第9話 Target(2)

イライザから渡されたメモによると、女は森の奥の旧校舎に住んでいるという。


黒崎少年は今、その森の中ほどにいた。


(わざわざこんな所に住ませるなんて…。


当然の事とはいえ、よほど隠しておきたいらしいですね。


確か学園の運営は生徒会が担っていて、学園長の権限はかなり弱いという。


その学園長が、生徒会にも知らせずに殺人鬼を匿っているということは…)


あれこれ考えてみるが、答えは出ない。


いや、無理に出す必要も無かろう。


彼はこれから、その本人に会いに行くのだから。


(それにしても…学園の敷地内とは思えないほど鬱蒼とした森ですね。


それも、一見しても分からないほど巧妙に牙を抜かれている)


野生動物や、魔物すら住み着いていそうな不気味な森だが、その実、植物園と大差ないくらいに整備されている。


(ここまで徹底的に危険を取り除いてるのに、どうして殺人鬼なんか抱え込んでるんでしょう…?)


興味を抑えきれずに、あちこち眺めてしまう。


辺りには毒性も薬効も無い木が生い茂り、動物どころか虫の気配さえーー


「うん?」


今、奥の茂みが動いた。…気がする。


「あ、あの~!どなたかいらっしゃるんですかぁ~!」


動物の生きられる森ではない。だとすれば人間。


大声で呼びかけたのは、隠れられないようにするためでもあった。


が、杞憂だった。


「あ…こ、こんな所に人がいる、なんて…」


茂みからひょこっと頭を出したのは、捻じれた黒髪の少女。


「ええと、自分は転校生の黒崎といいます」


「あ、わた、私は…ノワーリエ、です。


あの、ひょっとして、迷っちゃったん、ですか?」


アビゲイルの気遣わしげな視線から逃れるように顔を背ける。


「ああ、いや、そういうわけでは…」


「もしかして、アニマさんの、お知り合い、ですか?」


その言葉に、黒崎は『予感』を覚えた。


「アニマさん…というのは、髪の毛が白くて目が真っ赤な、あの…?」


「ええ、そ、そうです!なんだ、やっぱり、お知り合いですね」


これは貴重な情報だ。『アルビノの女』の名は、『アニマ』というらしい。


「この先にいらっしゃるんですよね!」


「…あ、はい。まあ…」


「それだけ分かれば充分です!では、また来ます」


ここは一旦帰って、誰もいない時に行くべきだろう。


「あ、あの、ちょうど私もアニマさんに会いにいこうとしてたんです。


よろしければ、ご、ご一緒に、どうですか?」


「いえ、結構です!日を改めて出直します」


「そ、そうですか?では…」


「ええ、失礼します」


思わぬ収穫だ。欲張らず、誰にも勘づかれないタイミングでまた訪ねるとしよう。


「…み、見たことのない人だったけど。


ア、アニマさん、意外と知り合いが多いんだなぁ…」


とりあえず今日の所は、関わる事の無かったアニマと黒崎。


だが黒崎の目的からすれば、いずれ交わることになるのは明白であった。


(それにしてもアニマさん、大丈夫かな…?)


ところで彼女がアニマに会いに来た理由は、アニマの身を案じてのことであった。


(あれからどこにも姿を見せないけど、病気じゃないよね…?)


そうしてアビゲイルは旧校舎へと向かったが、背後の空間がわずかに揺らめいたのには気付かなかった。


「…アニマ」


呟いたその声は、誰の耳にも届くことは無かった。


さて、ひとまずこの謎は捨て置いて時間を進め、アニマとアビゲイルが会うシーンに繋げよう。


「アニマさん、ど、どうも…」


「ああ、お前か…」


と、ここまではいたって普通の挨拶だったが…。


「…うっ!?こ、これは…」


そこまで口にして、絶句した。


まず、強烈な異臭。汗や垢の類ではない。


血だ。


よく見ると、女の両手は干からびた血液がこびりついて黒ずんでいる。


仕事を済ませてから、拭いていないのだ。


「何黙ってんだ?用があんなら早く言え」


パサついた白い前髪の隙間からは、どろりと濁った赤い瞳が覗いている。


「な、何て恰好してるんですか!服も着替えてないし…。


あの日から、お風呂にも入ってませんね!?」


「ん。よく気づいたな」


「そ、そりゃ、気づきますよ!」


あまりに異様なその姿。


アビゲイルが恐れていたよりずっと、もっと深刻な状態だ。


「あ、あなたが心配で来たんです!…とりあえず、お風呂入りましょう?」


「いや、別にいいよ。用がそれだけなら、どいてもらっていい?」


平然と脇を通り抜けようとするアニマ。


「あ、待って…」


捉える袖が無いので、後頭部の毛を掴む。


「あ痛てて。


…『後ろ髪を引かれる想い』とはよく言うけどよ、オレが今そんな想いじゃない事は、分かるよな?


手、離してもらえる?」


「ダ、ダメです!そんな恰好でどこに行くつもりですか!


ちゃんと身だしなみを…」


アニマの赤い眼が、月の如く鈍い光を放ち始める。


「離せ、っつったんだけど?」


「…!」


胃液が逆流するような威圧感。


アビゲイルは、思わず達しそうになった。


「…えへ。えっへへへ。怒ってるんですか?」


「答えになってねえな。


今テメェがすべきことは何だ?オレの髪を掴んでるこの手を、離すことなんじゃねえのか?」


アビゲイルの襟を掴み、頭突き寸前の勢いで顔を近づける。


「ふひっ、すっごい、怖い顔!


…脅したってダメですよ?私、痛めつけられるのも好きなんです」


「そうか。なら好きなだけ痛めつけてやるよッ…!」


凄まじい殺気。


だがアビゲイルは、アニマが今まさに振り上げた拳ではなく、下半身に視線を落とした。


内股で、小刻みに震えているアニマの下半身を。


「トイレ我慢してるのに、暴れていいんですか?」


「…分かってんなら、止めるなッ!!」


アニマはトイレへ走り去っていった。


戻ってきたのは、3分後である。


「ふぅ、やばかったァ~ッ!だいぶギリギリだったぜ!


…誰かさんのせいでなッ!」


「す、すいません…。意地悪したくなっちゃって」


ヘラヘラと笑う。


「お前…ッ!


マジで何しに来たんだよ!帰れよもう!」


「ま、まぁまぁ、そう言わずに。


心配してたんですよ、最近見ないから。


で、案の定…これですよ」


確かに、人間の生活とは思えぬ惨状だ。


「ひっどい臭い!こ、公園のトイレでも、もうちょっと清潔ですよ!」


「別にオレは困らん。殺されるヤツも困らん。


…まぁ、風呂にだけは入っとくよ。それでいいだろ?」


面倒そうに話題を打ち切ろうとするアニマに、アビゲイルは猶も食らいつく。


「ダ、ダメ、です!そ、そう言っておいて、どうせ入らないんでしょ?


一緒に、入りましょうね!」


「何でだよ!前にも言ったけど、絶対一緒には入らねぇ!」


アビゲイルの顔が、ぐいっと近づいてくる。


「な、なんで、ですか?私が変態、だからですか?


それなら、大丈夫ですよぉ!流石に友達に対しては…あ、いや、待って。


…分かんないかも。いや、ヤるかな。うん、ヤります」


「じゃあ余計イヤだよ!」


彼女の信条は『自分の欲望に素直に生きろ』というもの。自分に嘘はつけない。


「で、でも、あなたを助けたいのも本音ですよ!?


その汚れはなかなか落ちませんからね」


血に塗れたアニマの両手を指差し、言う。


「…ああ、これか。3日ほど放置していたら、固まっちまってな。


落とすのが面倒になって、このザマだ」


「血だけじゃありません。


皮膚や筋、血管などもへばりついているみたいですね。


…風呂、入りましょう?」


悪臭だけの問題ではない。


アニマの内面的な変化を、アビゲイルは危惧していた。


(あるんですよねぇ、殺し過ぎてヤケクソになっちゃう時期!


殺人鬼の先輩として、ここはバシッとアドバイスしないと!)


彼女は殺人鬼の中でも、とても心優しいタイプの殺人鬼であった。


「…分かったよ。入ればいいんだな?」


「そ、そうです!やっと分かっていただけましたか!」


かくして、あれだけ避けた風呂に入ることとなった。


この時アニマが恐怖したのは、以前の『恥ずかしい』という気持ちが薄れていたことだった。


(…神の言っていた事はマジだったのか。


精神が女に近づいていく、なんて…質の悪い冗談だぜ)


「あれ、どうしたんです?早く行きますよ!」


「…おう」


アニマはしぶしぶ頷き、覚悟を決めた。


そして、浴場に移動したわけだが…。


「…なあ。なんでオレら、服着たまま…」


2人とも、服を着た状態で浴場にいた。


アビゲイルの要望だ。


「お風呂に入る前に、身体を洗わないと。


特にその服…肌に張り付いちゃってますよ」


シャツの胸元を引っ張ると、体毛も一緒に引っ張られ、痛い。


「うへっ、本当だ…」


「と、いうわけで、コレです」


その手に握られているのは、デッキブラシだ。


「…何だァ、風呂掃除からかよ!」


「いえいえ。…さ、そこに寝てください。うつ伏せですよ」


「?」


「いいから、早く!」


言われるがままタイルに寝そべる。


「じゃあ、行きますね。よいしょっと!」


アニマの背中に、引き掻くような痛みが走った。


「!!?」


「ごめんなさい、ちょっとくすぐったいかもだけど…」


デッキブラシの、緑の歯1本1本が、服越しに食い込む。


「いやッ…くすぐったいっつーか、あの、あれだな!


オレの事プールか何かと勘違いしてる!?」


「い、いえ!そんなつもりは!


ただ、頑固な汚れはこうやるのが1番ですから!


…私も、汚れた時はよくやってもらったものです」


生徒会の仕事で血塗れになり、そのまま放置してしまった時は、会長自らデッキブラシを手にしてくれたものだ。


「いででで!しみじみ言ってるけどよ、やっぱりマトモじゃねえわアンタら!」


「だ、だいたい、お風呂に入らないのが悪いんですよ?


…なんですかこの恰好は!まるで、獣です!」


アニマはだいぶ痛みに慣れてきた様子で、首を傾げて、


「実際、獣だろ、オレ。…オレっつうかお前もな!


知ってっか?オレたちみたいな、何も考えずに人を殺せる人間を、世間じゃ『畜生』って呼ぶんだぜ」


だからと言って、考えて生きるつもりもない。


考えれば考えるほど、苦しみは増すだけだからだ。


「いいえ、『人』ですよ、私たちは。


何も考えずに生きられる者はいません」


ブラシからシャワーに持ち替え、剥がれた血の塊を流していく。


「…あっ、そうそう、その話をしに来たんですよ!」


「話?何のだよ」


やたらと目の粗いタワシに洗剤を塗り付け、背中をこする。


「ぐおッ!さっきと違う痛みッ!?」


「あなたの心の話ですよ。


生活に影響が及ぶレベルの問題となると、根深そうですね」


熱と擦れによって赤みがかった肌を、再生能力が瞬時に白く染め直す。


「痛てて…んな大層な話じゃねえよ。


そもそも、テメェにゃ関係ねえこった、大きなお世話!」


「そ、そうですね、関係はないです。


でも、私にも心当たりがあるだけに、気になっちゃうというか…。


まあ、自己満足ですよ」


特に自嘲するでもなく、言う。


「さ、私が正直に言ったのですから、あなたも正直な所をお話しください」


「オレはいつでも本音だよ!


何もかもどうでもいいし、今は『帰りたい』と思ってます、以上!」


この話はこれで終わりだ、と告げるように手を振った。


「むぅ、そうですか。分かりました。


…じゃ、手の汚れも落としますよ」


懐から瓶を取り出すと、中の液体をドバドバとアニマに手にかけた。


「あ?これ何の液体?」


「これですか?硫酸です」


固まった血が溶け、何とも言えない悪臭を放ち始める。


「…あっつ!!バカッ、お前!何してんの!?」


「汚れを溶かすことで、洗い流しやすくしています」


「汚れどころかオレごとイっちゃうんですけど!?」


「それはあなたの心が汚れているからです。


ほら、煙出てるでしょ?綺麗になってる証拠ですよ」


「綺麗さっぱりこの世から消滅させる気かァァッ!」


言うや立ち上がり、シャワーを奪い取る。


「何てことすんだオメー、うわっ皮膚ベロベロになってるよ、ほぼ湯葉だよこれ」


「す、すいません!普段は弱酸性シャンプーでやるんですけど、あまりにひどい汚れだったので」


「酸性だからって何でもいい訳じゃないからね!!


…もういい、帰る!」


シャツを脱ぎ捨てて絞る。


赤い水が滴り、腐肉や千切れた筋線維と共にタイルの溝を流れていく。


「おお~、だいぶ綺麗になりましたね!」


「な?もういいだろ?血を全部洗い流したら、帰ろうぜ」


床には夥しい血液が広がり、さしずめ『湯けむり殺人事件』の様相を呈している。


「そうしましょうか。


あ、血は一応流しますけど、そこまで念入りにする必要はありませんよ!


他の殺人鬼も、よくここで血を洗い流していますし」


「ちょっと待て、『他の』って何だよ!?」


流石に2人も3人もいたら、危険どころでは済まない気がする。


「ああ、でも大丈夫です!全員生徒なんで」


「大丈夫とは」


その呟きを無視して、掃除し始めるアビゲイル。


「平日の昼間なので、まあ大丈夫だと思いますけど、早く片付けちゃいましょう!」


浴場の外から、足音。


『おばちゃん、風呂使っていい?』


『ああ、他にも人がいるけんど、まあ、良かんべ』


番台にいる老婆は用務員だが、ボケが入っていて、誰でも通す。


「…大丈夫とは!?」


「どどどどうしましょう!!は、早く血を…」


扉が開く。


「あ」


「おっ、アビーじゃないっスか!…何で服着てんスか?」


青白い肌を血に染めた女がそう言った。


〈つづく〉

どうしようもない名鑑No.34【番台婆】

学園の古参用務員。番台の地下には居住スペースがある。

学園の風呂が銭湯に似た様式になっているのは、アマツガルド帝国のデザイナーに依頼したため。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る