第3話 monster(下)
アニマは老人を睨みつけた。自分の名を知る、目の前の老人を。
「…何でオレの名前を知ってんのかなあ?5秒以内に言い訳しな。
でなきゃその枯れ木みてーな手足を折って植木鉢に植えてやる」
「枯れ木?私の手足が?それならご心配なく」
そう言った瞬間、老人の肉体が爆発的に膨れ上がった。
「この通り!元気いっぱいですからなァ!」
フードを脱ぐ。その中から現れた顔は、ヤギそのものであった。
「…悪魔かッ!」
悪魔!魔族の中でも高位の存在であり、人と交わって弱体化した現代の魔族とは比べ物にならないほどの力を持つ!
かつての戦争で、そのほとんどが死滅したはずであったが…
「聞いていますよ?ここ2、3日魔王様のことをあれこれ調べている人間がいると。魔王様の復活は政府首脳でさえ知らないはず…あなた、何者です?」
「あ~ら、そうなの?どうりで情報が集めにくいと思った!」
表情の読みずらいヤギ顔が、分かりやすく怒りの形相になった。
「何者かと…聞いているッ!」
(来るッ!攻撃ッ!角を使った攻撃か、あるいは悪魔らしく黒魔術かッ!)
アニマは油断なく構える。
「アタァーッ!」
恐るべき速度の正拳突き!とっさに受け流すが、確かな衝撃を感じる!
「…素手かよ!」
「我が『流影拳』の恐ろしさ、思い知るがいい!」
しかも中国拳法っぽいネーミングである!
「かァァァ…ッ」
円を描く流麗な動きから繰り出されるヘビィな一撃は、八極拳に相似している。
だが、その重さは人間の武術とは比較にもならない!
「チィッ…演舞なら大会でやりな!」
アニマも反撃を放つが、うまく入らない。
攻撃のモーションがそのまま防御につながるため、弾かれてしまうのだ!
「悪魔は、悪魔であるというだけで、人間より優れている。
獅子が鍛えずとも強いようにな。
だが私は臆病でね…鍛えずにはいられなかった。
人間の編み出した、『拳法』などという技術まで真似した。
悪魔の寿命は人間の比ではない。鍛錬の時間は人間以上にあったわけだ」
語りつつ、その拳速が緩む事はない。
「ゴチャゴチャうるせえんだよ!」
威勢よく言い返したものの、アニマは暗い気分になっていた。
目の前にいるこの悪魔、どうやら『努力家』というやつらしい。
彼女は生前も今も、努力というものをしたことがない。
その気持ちを理解することさえできなかった。
きっと努力は大切なのだろう、そう思いつつも、しかし結局何もしなかった。
(勝てるわけがない…アイツが本当に努力家なら、勝てるわけがないんだ。
ただでさえ優秀な人間が、努力までしたら…無敵だろうが!
ただ日々を無為に過ごし、神さまから貰った力で粋がるオレに、勝ち目なんて…)
「シャッ!」
攻撃をかろうじて受け止めるアニマだが、その攻撃から、紛れもない努力の跡を感じ取っていた。
(本気の打撃を受けたら、いかにオレの再生能力でも危ないだろう。
きっと、殺される…)
そして心のどこかで、それを望んでいる自分がいた。
もういいだろう。自分のようなイカサマ野郎は、本物の努力の前には敗れるものだと、証明してほしい。
そう願う気持ちである。
「まだまだ行くぞ!」
「…ああ、来い!」
悪魔の連撃を捌くアニマだったが、少しずつ、押され始めていた。
(殺される。それも、いいだろう。どうせオレのような無能は早晩破滅する。
…破滅するべきなんだ)
鬱めいた自虐思考に沈み込み、防御の手が緩む。
そこへすかさず鋭い一撃が入る。
「ぐッ」
勇敢な人間は痛みによって冷静さを取り戻す。
臆病な人間は恐怖する。
愚かな人間は怒る。
だが彼女のような『負け犬思考』の人間は、その全てが起きる。
すなわち我に返り、努力に怯え、自分に怒りを覚えるというわけだ。
こうなるともう『早く楽になりたい』という気持ちばかりが強まって、勝負どころの話ではない。
悪魔もその動揺を見て取り、ここぞとばかりに仕掛けた!
「ヒュッ」
鋭い呼吸音。攻撃を読めず、飛びのいて躱そうとするが…
「!?…テメェ、何をッ」
気づくと膝をついていた。右足が折れている。
死角から放たれたほぼノーモーションの前蹴りが、足を破壊したのだ。
「これが奥義『陰雷脚』よ。そしてェ…」
驚きと痛みで無防備になったアニマの正中線に、無慈悲な連撃を叩き込んだ!
「入ったッ!これぞ奥義『撃心蛇掌』!竜をも殺す絶命の拳なりッ!」
胸骨が粉砕され、その内側、内臓がことごとく弾けた。
女の目・鼻・口から、おびただしい量の血が溢れ出る。
死ぬはずだ。悪魔は会心の笑みを浮かべた。
アニマも笑った。これでいい、という笑いだ。
「が…あッ…」
倒れてピクリともしないアニマを見下ろし、悪魔は残身した。
「こやつがなぜ魔王様の復活を知っておったのか…聞き出すことは叶わなかったが…まあいい。
魔王様の覇道に立ちふさがる愚か者はこうして何度でも…」
アニマの身体を踏みつける。
「何度でも何度でもッ!」
繰り返し踏みつける。
「何度でも始末してやればよい!」
そして極めつけに、人間の頭などたやすく踏み砕く悪魔の蹴りが、動かぬ女の頭部めがけて放たれた!
「…何!?」
その蹴りを、しっかりと掴んで受け止めた者がいる。
当然、アニマだ。
「馬鹿な!十全に決まったはず…」
「だるァ!!」
足を掴んだまま、立ち上がる勢いを利用して悪魔を押し倒した!
「こはッ…!?」
「…ウフ、アハ、アハハッ!
足りねえよなァ~こんなんじゃあよォ~!なァ!」
防御しようとする両腕を押さえ、頭突きをかます!
「なァ、なァ!オレは不死身だァ!この程度でよォ!
イッちまうわけねえだろうがよォ!」
憑りつかれたように何度も何度も頭突きを繰り返す。
アニマの額も割れ、血が垂れてくる。
長い白髪の隙間から覗く真紅の眼は、およそ人間のものとは思えなかった。
「き、貴様…マジに何者だ…ありえない、こんな事ッ!」
「へハハハ!オレかァ?オレはァ!神の使いだァ!」
角を掴んで持ち上げ、顔面に膝蹴りを叩き込む!角がへし折れ、そのまま吹き飛ぶ!
「…狂人めッ!」
悪魔は決意した!この怪物を、魔王様に会わせてはならないとッ!
「究極奥義!『天冥至殺』ッ!」
女の身体に抱きつき、両腕を首に絡めた!
この奥義は、相手を締め上げて全身の骨を折りつつ、首の急所を的確に押さえて窒息死させるという、一粒で二度おいしい殺人技である!
「ゴホッ、て、テメェ…!」
この悪魔はもう、死んでもアニマを離さないだろう。そして、アニマにとって窒息死はまずかった。脳に酸素が行かず、脳死状態になれば、さすがの再生能力も働かなくなるからだ!
「このまま私と一緒に死んでもらう!貴様は決して生かしてはおかないッ!」
「…急に抱きつくなよ。セクハラだぜ?」
おお、アニマよ!死の間際になって突然女性意識に目覚めたのか?
いや、そうではない!
「死ぬのはテメェ1人さ、オレは違う」
見よ、何たることか!アニマは抱きつかれながらも悪魔の二の腕に触れ、渾身の力で引き裂いた!
「うぐおおおおッ!?」
筋肉が断裂し、拘束が弱まる!その瞬間に悪魔の身体をはねのけた!
「ク、ソッ、ば、ば、バカな…この、悪魔である、私が。
人間に、力負け、するなど…」
「往生せいや!ヤギ野郎が!」
凄まじい回し蹴りが、悪魔の首をはね切った。
「う、ぐ、あばばばッ、ごぼぼッ!」
ヤギの頭が地面を跳ねた。悪魔は首だけになった後も、しばらく生きていた。その首に向かって、アニマは言った。
「…オレさっきさぁ、『死ぬのはテメェ1人だ』っつったよなあ?でも訂正しとくぜ。だってすぐにテメェのご主人様も同じ所に送ってやるんだからよぉ?
ヒャハ、ヒャハハハ!」
彼女は爆笑した。訳も分からず笑っていた。とにかく愉快だった。
(そうさ、オレは不死身だ。悪魔だろうが、魔王だろうが、負けやしねぇ)
笑いつつ、思考はどんどん冷えていった。
これは傲慢ではなく、ただの事実認識だ。
決死の覚悟も、ウン百年の努力も、目ではない。
ただ神から与えられただけの力が、それらをはるかに上回っているのだから。
(…オレは、無敵なんだ)
アニマの心を、全能感に似た絶望が満たした。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No.7【悪魔バフォメット】
紅蛇帝国伝来の拳法『流影拳』を修得した悪魔。かつての戦争では暗殺者として、大小7つの国の指導者を殺害した。魔王軍最強の暗殺者としての誇りと責任から、この数百年鍛錬を怠ったことは一度もない。
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