?」


「いえ、特に興味もないので」


その殺風景の中でたった一つ異彩を放つ、奇妙なアイテムがあった。


黄金の首飾りだ。


「お前、これ…」


「あっ、それは!」


胸元の部分には、大きな真紅の宝石がはめ込まれている。


「おいおい、お前資金でこんなもん買っちゃダメだろ…。


まだゲームとかの方がマシだよ?」


「ああ、いえ、それは自分の物では無いのです。


その、取材に行った場所というのがエイドスという国で…。


これはそこで拾ったものなんです。先輩に預かってほしいと頼まれまして」


「へぇ!取材で、ねぇ」


無造作に首飾りを掴み上げた。


「…」


男は押し黙って首飾りを見つめる。


真紅の宝石の中で、禍々しい『何か』が揺らめいたように見えた。


「…こりゃ、とんでもないレリックだぜ!


こんなもんが手に入るたぁ、さすがゼパル学園の新聞部、って所だな」


「そんなに凄い物なんですか?自分には、よく分からなくて」


「凄い所の騒ぎじゃあねえ、国によっちゃあ国宝モンだぜ、こりゃ」


「へえ!苦労した甲斐があったなぁ!


…あ、保管しておかないといけないので、返して頂いてもよろしいですか?」


「おうよ」


黒崎が差し出した手に、首飾りを乗せる。


「どうもすみません。…あっ」


掴みかけて、取り落とす。


「おいおい、貴重なもんだろうが!丁寧に扱えよ?」


「え、えへへ…ホントですね。これじゃ保管になりませんよ」


そう言って屈み込み、首飾りを拾った黒崎が再び顔を上げる。


「部の先輩からは信頼を勝ち取っておかないと、ですもんね!」


その目元は先ほどより落ちくぼみ、陰影が濃くなった。


「あれ…」


「ど、どうされましたか?何か…」


「いや、お前…呪われてね?」


黒崎は、上司の唐突な発言に目を円くした。


「呪われてるって…誰にですか?」


「いや誰って言うか、それ」


首飾りを指差す。


「…いやいや、そんな訳ないじゃないですか!


そりゃ曰く付きのアイテムではあるんでしょうが…」


ジャラジャラと鳴らし、殊更に軽さをアピールする。


「こうやって持ってる分には、ほらこの通り!何ともなおぼろろろろろ」


「吐いたァーッ!!」


少年の口から鮮やかな七色の液体が迸った。


「ゲーミングカラーの吐瀉物…間違いない、呪いの影響だ!」


男は、かつて読んだ、呪いについて世界で最も詳しく書かれた奇書『咒詛凶典』の記述を思い出していた。


『死したる者の遺せし呪い、生ける血を濁らせ、その身、骨と皮のみになれり。


この者、七色に光りたる水を吐けり。後の世にて、迎閔虞げいみんぐと呼ばれし物の初めなり』


「…一説には、ゲーミングPCなど光るようになった元に、この呪いの逸話があるという!


もしそのレベルの呪いなら、お前下手すりゃ乗っ取られるぞ!」


「おえっ、その話微妙に胡散臭いんですけど!?


というか、どうすればいいんです!?」


「とにかく、その首飾りから一旦手を離せ!」


言われるがまま投げ捨てようとするが、首飾りは


「…あれ?離れない?」


「ほれ見ろ!呪いにロックオンされてるじゃねえか!」


「バ、バカ言わないでください!


呪いに乗っ取られるなんて、そんなこブワハハハハ!この身体は乗っ取ったぞ!」


「ほら乗っ取られたー!」


痩せこけた肉体が、妖しげな力に満ち始める。


少年が首飾りを自らに掛けると、青白い肌には黒い紋様が走り、眼には、宝石と同じ真紅の光が宿った。


「フ、フフフ…貴様、この身体の知り合いか?ちょうどいい…うっ!?」


絶句し、口を押さえる。


頬を限界まで膨らませるが、決壊し、指の隙間から虹を漏らした。


「おぼろろろっ、おえええっ…凄い気持ち悪い」


「自分の呪いで吐いてる…」


「ちょ、ちょっと待て…今体調を整えるから…ヴェーッへ!ヴォオ!」


床にうずくまり、咳き込む。


「く…ここまで貧弱とは思わなんだぞ、現代人め!


この腕は何だ!まるで女ではないか!


…こんな連中に倒されるとはな」


自らの腕を叩き、嘆く。


男はこの言葉に、サングラスの奥の眼を細めた。


「倒される?」


「左様。ワシはこの小僧と…んん?


もう1人の女はおらんのか?黒髪の…ほれ、ちょいと小生意気そうな」


男もすぐに思い当たる。


(今朝会った、学園長の孫娘か?)


「ワシの用は、そやつを殺すことよ。


おぬし、知らんか?」


男は、何と言うべきか迷った。


「その顔は…知っとるのう?


こりゃいい、案内せい」


目の前の少年は、明らかに人ならざる気配を漂わせている。


ちなみに、この場合の『人』とは、人間・魔族・獣人・その他諸々を含めた知的生命体の総称である。


では、そのどれにも当てはまらぬこの生き物は、何だと言うのか!?


(そもそも『他人の肉体を乗っ取る』なんて、並大抵の業じゃねえ。


それこそ魔法が再発見される前…神代の代物だ!)


かつて世界にはエーテルが満ち、魔法の技術が最高峰に達していた時代があった。


しかしその文明を築き上げた古代の生命体は消え、人間の時代が訪れる。


その後数世紀に渡って、魔法の無い時代が続いたのだ。


今や魔法は生活を支える技術ではあるものの、神代に比べれば遠く及ばない。


(神代の技術を使えるとしたら、魔神…?


そういやボスの友達にも1人いたな…)


魔神というのは、先ほどご説明した神代の生命体の子孫である。


現在その多くは極北の大陸に住み着き、人々と関わることも無いのだが…。


(もし全力の魔神が相手なら、ガキ共に倒されるなんてことはありえねえ。


よほど弱っていたんだろう。


…だが若い肉体を得た今、俺に太刀打ちできる相手じゃねえ!)


素直に案内すべきだろう。


…だが。


「お前さんが何者であるにせよ、その身体は俺の部下のだ。


返してもらうぜ」


彼が部下を見捨てられる人間なら、そもそもこの学園には来ていない!


「ほほう?」


少年が、上目遣いで男の顔を見る。


当然ながらその目つきに、可愛げなどというものは無い。


「魔神王の一柱ともあろう者が、舐められたものよな」


「!!」


瞳の奥から息苦しいほどの殺気が発散され…


…萎んだ。


「んん?ど、どうした?」


「…それも詮無きことか。たかが人間の小娘に、肉体を滅ぼされるとは…。


ま、どうせワシなんか、魔神王の中で最弱だし?


人間にビビッて神殿に隠れた臆病者だし?」


「な、なんでそんなこと言うんだよ…自信持てよ…。


大丈夫だって、お前強いって」


少年の肩に手を置く。


「そんなんいいですぅ、見え透いてますー!」


「んなことねぇって、本音だよ本音!」


男がぎこちなく笑いかけると、禍々しい真紅の瞳が潤んだ。


「そ、そうかの?」


「そうさ!」


「…そ、そうじゃの!ワシ魔神王じゃもんな!」


「そうだよ!そいつの身体を賭けて、勝負だ!」


勇ましい台詞だが、口調は励ますような、優しいものであった。


「ワ、ワハハハハ!よし、来るがよい!


魔神の王たるに相応しき力を、示そうではないか!」


「よし、その意気だ!行くぞ!」


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.37【魔神王テスカトリポカ】

シーンによって肉体を着替えられるので、エーテルの薄い人間世界でも

生きられる。それと同時に、人間の肉体に乗り移り過ぎたため、精神も

人間寄りになっている。

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