第26話

教え子樋山功


 名古屋の件は、樋山功という五年前の教え子に依頼することにした。現在は都内で探偵事務所を経営している。

元来はロック・サービス、いわゆる鍵の解錠、取り付けの仕事をしていた人物だ。その道のエキスパートらしい。現に鍵に関する特許も取得しているとのこと。得意は「ピッキング」による解錠。

ピッキングとは先端に三角形の突起が付いた金属の「ピック」なるものと、先端が直角に折れ曲がった「テンション」という金属を使用して鍵を開ける技術だ。鍵の先進国アメリカで発展して日本にもたらされた。樋山はいち早くこの技術を習得し、テレビ出演で、車のドア・ロック、金庫等の解錠技術を披露し大反響を起こし、日本全国を飛び歩いて解錠依頼に応じた。

樋山によると解錠依頼の裏側には様々な人間関係が潜んでいて興味は尽きないらしい

別居中に鍵を替えられて締め出された夫、愛人に鍵ごとドロンされた間抜けなパトロン等は愛嬌の部類で、暴力団事務所で大型金庫を解けさせられた時などは冷や汗ものだった、とのこと。

彼はこのような経験から人間模様の裏に興味を覚えて探偵学校の門を叩いた。

 倉科は樋山に連絡を入れ、至急、調査の打ち合わせをしたい旨を伝えた。落ち合う場所は恵比寿にあるWホテルのバー。

このホテルは比較的新しく開業してから二十年も経ていないが、宿泊客の大半が欧米人で独特の雰囲気がある。ロココ風に設えられた一階ロビー、その奥にあるバーでは英語、フランス語、スペイン語が飛び交っている。倉科は、このホテルを開業当時からビジネスとプライベートに使用している。洒落た感じがして探偵稼業の人間にはそぐわないのが気に入っている。自分を大きく見せるために銀座方面の超一流ホテルを利用する探偵は多いが、何だか手垢にまみれた手法のようで、倉科はあまり好きではない。

 梅雨開けにはまだ遠いウイークデイの夕暮時。バーから中庭を見渡すと、雨に濡れた新緑が照明灯の合間にボーッと浮かんでいる。バー・タイムには時間が早いのか、客は二三しかいない。カウンターに腰かけ、顔馴染のバーテンダーにマティーニをオーダーする。

 「ドライでしたね? 倉科さんは」

 愛想のよい問いかけに、倉科も機嫌よく一言答えた。

 「そう」

 グラスの底が見えそうになった頃、樋山が現れた。

 身長は百七十五センチの倉科より少し高く、痩身で引き締まった身体つきをしている。年齢は三十代後半になっただろうか。高級そうなダーク・スーツに身を包み、やや小振りで黒光りのするボストン・バッグを提げている。

 「久しぶりです。また、先生と仕事ができますね」

 と、にこやかな笑顔で倉科に挨拶をして右隣に腰かけた。

 「調子はどうだい? 忙しい?」

 「御蔭さまで、先生に紹介して戴いた弁護士さんからも依頼が入ってくるようになりました」

 「それは良かった」

 と、話しながら倉科は床に置かれた樋山のバッグに目をやり、尋ねた。

 「相変わらず、ピッキングとかの商売道具一式を持ち歩いているの?」

 樋山はバッグを右手で持ち上げてかざしながら、

 「探偵業に突発の依頼は無いですけど、鍵屋は『今すぐ来てくれ』が普通ですからね」

 樋山がバーテンダーに生ビールを注文した。すぐに琥珀色の液体を満たしたグラスが運ばれてきた。

 (一流ホテルのバーなんだから、カクテルでも飲めばいいのに…)

 倉科はフンと内心で笑いながら、樋山が喉を鳴らしてグラスを空けるのを見ていた。

 「今回の案件は二件。一件は、タクシーのアドケース広告について。もう一件は、ある音楽プロダクションと言うか音楽事務所関連について」

 樋山はもう一杯生ビールをオーダーしながら尋ねた。

 「詳しく教えてください。多分、先生からの仕事ですから難しいと思いますが…。納期とギャランティについてもお願いします」

 倉科は二件の調査について概要を説明した。大林のアリバイ捜しについて樋山は、フンフンと頷きながら、やや小振りのアイパッドに要点を打ち込んでいたが、鈴木正恵の件について話すと、まじまじと倉科の顔を見た。

 「自殺と偽装交通事故それに殺人もあるんでしたよね? 亀井綾乃の近辺には?」

 樋山の問いかけに対し、倉科は

 「鈴木正恵と『夢想花』なる音楽事務所の関係が調査事項で、亀井綾乃は調査対象じゃないよ」

 樋山は首を傾げながら、

 「亀井綾乃が中心人物だと思いますよ。警察は何を考えているんですかね?」

 倉科は樋山の言葉を制しながら、

 「おいおい、俺達は、名探偵シャーロックホームズやコナンじゃないんだから、余計な推理はしないの」

 樋山は倉科に応じるように、

 「そうでしたよね、先生。事実を収集して報告すること。探偵業に推理は不要でしたね。でも、警察も結構ヌケてる場合が多いですね。かと言って、御注進する必要もありませんからね」

 「榊江利子は自殺、鈴木正恵は交通事故死と断定されているから関連性について捜査しないのさ。三村里香殺人事件でも亀井綾乃に何の動機も考えられない以上、警察の動きは無いだろうよ」

 そこまで話した倉科は、大林のアリバイ捜しについて方策を尋ねた。

 「探偵学校のタクシー広告だったら、どこの広告業者を使っているのか聞くのは簡単ですよ。あそこを運営している会社に同期がいますから」

 「ありがたい。実は、君の言う、あの会社に聞くのが嫌だったんだ。なるべく会社とは関係を持ちたくないんだ。俺は探偵学校で講義をするだけの関係以上になりたくないんだ」

 「判っています。先生は昔からあの会社と言うかオーナーとはソリが合わなかったみたいですからね」

 樋山はニヤッと笑って続けた。

 「会社と先生の関係が良いなら、ボクのところに仕事が回って来ないですからね」

 事実であった。倉科の所属する会社は調査部門と学校部門、フランチャイズの三部門から成り立っており、設立に参画した倉科は以前、経営陣の一角として全部門に関わっていた。しかし、経営者の人格、品性、行動が倉科の美学に反するので、一時、袂を分かち外に出た。戻ってからは、講師業だけの約束になっている。

 倉科はタバコに手を伸ばしながら、

 「タクシーのアドケース広告だけど、台数が多いと依頼者が乗った車輛を捜すのは大変じゃないか?」

 「都内のタクシーは約五万台程度だから、そんなに大変ってこともないでしょう」

 倉科は小林が、「都内のタクシーは五万台」と言っていたのを思い出し、教え子である樋山の知識に驚いた。

 「調査手順としては広告取扱業者の割出し、広告掲載車輛から当日の深夜に依頼者を新宿中目黒間乗せた運転手の確定と言うことで宜しいでしょうか…? 先生?」

 倉科はタバコを燻らしながら、樋山に教えていた頃を思い出していた。彼は、受講生の中で抜群の吸収力があり、教えに忠実であるだけでなく,全ての調査科目について自分なりに工夫して消化していた。探偵業を修得しようとする目的意識があり、特に調査コストに関する講義では、倉科は、樋山が自分で事業を運営している経験から、鋭い反応を示したのを記憶している。

 「先生、どうしたのですか? その手順じゃ駄目ですか?」

 思いに耽って、返答のない倉科に樋山が不思議な表情を浮かべて尋ねた。

 「あっ、すまない。それで結構。期限の二週間程度。ギャラは手付として二十万円。後は報告時に三十万円でお願いする。特別な経費が必要なときは知らせてくれ。手付は帰りに渡そう」

 樋山は嬉しそうに大林の件を承諾した。

 「了解。先生の知り合いを助けることになるのですね。頑張りますよ。判明事項が有り次第、連絡を入れると、言うことで」

 倉科はバーテンダーを呼び、マルガリータを頼んだ。マティーに以外は酸味の強いカクテルが好きなのだ。左手でグラスを口に運び、右手でタバコを灰皿に押しつけながら、

 「第二の件だけど。企業信用と人間関係の調査になると思うよ。企業信用は、いつもの要領で済ませりゃいいけど、企業内外の人間関係は少し厄介だろうな…」

 「そうですねぇ…」と樋山はタバコに火を付けて、深く吸い込んだ。

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