第1話 anima(中)

『アニマ』という名は『神』によって授けられた。


「今日からあなたは『アニマ』ちゃんです!今後はこの名を使うように」


「い、いや!名前なんて今どうでもいいだろ!『殺す』ってどういうことだよ!」


「『殺す』は『殺す』でしょう。フォビオ・ダーランを殺す。それだけのことです」


声こそ穏やかだが、有無を言わせぬ口調。最初とはまるで違う。


「…ハメたな?」


対する彼女の声は、震えていた。


「『神』は人を欺きません。…ただ、勘違いさせてしまうことはあるかもしれませんね」


平然と言う。それからフォビオ・ダーランという男についての情報を与えられた。


「どう接触し、どう殺すかはあなたに任せます。

…とはいえ最初のうちは難しいでしょうから、一緒に考えてみましょう!」


吐きそうになった。もうアニマの精神は崩壊寸前だった。


「は?さ、『最初』?…ハハハ、オレに何人殺させるつもりだよ?」


「?…いや、そりゃあ…この世の悪が滅びるまで?」


絶句した。そして気づく。本当に今更だが。誰が真に甘かったのか。


「さあ、作戦会議を始めましょうか」








ダーランはロビーにすべての娼婦を集めると、大声でがなり立て始めた。


「いいかお前らァ~、今日のお客様は『ボルキア・ファミリー』の首領ドンとその部下だ。うまく取り入れば愛妾にしてもらえるかもしれんぞ?」


この言葉を聞いた娼婦たちの反応は様々だった。新入りは期待にざわめき、古株の女たちは諦めたように首を振る。そして白髪の女は声も上げずに俯いていた。


「なんだよ元気ねえなァ~、…実はここだけの話、首領の奥さんは色々とうるさいお方でな、首領はそういう面倒のない女を囲いたがっておられる。

やり方によってはひょっとしたら妾どころか本妻にしてもらえるかもな?」


空気が変わった。先ほどまで冷え切っていた古株たちが、新入り以上の熱を帯び始めたからだ。

…分かっているのだ、そんなにうまくいくわけがないことなど。それでも期待せざるを得ないのだ。

そういう脆く儚い希望に縋らなくては、生きられないからだ。

ダーランがロビーを去ってからも、女たちの間には奇妙な熱が残っていた。

白髪の女…アニマは気まずそうにあたりを見回している。


「…あたしでも囲ってもらえるのかな。そうしたらこんな生活とはおさらばできる…」


アニマのとなりにいた、猫耳の生えた新入りがそう言った。それはほんのつぶやき程度の声であったが、周囲の女たちには十分に聞こえたようだ。


「いや、それは無いけどね」


そっけないが、悪意のにじみ出た言葉。


「あんたごときが囲ってもらえるわけないでしょ?」


奴隷娼婦たちの間にも、序列格差は蔓延している。

弱者をいじめるのは弱者のみなのだ。とはいえ、この後リンチされたりとかそういうことは全く無い。出来るのは罵倒のみ。


「あ、や、別に…本気じゃないですよぉ!」


「そりゃ、そうよね。当たり前でしょ?」


この流れはそれで終わり。なんとなく皆嫌な気持ちになっただけだ。

それから、各自の部屋に帰って、客を待つことになった。ぞろぞろと部屋に向かう途中、アニマは思い切って先ほどいびられていた猫耳に話しかけた。


「あ、あの、大丈夫っすか?」


「は?…いや、まあ」


猫耳は怪訝そうに答える。アニマは後悔した。


(話しかけたからってどうなるわけでもないのに…何をしてんだオレは)


急に話しかけてきて急に押し黙った白髪の女を見て、よほど気味が悪かったのだろう、猫耳は早々に立ち去ってしまった。

気分は最悪だった。 と、不意に肩を叩かれた。


「どわっ!びっくりしたァ!」


「うおっ!?…大きな声を出さないでください!それよりついてきてください、オーナーの指示です」


黒服の従業員が現れて、そう言った。










(何?あの人…)


一方、猫耳は怯えつつ部屋に帰ったが、憂鬱な気分は晴れなかった。写真立てをふと見る。そこには、幸福そうな、猫耳の生えた家族が写っていた。


(早く稼がなきゃ…お父さんがいつまでもつか分かんないんだから…)


彼女の父親は病に臥せっており、その治療にはそれなりの金額を要する。

もし今日マフィアのボスに気に入られて妾にでもしてもらえれば、楽に治療費を払えるだろうし、贅沢もできるようになる。それに…


「おい、いるか?入るぞォ~!」


「!?オ、オーナー!どうしたんですか?」


突然猫耳の部屋に入ってきたのは、この娼館のオーナー、フォビオ・ダーランその人であった。


「ん~まあ、正直だれでも良かったんだけどさ、お前にするわ!」


あまりに唐突過ぎて話が見えない。いったい何に選ばれたのか。


「え、えっと、それは…」


「そろそろ『ボルキア・ファミリー』の皆さんがいらっしゃるんだが…首領の前で踊る踊り子が足らなくなってしまってな。お前、どうだ?舞台に出て踊ってみんか?」


「え?で、でも…」


踊りなんて踊っている場合じゃないのに、と思いながらも、うまい断り方が思いつかない。


「もし踊ってくれたら…ほれ、おやっさんの病気!あれ直す分のカネ支払ってあげるよ!」


「…!?」


自分の(猫)耳を疑った。まさかただ踊るだけで、それだけの金を…?と疑問に思いつつ、余計なことを聞いて台無しにもしたくない。ここは慎重さが要求される局面だ。


「…踊る、だけで?いいんですよね?」


「おう、そうだ!…ただし、だ」


やはり来たか。世の中そう上手くはいかない。


「『踊りを踊りきる』のが条件だ。いいだろ?」


よく分からない。『踊りきる』というからには妨害があるのだろうか。


「そりゃ、ちょいとエッチなイタズラとか…わかるだろ?」


ようやく得心がいった。それなら問題はないはずだ。元々娼婦なのだから、大概のイタズラには耐えられる。


「わ…わかりました。あたしでいいなら!」


「そうかい?いやあ、すまんね!」


こうして話がまとまり、しばらくして、『ボルキア・ファミリー』の面々が来店する時間となった。








艶めかしく踊る踊り子を見ているのは、『ボルキア・ファミリー』のボス、ドン・ボルキアと、フォビオ・ダーランである。

ドン・ボルキアはウイスキー、フォビオ・ダーランは牛乳をそれぞれ飲んでいる。


「しかし、あのドン・ボルキアがこんなうらぶれた娼館にいらっしゃるとは!正直な話、もっといい女も抱けるのではないですか?」


「そこだよ、君!高級娼婦というのは気位が高くていかん!

儂にはこういう程よい安さが落ち着くのだよ!」


ダーランはもっともらしく頷くと、


「それもそうかもしれません。それより、いかがです?ここらでひとつ、面白い趣向の遊びを用意させていただきましたが」


「ほう!それは興味が湧くのう!よし、やって見せてくれ!」


ダーランはうやうやしくお辞儀をして、言う。


「よし、出てこい!」


言われて出てきたのが、皆さんもお察しの通り、あの猫耳だ。舞台の上にまで行くと、すぐに踊りだす。


「むう?これはさっきと同じ踊りではないか?」


「これからですよ」


したり顔でダーランが手をかざす。舞台上の猫耳に向かってだ。その瞬間。


「う…?」


猫耳の腹部には、太い槍のようなものが突き刺さっていた。


〈つづく〉


どうしようもない名鑑No2【ドン・ボルキア】

ガーティア王国で1・2を争う勢力を持つ『ボルキア・ファミリー』のボス。

地獄じみた残虐性で知られているが、奥さんには頭が上がらない。

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