第1話 anima(下)
下腹部を貫く、壮絶な痛み。
「…う?」
そう、痛み。それ以外の全てが吹き飛んだ。
「きゃ、は、あふ」
声も出ない。呼吸ができない。
自分の身に何が起きたのかさえ理解できなかった。
「ああ…そういう事か。
しかしすぐ活きが悪くなるだろ、これではつまらんぞ?」
「そこで、ここはお客様のお力添えをいただきたいのです!
これは言わば、観客参加型のゲーム!」
「なるほどな、そこで儂の『魔法』か。よろしい」
ドン・ボルキアの手から猫耳に向かって光が放たれると、猫耳の感じていた痛みが薄れた。
「…ッ!ハァッ!ハァッ!…な、何で、こんな」
「『イタズラ』するって言ったろ?ほら、お客様の前だぞ!『踊り続ける』のが条件なんだから!はい、踊る踊る!」
猫耳は改めて自らの状況を認識する。
腹にでかい槍が刺さっていて、すごく痛い。先ほどまでは動けぬほどの痛みだった。
それが瞬時に和らいだのは、ドン・ボルキアの麻酔めいた魔法のおかげである。
彼の魔法は脳の機能を麻痺させ、痛みを消す効能がある。
彼はこの魔法によって無敵の兵士を造り出し、『ボルキア・ファミリー』を巨大マフィアにのし上げたのである!
(そんな、無理に決まってるでしょ?あたしの腹に、こんなもんが刺さってるのに…さっきより痛みは引いたけど、出来るわけがない!金より命よ!ヤメにして…)
そして、気づいた。
(ヤメにして…それから、どうするの?今は痛みが引いてるけど、傷が治ったわけじゃない。腹には穴が開いたまま…ここで中止しても、どうせ死ぬ…)
猫耳の脳裏に、健康だった頃の父親の顔が浮かんできた。母の連れ子だった猫耳を、本当の子のように可愛がってくれた父。
その父が病気になってから、その治療費を稼ぐために身を売ったものの、要領の悪い彼女には到底稼げる額では無かった。
もはや死ぬしかない彼女にとって、このショーが治療費を稼ぐ最後のチャンスだった。
「…約束して」
「ん?なんだ?」
「約束して!あたしがちゃんと踊り終えたら、お父さんの病院に金を送って、治療させるって!」
ダーランは『待ってました』とばかりに微笑んだ。
「もちろんだとも!俺も裏社会ではそれなりの人間だ。約束は破らん!」
ドン・ボルキアも思わず身を乗り出してエキサイトする!
「ほほう、面白くなってきたのう!父親のために命を捨てる健気な少女!
そういう娘が死ぬ時の顔をぜひ見てみたいものじゃ!…次は右腕をやってくれ!」
奴隷娼婦共の惨めったらしい悪意など比べ物にもならない、強者の悪意。
彼らのような強者は、片手間に他人の人生を潰し、暇つぶしに弱者の命を啜るのだ。
地獄のようなショーが、始まった。
アニマは、オーナーの部屋で待機していた。
店員の導きで部屋にたどり着いたアニマは、かれこれ数時間待たされていた。
『オーナーがお呼びです』とのことだ。
何の用事か知らないが、向こうから二人きりになれるチャンスを用意してくれたのだ。待つしかない。
「…遅せえよ、クソが」
当然彼女は荒れていた。待たされていることだけではない。
この状況を生み出すに至った全ての要因、つまり『神』、自分の浅はかさ、それからフォビオ・ダーランとかいうクソ野郎も憎い。
転生直後の浮かれた気分はとっくに霧散していた。
今はとにかく、どうしようもない感情を持て余し、気も狂わんばかりだった。
「人を呼んどいて待たせてんじゃねえよクズがァ!クソッ、クソォァッ!」
「おー、だいぶ荒れとるみたいだな!」
いつ間にかダーランがいた。
「ウォォァ!?や、やだー、いらしてたんですかー、んもう!」
なんたる早業!目にも止まらぬ素早い媚売りだ!
「ま、今回は許してやるぜ。今日の接待は大成功したからな!これで念願の武器取引業にも手が出せるってもんだ!」
フォビオ・ダーランの邪悪な野望はとどまることを知らず、『ボルキア・ファミリー』の力を借りて、戦争ビジネスにも手を広げようとしていたのである!
「は、はあ…で、自分は何のために呼ばれたんでしょうか?」
「お、そうだそうだ。ちょっと後ろ向いててくれるか?」
いったい何をするつもりか。
「こ、こうですか…?」
「そうそう!いい感じ!そのままね!…よっと!」
ドッ、と背中に感じた衝撃は、そのまま胸を通り抜けてきた。
じわりと痛みが広がる。胸を見る。血まみれの何かが、胸から突き出ている。
「え」
手足から力が抜ける。心臓とともに肺の一部も破れ、呼吸ができない。思わず膝をつく。
「気づいてないとでも思ったか?
…まあ実際、お前を買った時には気づいてなかったけどな!
さすがに買ってからはすぐ気づいたよ。お前の目つき、変な感じだったからな」
「けぷ、げほぉ、あば、ごぼ」
何か言おうとしたが、口から出てくるのは血ばかりであった。胸を貫いた『それ』を後ろから引き抜きつつ、ダーランは言う。
「奴隷の目つきじゃなかったもんな。
顔も体も一級品だからもったいないんだけど…念のため処分しとかんとな」
ここで、フォビオ・ダーランの魔法について解説しておこう!
この魔法は、『骨の槍』を作り出す効果を持っている!いつでもどこでも、虚空から槍を発生させられるのだ!
ただし、その際体内のカルシウムを著しく消費する!そのため、彼は常に牛乳を摂取しているのだ!
「ホリウチ君!これ片付けとけよ!」
その合図で店員が部屋に入室してくる。アニマをオーナー部屋に案内した、あの店員だ。
「えー?あの猫女も俺が片したじゃないッスか!」
「店員はオーナーに文句を言わないもんだ」
ホリウチと呼ばれた店員は、ため息をついて死体に近づいた。その刹那。
「…だァァァーッ!!」
「おぼァーッ!?」
立ち上がりざまのハイキックで、ホリウチ君を天井まで蹴り上げた!
誰が?無論、アニマがだ!
「…あ?」
胸元は鮮血に染まっているが、穴は完全に塞がっている。
「あは、あははは!生きてるよォ!オレ、あは、生きて、ヒヒーッ!」
錯乱している!それも無理はない。胸を貫かれる激痛を味わった後、その状態から再生したのだから。
「何だテメエ!?その胸、確かにぶち抜いて…」
「ああ、ぶち抜かれたよ、クソ野郎!」
怒りのままに蹴りを放つ!ダーランは両腕を交差させて防ぐが、そのまま吹き飛される!
「ごあああああッ!」
痛みで脳が戦闘モードに切り替わる!ダーランは高速で思考する!
(…ついついあの異常な再生能力に眼がいっちまうが…警戒すべきはあの人間離れした膂力!
ホリウチ君を一撃で天井に突き刺しちまった…今蹴られた両腕もギシギシ言ってる)
右手に『骨の槍』を生成し、応戦の構えをとった!
「でもさ、でもさァ!効かねえみたいだわ!おめーの攻撃!」
アニマは嘲笑しつつ、恐るべき踏み込み速度で接近する!
「馬鹿力が自慢のチンピラ共を、俺は何人も殺してきた!ましてや女など!」
常人には反応すらできぬほど素早い三段突き。実際当たりはしたのだ。
だが穿たれた3つの穴はたちまち塞がり、易々と反撃が繰り出された!
「チィッ…クソ忌々しいゴキブリめがッ!」
とはいえその反撃を喰らうほど、未熟なダーランではない。飛びのいてかわしつつも、既に相手を破る算段さえつけていた。
(この女、パワーこそゴリラ並みだが、動きは素人同然だ。
…つけ込むとしたらそこ!ましてや再生能力なんて代物を持ってたら、驕りが生まれるのが当然!)
故に、戦士フォビオ・ダーランの考える、怪物殺しの方策は…
(一発目の攻撃をわざと外し、無計画に反撃してきた所を…
首をはねて一撃で殺る!)
「たァッ!」
極めて巧妙なおとり攻撃!
もちろんアニマはこれを軽々と回避し、油断したまま反撃する。
(ここだ!この瞬間!)
彼は突如踏み込み、首めがけて薙ぎ払った!
「…痛えな」
ガキン、という音がして、槍の穂先が止まった。分厚く硬い首周りの筋肉が、決死の一撃を無慈悲に防いだのだ。
「…この、化け物がァァァッ!」
「死ねやァァァ!!ド畜生がぁぁぁッ!」
アニマは相手を押し倒すと、マウントポジションで大きく拳を振りかぶった。
即死級の一撃に、思わず目をつぶった。しかしいつまで待っても、死は訪れない。
「…?」
女は震えていた。そのうちよろよろと立ち上がると、血塗られた指先でスマホを操作しだした。電話をかけている。
「…オレだ」
『おや、仕事が終わったのですか?彼を殺したと?』
「いや、そうじゃない。…どうしても殺さなきゃダメなのか?」
『おや、まだ覚悟が決まりませんか?』
「違う、殺すなんて…無理だ、出来るわけねぇだろ!?」
『別に殺さなくてもいいですよ?この世界と一緒に滅亡したければ』
「…ッ」
女の目は虚ろだった。しばらくは呼吸の音しかしなかった。
「クソッ…もういい!もううんざりだ!…お前ッ!」
ダーランを指さした。
「…行けっ!10秒数える間に!」
男の満面に喜色が現れる。
「へ、へへ、ありがとうよ!この恩は忘れねぇ!」
ボロボロの体を引きずりつつ、男は逃走した。
『…逃がしたのですか?』
「ああ、文句は言わせない」
『いいえ、私心配してませんから。…どうせ殺すことになりますよ』
「あ?何を…」
そう言った瞬間、腰からへそまで衝撃が駆け抜ける。知っている衝撃。
腹部を見れば、槍が突き刺さっている。しかも2本。ゆっくりと振り返った。
「死ね」
3本目。
「死ね!」
4本目。
「死ねェェェッ!!」
5本目。ダーランの射出した槍は、アニマの全身を貫いた。
アニマの目が、怒りと絶望の入り混じったどうしようもない色に染まった。
「バカお前…ダメだろ、そういうの」
まず蹴りがダーランの両足をへし折った。
倒れかかるダーランに不格好なパンチを浴びせる。
魔法の副作用でカルシウム不足の頭蓋骨は、あっさりと砕けて血を散らした。
地べたに転がって痙攣する死体を見下ろしつつ、スマホを耳に当てた。
「…なるほどなぁ」
吐き気と笑いが同時にこみ上げてきた。
『でしょ?…さあ、ゆっくりと休んで次の仕事に備えてください!
あなたは代えの効かないこの世界の救世主なのですから!』
一切虚飾のない『神』の声を聞きながら、どこに泊まろうか考えている自分がいた。
〈おわり〉
どうしようもない名鑑No3【フォビオ・ダーラン】
いくつもの娼館を経営する、やり手のワル。『ボルキア・ファミリー』と手を組んだ彼は、ビジネスのために戦争を起こす。その戦争によって世界は滅亡するのだが、彼の死によってその運命は回避された。
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