第9話 Target(3)
アビゲイルに強く促され、風呂場にて、溜まった垢とこびりついた血を落とすアニマ。
お節介なアビゲイルは、アニマの内面的問題をも解決しようとするが、そこに新たなる入浴者が現れる。
赤く染まった床を発見される訳にはいかない。慌てて隠そうとする2人だが、間に合わず、見られてしまう!
「おっ、アビーじゃないっスか!…何で服着てんスか?」
その入浴者は、全身に血を被っていた。
「んだよ…同業者か」
アニマは思わず胸をなでおろす。
「お前の知り合い?」
「ええ。素性は知りませんけど、殺人鬼友達です」
それがどういう類の友達かは分からないが、アニマはとりあえず安心した。
「あまり暴れ過ぎないでくださいね!
私一応、生徒会の犬ですから…」
「あはは、大丈夫っスよ…お?」
アニマの存在に、今初めて気付いたようだ。
「あ~、オレの事は気にすんな!
もう帰るからさ、後はお好きに…」
「お姉さん、どっかでお会いしたことあります?」
思わぬ指摘に、不意を衝かれた。
「え、オレか?」
改めて、相手の姿をまじまじと見つめる。
奇妙なほど青白い肌。どんよりと濁った瞳。
特に覚えは、ない。
「んん?いや…」
記憶を探るが、捨て去った記憶の方が多いアニマにとって、思い出すのは至難の業であった。
が、相手の方は口をあんぐり開けて叫んだ。
「…ああーッ!!ま、魔王の…」
「あ?何でその事…おおっ、おお!!」
2人とも絶句し、頷き合う。
「ええ?ひょっとして、お知り合いなんですか!?凄い偶然ですねぇ」
事情を知らぬアビゲイルは呑気なものだ。
「テメェ…確かネクロマンサー、か何かだったな」
読者の皆さんは覚えておられるだろうか!
そう、この女は死霊術師のゾンビ、キャスパー・レヴェナント。
魔王の部下をことごとく殺し、ついに四天王の1人までも討ち取った女である!
「ええ、そうっス。あなたも、学園長を頼ってここに?」
「その言い方は…お前も、なのか?」
「っス!まあ私の場合、『頼って』というより『頼られて』という感じっスけど」
外部から多くの危険人物が侵入し、どこよりも安全でなければならない学園内が、最も危険な地帯と化している現状を憂いた学園長。
そんな彼がまたもや生徒会に話を通さず招聘したのが、キャスパーという訳だ。
「へぇ、あの爺さんまたやってんのか。
…『毒を以て毒を制す』つもりなんだろうが、正直やらかしてる感はあるよなぁ」
「だいたい、何で独断でやっちゃうんスかね?危険っスよねぇ」
『危険』の2大巨頭が、他人事のように言う。
「そうッ!危険なのですッ!」
突如、浴場に響く新たな声!
「今度は誰だよッ!」
「か、会長…!な、なんでここに!?」
湯気に煌めくブロンド、その隙間から覗く長い耳。
その静謐な美貌に似合わず、瞳には異常な狂熱が宿っている。
「おいおい、勉強はいいのかよ、会長さん」
「はッ、勉強なんてバカだけやってりゃいいんですよ!
私は天才だし、この学園のため日々休まず貢献しています!
つまり平日の昼間にひとっ風呂浴びる権利があるッ!それだけが真実ッ!」
生徒会、特に幹部ともなれば、勉学に励む暇はない。
教育機関において本来主役であるはずの生徒が、その機関を運営する側に回ったことで、勉強さえ出来なくなるという、矛盾。
この学園を学園たらしめているのは、矛盾によって保たれた極めて危うい均衡のみであり、これを失えばたちまち、この島は無法地帯と化すのだ。
「どうやら学園長がまた『やった』らしいですね!
全く、あの人は妙に事実認識が甘いというか…」
「あ、会長さん。この学園、相当ヤバイらしいじゃないっスか!
私に頼るなんて、末期も末期っスよ?」
「そ、そうですよ。…まだ、この学園への侵入を手助けしてる人も特定できてませんし…」
未だこの学園を取り巻く問題は根深く、その対処さえ見通しは立たぬ。
「いや、んな話はどうでもいいよッ!!」
静寂。
「…いったん風呂から出ようぜ!?
こんな素っ裸で話すこっちゃねえだろ!」
お互いの姿を見る。
タオルさえ巻かぬ、まさに生まれたままの姿。
「…そうでした」
「だろ?さっさと出ようぜ!」
「あ、ちょっと待ってほしいっス!」
まだ何か用でもあるのだろうか。
「自分、血を洗い流してないっス!シャワー浴びてからでいいっスか?」
確かに、血塗れのままであった。
「あッ、私も!そもそも風呂入りにきたんですよ!」
「あー、じゃあオレ、帰るから。後はアンタらで好きにやってくれ」
この学園に微塵も思うところが無いアニマは、話に一切関わりたくなかった。
「あ、待って、ください…私も一緒に…」
「こら、アビゲイルさん!あなたも残るんですよ!一応、私の手先ですから」
呼び止められたアビゲイルの目は、アニマに複雑な視線を送っていた。
「オレの事はいいから、行けよ!」
「あ、そ、そう、なんですけど…」
まだ言っていないことが沢山あるのに、という顔だ。
「まだオレに説教垂れるつもりか?
オレとアンタは違う。何言ったって意味無えんだから、もういいだろ?」
「そ、それは…まあ、そうです」
対して傷ついた様子もなく頷いた所を見ると、自覚はしているらしい。
「確かに、私とアニマさんでは、心の性質が大きく違いますね。
それでも、何か力になれればと思っていたんですが…。
すいません、まるでダメでしたね」
ヘラヘラと笑いながら言う、その語気は、弱い。
めんどくせー奴、と思いながらも、捨て置けなかった。
「…まー、その、何だ。
こんなオレのために、親身になろうとしたバカがいたって事だけは覚えといてやるよ。
だから、あー…また、頼らせてくれや」
歯切れ悪く、言った。
こんな殊勝な発言をしたのは、前世から数えても初めてだった。
「…ぐふ、ぐふふ。励ますつもりが、励まさちゃいましたね」
よほど嬉しかったのか、気持ち悪い笑みを浮かべながら言った。
その様子を、会長とキャスパーがニヤニヤと見守る。
(チッ、良くない雰囲気だ…ただの一時的な気の迷いだってのに…。
友情だの、共感だの、しょうもない勘違いをされても困る。
さっさと帰ろう)
他人と仲良くしたり、気持ちが通じ合ったり、そういう事を『馴れ合い』と断じるつもりはないが、少なくとも彼女自身には無縁な感情であった。
「じゃ、そういう事で」
濡れたシャツをそのまま着て、トボトボ帰った。
(結局風呂には入らなかったな…綺麗になったからいいけど)
廃校舎に戻ってから、何をするでもなく、天井を見つめている。
シャツは既に乾いていた。
(アイツらの話…聞いてもよかったかもな。どうせ暇だし)
話を聞いたらなし崩し的に巻き込まれそうだったので、あの場を去ったアニマであったが、今になって少しだけ後悔していた。
(退屈は嫌だなぁ。それだけは嫌だ)
もはや自らの生と使命に何ら意味を見出せない彼女にとって、命の奪い合いだけが唯一の退屈しのぎであった。
楽しければそれでいい。開き直れば、そんな生き方でも何とかなるものだった。
(そもそも、この世界に来たのは、『漫画みたいな体験がしたい』って理由だったけなぁ。
何も成長してねぇな、オレ。
…いや、成長したこともあるか?)
これだけ毎日殺し合っていれば、勘もそれなりに鋭くなる。
感じ取れるものも、増える。
(実在するんだなぁ、殺気って)
朽ちかけた椅子を拾い上げ、突然背後に向かって投げつけた。
「ぶぐぇッ…」
椅子は奇妙な音と共に虚空で静止し、赤いものが湧き出してきた。
「さっきからずっとそこにいるけどさ。
何してんの、お前?」
空間が歪み、形に沿って赤が流れていくにつれ、ゆっくりと、その姿が現れる。
人だ。
全身タイツで、被っていた面は砕け、冴えない相貌が露わになっている。
「ぐ…バカな!?
風呂上りの湯冷めした状態で、私の潜伏に気づくとはッ!」
「もう乾いてんだよ!この1時間近く何やってたんだお前!
ずっと教室の端でじっとしてるから、妖怪かと思ってちょっと怖かったぞ!」
仮面と服に織り込まれた魔力が光を捻じ曲げ、装着者を透明にする仕組みだが、あまりクオリティは高くない。
よく見ると眼だけ隠れていないし、身じろぎするたび音がするし、呼吸がめちゃくちゃうるさい。
殺気を感じたのは事実だが、無くても割と分かる。
「おっさん、ひょっとして素人?
…あのさ、ちょっと正座して」
「は、はぁ」
フローリングに正座させ、見下ろす。
「おっさんさ、情けないと思わないの?オレみたいなガキにぶちのめされて。
一応プロなんじゃないの?」
「うむ、40にして脱サラし、先月から暗殺者として活動している。
…実は、これが初めての仕事でな」
なかなか華麗な経歴だ。
「脱サラすんならラーメン屋とかにしとけよ!
…つーか、心当たりがないんだが、誰の差し金だ?」
組織を相手取る時は、復讐されないよう、必ず全滅させている。
以前何度か復讐に来た連中がいたからだ。
「いや、下っ端なもので、何も知らん。
個人営業で、下請けの下請けの下請け、と言った感じなんだ」
堂々たる口ぶりである。
「…サラリーマンの頃と、大して変わってないんじゃねえの?」
「ハハハ…お恥ずかしい限りで」
頭を掻く。
飲みの席で、年下の上司にイヤミを言われて愛想笑いをする会社員といった風情だ。
「情けねえなぁ…ま、いいや。帰んな」
「…へ?今、何と?」
想像してほしい。
右腕が妙な方向に折れ曲がり、頬は腫れ上がって血に塗れている中年の男。
哀れすぎる。
「もう帰れって言ってんの!正直見てらんないです!」
「…」
久しぶりに風呂に入ったり人と会話したので、人間らしい気分になっていたのかもしれない。
どちらにせよ、男にとっては僥倖と言う他ない慈悲であった。
「ちょ、ちょっと待った待った!」
「あ?」
しかし男は、依然そこにいた。
「その…自分も一応、暗殺者だ」
「は、はぁ。そうっすね」
男の目には、澄んだ殺気が漂っていた。
「あなたは、裏の業界では無慈悲な狂人として知られている…と聞いた」
「…え?知られてんの?初耳なんですけど?」
「おぞましき巷説、血塗られた噂…」
「だいぶ尾ひれついてる…」
「関わってはいけないタブー、呪われた邪神の顕現だとも聞き及んだ」
「ち、ちょっと待って、尾ひれつき過ぎてキメラみたいになってない!?」
「そんなあなただからこそ、頼みたい!」
「話聞いてる!?」
男は、はっしとアニマの肩を掴んだ!
「うおっ…」
「その~ッ、私みたいな、なり損ないの暗殺者だが!
一度受けた仕事は、最後までやらせてほしいッ!」
暗殺者とも思えぬ、あまりにまっすぐな目。
何を思い、暗殺者となったのかは分からないが、それが確かな覚悟に裏打ちされた行動であったことが伺い知れる。
「…慣れない慈悲なんぞ、かけるもんじゃねえな」
アニマは、ただ溜め息をつく他なかった。
「もういい、分かった分かった。
…暗殺者が、楽に死ねるとは思うなよ」
「ありがとうございます!
それが、何よりの慈悲です」
殺し屋と標的。
そのどちらも、社会的には畜生と呼ばれる類の生き物だ。
だがそれでも。
『人ですよ、私たちは』
アビゲイルの言葉が、今になって思い出された。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.35【脱サラアサシン】
パワハラを受け続け、会社に愛想が尽きた男が、一念発起して暗殺者となった。
並みの暗殺者くらいは動けるが、業界の動向には疎く、1~2世代ほど遅れた道具を使っている。
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