第2話 vacant(下)
あの戦いの後自分の家に帰ったアニマであったが、何も変わったことは起きなかった。『神』からの連絡も無く、退屈な日々が続いている。
「あぢぃ…クッッソ暑い!」
暑いのだ。今いるガーティア王国は温暖な気候の地域ではあるが、これは流石に異常だ。
「もういいや!つけよう、エアコン!」
身分証明書が無いため裏のルートから借りた部屋だが、エアコンくらいは設置されている。
経済力の問題もありギリギリまでつけまいと思っていたが、こうなったら電気代を気にしている場合ではない。
リモコンを見る。室温35度。意味不明だ。
急いでエアコンをつけると、涼風が吐き出される。
「うわっ、臭ッ!ウ゛ォホ、ブフッ!ちょ、ストップストップ!」
エアコンの掃除を忘れていた。埃と悪臭が室内に充満する。
「エアコンって、どうやって掃除するんだ?」
生前、一人暮らしでもしていれば分かっただろうが…その前に死んだわけだ。
「親はどうやってたっけ?…確かフィルターを水で洗って…」
顔も思い出せないのに、そんなことを思い出せるわけが―いや!
「そうだ!あのシューッてやるスプレーみたいなやつ!あれが必要だ!どこで手に入れれば…」
パソコンを持っていないので通販は不可!だとすれば…
「ええ…?外出るのぉ?このクソ暑い中?」
幸い近所にホームセンターが1軒ある。徒歩だと少し遠いが、この際仕方あるまい。
「ぬううう~ッ!行くかッ!地獄へ!」
狂おしき焦熱の行軍!銃撃に耐えるタフネスも、夏の日差しには悲鳴を上げる!
とめどなく噴き出る汗が視界を奪い、乾いた熱風が口中から水分を連れ去る!
30分かけてホームセンターについた時には、もうグロッキー状態であった。
中に入ると冷房が体を癒してくれたが、不思議なもので今度は寒くなってくる。
ちょうどいい温度は無いのかと思いつつ、エアコン洗浄スプレーを購入、店を出た!
「あーもう、あちぃよ!加減ってものを知らねーのかクソ太陽!」
怒りの抗議も、届かなければ虚しいばかりだ。
アスファルトの照り返しが、憎たらしいばかりに肌を苛む。
通りすがりの公園を見ても、子供ひとりいない。
いくらヤンチャ盛りの子供でも、今日ばかりは家でおとなしくゲームをしていたいだろう。
…だからこそ。
「待ってたんだろ、オレのこと。何の用だ?」
歩道の真ん中に1人で立ち尽くしている少女が気になった。
というかモロに怪しかった。
「そうそう、このバカみたいに暑い中ずっと待ってたんだからね!」
少女は軽い口調で返す。だがその目は鋭い。
「あれ、前にも会ったことあるっけ?見覚えあるわ」
「ホント?覚えていてくれたんだ、嬉しい!」
その服装も奇妙だ。
まるでコスプレめいたフリルドレス。手にはラブリーな装飾のステッキ。
「あっ、思い出した!…本当に生きてたのか。『虹色のなんちゃら団』のやつ」
「『虹色のざわめき団』だよ、もう!ちゃんと殺してくれないから、化けて出ちゃった!」
そう、この少女こそ、数日前アニマが壊滅させた『虹色のざわめき団』グランドマスター、ミミカ・クロウリーである!
一見幼いこの少女が、総勢2000人の団員の頂点に立つ、裏社会でも有数の大魔術師なのだ!
「完全にぶっ殺してやったと思ったのによう!しぶといねぇアンタも」
「また遊んでくれる?きれいなお姉さん!」
アニマが手に持ったレジ袋を捨てると同時に、ミミカはステッキを構える。
身体能力で言えばアニマの方が圧倒的に有利だが、ミミカには魔法がある。
純粋な戦闘能力は互角だろうと内心思いつつ、アニマが先に動いた!
「相変わらずの猪武者だね、お姉さん!」
ステッキの先端から星やハートが飛び散る!
そのひとつひとつに、弾丸並みの質量と速度があるのだ!
「かァーッ!しゃらくさい!」
アニマはそのまま突っ切る!そしてミミカの右腕を掴み、引きちぎった!
握っていたステッキが地面に落ちて転がっていく。
「アーン、痛いよ!」
ミミカは飛びのいて距離を取ると、ステッキを左手に持ち直し、クルクルと回した。
すると傷口にピンクの芋虫が湧き、うじゃうじゃと集まって再び右腕を形成した!
「…そいつで生き延びたのか」
「うん、首が折れたくらいの怪我はすぐに治るよ!」
ミミカは極めて高位の魔術師であり、その能力は多岐にわたる。弱点らしき弱点は、ほぼ無いと言っていい。
つけ入る隙があるとすれば、肉弾戦くらいだろう。
…だが!
「安心しな、次はきっちり殺してやるからさァ!」
繰り出された大振りの左フックをステッキでいなし、そのまま喉を突く!
「ゴホッ…!」
「私だって色々勉強してるんだから、バカにしないでよね!」
そう、ミミカは自らの欠点であるフィジカル等を補うため、ステッキによる戦闘術をも会得しているのだ!まさに死角なしである。
「クソが!クソが!ぶっ殺してやる!ぜってぇぶっ殺す!」
近寄ると同時に前蹴りを放つが、ひらりと避けられる。
先ほどの倍の速度の左も、当たらない。
業を煮やしたアニマは、相手を捕まえようと突進するが、これも容易に躱された。
「ちょっと、怒らないでよお姉さん!私はただ仲良く遊びたいだけなんだってば!」
ステッキから光線が放たれ、心臓を射抜く!
だが、この程度はかすり傷にもならない。
むしろ怒りがさらに増して、攻撃が荒々しくなる!
しかし、それこそがミミカの狙いであった!
アニマを挑発し、こちらのペースに引き込む。戦術の基本である!
「ほら、早く私を捕まえて!」
面白いくらいに怒る!
まんまとミミカの策に引っかかる!
全てがミミカの思惑通り!
「うらあああッ、死ねェーッ!」
ただひとつ計算違いがあるとすれば、それはアニマの性質。
(さっきより速くなってる…?
怒れば怒るほど、速度もパワーも増してるっていうの?)
感情の昂ぶりでいつもより力が出る、というのは人間誰しも持っている性質だが、アニマの場合はその上昇率が異常だった。
たとえ割りばしがうまく割れなかった程度の怒りでも、その出力は2倍以上になるのだ!
ましてや敵におちょくられれば、そのパワーは加速度的に上昇してゆく!
「きゃッ…」
パンチがかすった。まだ速くなる。
人間では反応できない領域まで、達し始めている。
蹴りがあばらを砕いた。拳が太ももを抉った。回復が追い付かない。
「やだやだやだ!ちょっとぉ、こんなの…」
足の傷で、体勢を崩した。貫手が、ミミカの心臓を抉り出した。アニマは笑む。
「ヒヒッ、まだだよなぁ、きっちり殺すにはよぉ!?」
続いて繰り出した回し蹴りが、首を切断した。
胴体と頭部が同時に地べたに転がった。
「…これでもまだ死なねえってか?」
アスファルトに散乱した死体を見下ろしながら言った。
「うん、まだだよ」
少女の頭部がそう答えた。
「…あ?」
芋虫だ。ピンクの芋虫が、あちこちに湧いている。
ちぎれた胴体も芋虫の群れになって、頭部周辺に集まる。
アニマはその頭部を踏み潰した。
「死体が喋ってんじゃねえよ!」
「いいじゃん、お喋りしようよ」
声がどこからか聞こえる。まだ死んでいないというのか。
心臓を抉り出し、首を刎ね、その首を踏み潰した。
これでもまだ。
「私、お姉さんと一緒で不死身なの!お揃いだね!」
一緒なものか。アニマでも間違いなく死ぬ。
「てめえ、何なんだよ…これだけやってまだ死なねえのか?ずるくねえか?」
「あはは、残念だったね。お姉さん強いから、一旦退却するよ!」
全身を再生させたミミカは、ステッキを探している。
その時、アニマの脳裏に電光が走った。
(そうだ、ステッキを奪えばーー)
ステッキは車道に転がり出ていた。2人の目が合う。
「…あそこにあるねぇ、お姉さん?」
「…ああ、あるな」
両者は同時に走る。その瞬間。
「あっ」
「あっ」
突如現れたトラックが、ステッキを轢き潰し、走り去っていった。
「…」
「…」
ミミカの身体が、ボロボロに崩れ去る。車道には、無残に砕けたステッキが残っていた。
「な~るほど、ステッキが本体だったわけね…」
突然、胸中に虚しさが押し寄せてきた。
戦闘の高揚感が薄れ、じわじわと暑さを思い出してきた。
虚無感と相まって、その直射日光は耐え難いほど暑かった。
「…帰ろ」
踵を返し帰宅しかけて、思い出す。
「そうだ、オレは何しに家を出たんだよ!
あぶねーあぶねー、買い物置いてくとこだった」
放り捨てたものを拾おうとして、辺りを見回す。
…見覚えのあるレジ袋が、トラックに轢かれていた。
「あー、そりゃ、車道に置いたら轢かれるよね!わは、わははは!…はは」
アニマは頭を抱えた。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No.5【ミミカ・クロウリー】
魔術結社『虹色のざわめき団』総帥。実年齢34歳。12歳の頃ステッキに自分の魂を移し、そこから成長が止まった。邪神を呼び出して世界を滅ぼそうとしたが、残念な死に方をした。
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