第8話 Family(下)
タケルは今日、珍しく島の外に出て、買い物をしていた。両親に会いに来た帰りであった。
寮でも充分に生活はできるが、やはりたまに戻ると楽しいものだ。
(月読の奴は仕事で島の外に出られないからな、お土産でも買ってってやろう)
市場には活気があり、暗い気分も晴れてくる。
その暗い感情の元は、1か月前に起きたエルランデル侯爵一家殺人事件であった。
(まさかあのガキんちょが行方不明になるとはなぁ)
驚くべきことだ。彼は父親のことを誇っていたし、かなりのショックだったのだろう。
今のタケルには、彼の無事を祈ってやることしかできない。
「全く…月末はいつにも増して人が多いな」
気分を切り替えるべく、人だかりをかいくぐって土産屋へ行こうとする。
「ちょっとすんません、いいですか、すんません」
手刀で詫びつつ進むが、どうしてもぶつかってしまう。
「あ、すんません!」
「いえ、大丈夫です!」
ぶつかった少年は快活に答えた。が、タケルはその声に違和感を覚えた。
(…ん?何だろう、妙な…)
そして瞬時に気づく。
「お、お前…ッ!?」
「はい?…あれ、どこかで?」
その少年は、侯爵子息のレオナルドだった。その表情に、かつてのような高慢さは無い。
レオナルドはタケルの顔を見て、納得したように首を振った。
「ああ、思い出した!…少し、話せるかな?」
「え?お、おう!別にいいけど」
2人は市場の片隅、人の少ない所に腰かけた。
(まさか向こうの方から話しかけてくるとは…)
タケルの驚きは相当のものだった。たまたま思い出した相手に、何の関係もない市場で、ばったりと出くわしたのだから。
「ええと、学園の人だよね?」
「え?…ああ、そうそう。覚えていてくれたか」
「君に頼みたいことがあるんだけど…その前に、ボクのことについて話さないといけないよね」
レオナルドは苦笑して言う。タケルは慌てて、
「い、いや!話したくないなら無理にする必要は…」
「いいや、聞いてくれ!…君が良ければ、だけど」
レオナルドの妙に強い語調に、タケルは押された。
「あ、ああ!分かった!俺に話してくれ!」
「ありがとう。…実はね」
そう言って話し始める。両親の死体を見てしまったこと。あまりの衝撃で、その場から着のみ着のままで逃げ出してしまったこと。
「そうか。そりゃ、その、大変だったろうな」
あまりにも壮絶すぎて、何の言葉も出てこない。
「それでね。気づいたら知らない場所にいて…ほらボク、貴族のお坊ちゃんだからさ。
1人じゃ何も出来なくて、心細くて、死んじゃおうかとも思ったんだ。
そしたら父上や母上にも会えるしさ」
レオナルドは淡々と言うが、相当の絶望であったろう。そんな彼を救ったのは、通りすがりの平民の家族であった。
「その人たち、すごく優しくて。何の義理も無いボクを、拾ってくれて。家族にしてくれたんだ。
…皮肉だよね。散々平民をバカしてきたボクが、平民の人に救われたなんて」
自虐するような口調だが、表情は穏やかだ。
「その人たちのおかげで、恐怖とか、嫌な気持ちとかが和らいで。今、すごく幸せなんだ。その、両親が死んだのに幸せって言うのも変だけど。…だからお願い!」
突然、滑り込むように土下座!
「おいおい!何を…」
「ボクのことは、皆には黙っていてくれないか!」
大胆なお願いだ。本来なら、憲兵や学園に報告しなければならぬ所。
「…まあ、いいんだけどさ」
「ほ、ホント?」
タケルとしては、他に選択肢は無かった。
嫌な奴だと思っていたけれど、少し親近感が湧いて、その途端に行方不明。そして再会したと思ったら、降りかかった不幸を受け入れて立ち直ろうとしていた。応援してやりたかった。
「…行けよ。俺ももう、行くからさ」
「う、うん!本当にありがとう!ええと…」
「タケルだ」
「タケル!ボクは、レオナルドって言うんだ!」
タケルは無言で頷いた。
「じゃあね、タケル!」
「おう、レオナルド」
手を振りつつ遠ざかっていく背中を見ながら、タケルは清々しい気分だった。胸のつかえが取れ、すっとした感じだ。
「…いい名前じゃねえか。レオナルド」
レオナルドは家族の元に帰った。
市場を抜け、街に入り、建物の隙間から裏路地に入り込む。彼の『家族』は、そこにいた。
「ただいま!」
「お~う、レオ!ボスが奥でお待ちだ!」
「ほあ?なんで?」
「知らねえよ。いいから行け」
レオナルドが入ったのはもう使われていないボーリング場。
そして出迎えたのは狂暴そうな男たち。
ここが『家』で、彼らが『家族』であった。
レオナルドが受付を乗り越えてバックヤードに入ると、そこには、いかにも凶悪な眼差しの男が待ち構えていた。
「レオ!遅えぜ、待ちくたびれたよ!」
「ごめんボス!買い物に行ったら昔の知り合いに会っちゃってさ」
男の目つきがより険しくなる。
「…何さ、その眼は!大丈夫だってば!」
「ま、いいさ。それより、今度は俺様の買い物に付き合ってもらうぜ!」
「え~、1人で行けばいいじゃ~ん!」
「バカ野郎、『エル・ノーチェ』のアレバロ様ともあろうものが、1人で外ほっつき歩けるわけねえだろ?」
レオナルドは面倒そうに、
「じゃいいよ、早く行こ!」
「ったく、ボスを急かす奴があるか!準備があるから、先、外で待ってな」
「は~い!早くしてね!」
扉を閉め、受付を乗り越えてボロいエントランスに出る。
「また外出するわ、今度はボスといっしょね!」
返事が無い。どころか、さっきまでいた男たちが1人もいない。
「…あれ、皆?揃って無断外出とは、けしからんぞー!」
呼びかけてみるが、虚しく声が響くだけだ。
「何ぃ?ちょっとちょっと、ドッキリのつもり…」
突然身を伏せる!さっきまで頭のあった所を、殺人的な速度の蹴りが通過した!
「…お姉さん、誰?」
「そりゃこっちが聞きたいね」
蹴りを放ったのは、アルビノの美しい女!
虚無と殺意を湛えた眼が、こちらを睥睨する。
レオナルドはその眼に見覚えがあった。
「お姉さん、どっかで会ったことある?」
「さあ?オレは知らんよ」
その時バックヤードの扉が開き、アレバロが出てきた。
「んん?何だあ?…やべッ、ヒットマンかよッ!」
「下がってて、ボス!」
「ダメだ、そこにいろ」
アニマが床に落ちていた蛍光灯を投げつける。
「うおッ!?」
アレバロの足に命中し、腱を切断した。もう動けぬ。
「ったく、ドン臭いなあボスは!」
「うるせぇ!そいつ殺せ!…痛たたたッ!」
情けない悲鳴を背後に聞きながら、少年は相手の間合いに踏み込み、拳を放つ!
が、軽く払いのけられる。
「おおっとぉ?魔法は使えないと聞いてたんだが」
「よく知ってるね!さっきボクのこと知らないって言ってたのに」
レオナルドの両腕はどす黒く変色して硬化していた。魔法の力だ。
攻撃を終えた両腕がゆっくりと元の色合いに戻っていく。
「新聞じゃ、アンタら一家の事件で持ち切りさ。
ほら、『大貴族エルランデル侯爵一家殺人事件!今世紀最大の惨劇!』ってな。
その惨劇の主人公サマが、何でギャングの手先に?」
アニマが問うと同時に、レオナルドは手を前に突き出した。
そして、その両腕が、再び指先から黒く染まっていく。
「うん…まあ、『成り行き』さ」
レオナルドはそう言って女の眼を見据えた。
「ああ、そうだ!こっちからも聞きたい事がひとつだけ」
「ああ?いいぜ、何でも聞けよ…」
突然鋭い突きを繰り出した。
「ごおッ!?」
黒い指がアニマの腹を突き破り、内臓をまさぐる。
「どうしてお姉さんは、殺し合い中にボーっとしてるの?」
「て、めえ…ッ」
腕を引き抜き、倒れ込む女を支える。
「ごめんね、綺麗なお姉さん…」
そして顔を覗き込もうとして、目が合った。
「え?」
「…痛えんだよッ!」
驚いているレオナルドの顔面に膝蹴り!不意を衝かれて受け身もままならず、軽くすっ飛ぶ!
「ぶぐあっ!」
受付の台に、激しく衝突!
「痛たたた…!驚いたなぁ、お腹に穴を開けたのに!」
レオナルドは、言葉とは裏腹に、効いた様子も無く立ち上がった。
「なるほどォ、頭も硬化できる、と」
既にレオナルドの額が黒く染まって、アニマの膝を弾いていた。
「オレのパワーでも砕けないとなると、相当だな」
「けっこう痛かったけどね!
…じゃ、次はボクの番だッ!」
レオナルドの反撃のタックル!
「軽いなァ!」
アニマはどっしりと体幹で受け止め、レオナルドの喉を締める!
(クッソ、硬え…全然締まらねえ!喉まで硬化できるのか!)
「苦しいよッ!」
喉を締められながらも平然とパンチ!アニマを怯ませて、脱した。
(チッ、逃げたか。まあいい、肉体が丈夫なら、心から攻めよう)
幸いアニマは、重大な事実を握っている。
「…いいのかなあ、あんなボスのために戦うなんて」
「ダメかな?家族のために戦っているだけなんだけど」
「そいつが、『本物の家族を殺した奴』だとしても?」
「…何だって?」
レオナルドの表情が歪む。手応えありだ。
「そいつなんだよ。お前の大好きなパパとママを殺したのは」
「…人違いじゃないかな」
「いいや。マジだ。『エル・ノーチェ』のアレバロが、殺した」
「…嘘だ」
「ホントだよ。お前さんは自分の親の仇に仕えてたのさ!」
決壊まで、後少しだ。
「嘘だ。だって殺したのはボクだもん」
「そうさ!殺したのは…へ?何だと?」
レオナルドが、笑った。
「あの日、父上がね?『スキャンダルが近々発表されるから、逮捕されるかもしれない』ってさ。
そんなの許せないだろ?誇れない父上なんて、いらない。
考えただけで狂いそうになって、気づいたら、この力で皆を殺してた。
うふふふふ。だからボクはまともでいられた」
精神的ショックで魔法に目覚めることがあるという。これもその一例なのだろう。
「…あー、はいはい。そっちのタイプね!
お前アレだろ、知り合いに1人はいる『狂人』だ!」
ちなみに彼女の知り合いにはいっぱいいる。
「狂ってるって?ボクが?
…アハハッ、それはないよ!」
話しながら高速接近し、硬化した指先で突きを繰り出す!
アニマは受け止め、その腕を掴んで、レオナルドを思い切り地面に叩きつけた。
「ぐうッ!…そんなものかい!?」
「ほざいてろ!もっともっと叩きつけてやるからな!」
「無駄だよ、ボクに物理攻撃なんて通用しない。
お姉さんみたいな、腕力だけが取り柄の人間は特にね!」
「うるせえ!だから精神攻撃で倒したかったんだよ!
…だけどよ、それが失敗した今、作戦はこれしかねえッ!」
彼女の作戦の概要は、
『硬いっつっても、何度も叩いたら壊れるでしょ』
というものであった。
「…あのさあ、お姉さん。バカなんじゃないの?
この魔法は無敵なんだよ。分かる?」
そう、無敵である。
ギャングの一員となって数か月、彼が身に傷を負ったことはない。
何も考えず突っ込んでも、押し切れるだけの防御力があるのだ。
故に、彼は今が人生で一番楽しい。
無敵の才能に目覚め、なおかつそれを有効に使えるギャングという世界に入る事ができたのだから。
「しぶてえなァ!死ねっ、死ねよ!」
「キャハハハ!無駄だって言ってんじゃん!ホントにバカだなぁ!」
アニマは何度も何度も、レオナルドを全力で叩きつける。
凄まじいパワーだが、それでも、黒い肌が衝撃を通すことはない。
(全く、大した馬鹿力だなぁ!…あれ?)
全身に、違和感を覚えた。
この感覚は…痛みだ。
「オラァ!…オラァ!…オルアァッ!」
床が砕け、クレーターができ、地面が割れ始める。
「う、うそ…!こんな、力押しでッ…!」
だが、彼は既に気づき始めていた。
腕力と防御力の違いだけで、お互いの戦い方は同じ『力押し』に過ぎないことを。
「…お互い様って訳かい」
「へへ、そういうこと」
そして、彼女に感じた既視感の正体に思い至る。
『自分』だ。
アニマの虚無的な目は、自分によく似ているのだ。
どこまでも凡庸でありながら、強大な力を授かってしまった者の目だ。
「…なんだよ、つまんないなあ…」
そして今、自分という存在の下らなさに気づく所まで、アニマとよく似ていた。
「気づいた時にはもう遅いってなァ!とどめだァ!」
そして最後の一撃。この衝撃を受ければ、脆くなっている胴体部分の硬化が砕けて、死ぬ。
「死にやがっ…れ!?」
レオナルドが叩きつけを脱する。自分の腕を切り離して逃げたのだ。
「正気かよ!…正気な訳ねえか」
「あはは。ひひひ」
片腕を失いつつもレオナルドは笑う。もうどうでもいいからだ。
何が?
何もかもがだ。
「あは、あひひ、ふふ」
そしてアニマに飛びかかる。
完全に不意を衝いた一撃が、喉を切り裂いた。
…だが、アニマを殺すには到底足りぬ!
「ごぼっ、ごの、でいどでッ!」
自らの血に溺れながら、アニマは叫んだ。そして放つ、胴への蹴り。
「う、そ…!?」
叩きつけによって脆くなっていた胴体の硬化を破り、内臓を砕いた。
「ゲホッ!ざまあみな!ガキはすっこんでろ!」
「うぶっぶ、うふ、あはははばばばっ」
レオナルドは地面に転がり、血を吐きながら笑い続ける。
(あ~あ、もう終わりか。くっだらねえ人生だった。
いや、下らないのはボク自身かな?
…結局、ボク自身の力じゃ何ひとつ成し遂げられなかったな!)
あまりにも情けなくて、内臓が崩れていくのも構わず、笑い続けた。
そしてアニマは、そんなレオナルドには一瞥もくれず、受付を飛び越えて、倒れているアレバロに歩み寄る。
「…あいつ、笑ってるなぁ。
よぉ、アンタ。レオの奴、何で笑ってんだ?」
「さあ?死ぬのが、怖くなったのかもな」
アニマは、退屈そうに答えた。
「しゃあねえなぁ…親より先に死にやがって、親不孝者が」
「親だあ?…仲間は皆家族って訳かい」
身内への情が深い、アレバロらしい言い草だ。
「ひとつ聞きたいんだが…アンタ、エルランデル侯爵のこと恨んでたんだろ?」
アレバロはジッと動かず、天井を見つめていた。
「…まあな。だからスキャンダルをばらまいてやった」
「ああ、なるほど」
レオナルドが父親を殺す理由を作ったのは、こいつらしい。
「知ってただろ?あのガキが侯爵の息子だって。なんで仲間にした?」
「ん?そりゃあ…子供に罪は無いからな」
アレバロは、真顔でそう言った。
「何だ?俺、変なこと言ったか?」
「…そうだな。子供に罪は、無い」
アニマはかがみ込み、その顔に拳を振り下ろした。アレバロはびくんと痙攣して、それきり動かなくなった。
「いい父親だぜ、アンタ」
そう呟き、受付の向こうを見る。
笑い声はもう、途絶えていた。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No.32【レオナルド・エルランデル】
メディアの露出も多く、社会的地位の高い『エルランデル家』の一人息子。
一見高慢で現実の見えていない典型的貴族だが、その本質は異常に卑屈で、
脆弱な心の持ち主。アニマと同類の、『どうしようもない』人間。
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